【闘病】小さな「できもの」は全身に広がり、激痛で寝たきりに《疱疹状膿痂疹》(1/2ページ)

結婚したばかりで妊婦だったmaiさん(仮称)は、突然体中にぶつぶつの発疹がでて、後には顔や頭にも症状が表れ、痒みや痛みもひどくなっていたそうです。maiさんが体験した稀な病気、疱疹状膿痂疹(ほうしんじょうのうかしん)とはどのような病気なのか、現在は皮膚に跡も残っておらず、母子ともに元気に過ごしているmaiさんに、つらかった闘病時の話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年4月取材。

体験者プロフィール:
maiさん(仮称)
大阪府在住。1989年生まれ。結婚し2児の母。発症時は、第1子を身ごもっていた。あるときから、体中にぶつぶつの発疹ができ、徐々に増えていく症状があり、つらい闘病生活を経験。現在は、2ヶ月に一度トレムフィアという生物学的製剤の注射を打っているため、症状は落ち着いており、第2子も無事出産した。

記事監修医師:
後藤 和哉
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
突然の疱疹状膿痂疹

編集部
疱疹状膿痂疹とはどのような病気ですか?
maiさん
女性がかかることの多い病気で、皮膚に症状が出ます。皮膚の発疹(ほっしん)にフケのような銀白色の垢が付着する乾癬(かんせん)という病気の中では、もっとも重度とされるものが膿疱性乾癬です。さらに、その中でも稀なケースで、日本でも一年に数人でるかどうかという病気が疱疹状膿痂疹です。
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
maiさん
病気に気づいたきっかけは、妊娠5ヶ月目くらいのときに、右ひざの横あたりにぷつっと赤いできものができたことでした。そのときは「なんかできてるな」ぐらいにしか思っていませんでしたが、そのできものの範囲が少しずつ広がっていったのです。妊娠中なので、念のために近所の皮膚科に行きました。アレルギー検査などを受けて、とりあえず軽い塗り薬をもらい様子を見ることになりました。
編集部
その時は、原因や病名はわからなかったのですね?
maiさん
そうです。その後、腕にも同じような症状が現れ、少しずつ範囲も広がって、膿をもったぶつぶつができてきたので、次の週に再度病院に行ったところ、大きい病院の紹介状を書いてもらい、その日のうちに受診しました。しばらくはその病院で診てもらいつつ、普通の生活もできていました。
編集部
すぐに確定診断となったのでしょうか?
maiさん
病院では生検検査をしてくれていたので、比較的早く疱疹状膿痂疹という病名がわかりました。また、とても珍しい病気だということもわかりました。産む予定にしていた産婦人科の先生にも伝えましたが、病名をご存じでなかったようでした。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
maiさん
妊婦だったので、出産まで強い薬は使えないと言われました。ワセリンと包帯で保護するようにと説明を受けました。やがてステロイドを塗るようになったのですが、範囲が広がるにつれ、一回でチューブの薬を4本使用しないと塗りきれなくなっていました。1人で1時間くらいかけて必死に塗っていましたね。その頃にはお腹や背中にも広がっていたので、心配で仕方なかったです。「赤ちゃんにも影響はないのかな?」という疑問もありました。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
maiさん
そのときは、そこからさらにひどくなると思っていなかったので「こんなに珍しい病気になるんやったら、宝くじ当たればよかったのに」と、のんきなことを言っていましたね。ただ、赤ちゃんのためならなんでも耐えられると思っていました。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
maiさん
だんだん歩くときに痛みを感じるようになってきました。どう表現したらいいのかわからない痛みですが、そこからあっという間にひどくなり、立ち上がるだけで足に激痛が走るようになりました。それからは寝たきりになり、動くのはトイレに行くときだけという生活になりました。お風呂上がりすらも、すぐに座れるよう脱衣所に椅子を置いていました。
編集部
大変な状況ですね。その後の症状はどうでしたか?
maiさん
ある日、朝から「しんどいな」と思っていたら、急に熱が出てきました。その日は日曜日で、病院は休みでした。仕方なく出産予定の産婦人科の病院に連絡をして診てもらいました。そこで抗生剤を打ってもらい、熱は下がりました。その日から何日か続けて抗生剤を打ちに通院したのですが、家から病院までの移動が辛すぎたので、それを先生に伝えたら産婦人科で入院することになりました。
不安と痛みで泣くことが多かった入院生活

編集部
入院の内容を教えてください。
maiさん
寝ていても痛くて眠れないし、精神的にいっぱいいっぱいになっていました。誰もいなくなると、ずっと泣いていたのを覚えています。2日後、朝から熱が出て、先生が大学病院に連絡してくれて、急遽転院することになりました。
編集部
処置の様子は覚えていますか?
maiさん
ワセリンの塗り薬を全身に大量に塗って皮膚の保護をし、くっつかない特殊な包帯で全身ぐるぐる巻きにされました。大きいワセリンの箱を一回で全部使い切るくらいの量を塗るのです。おそらく通常の使い方なら何ヶ月ももつような箱でした。包帯も気持ち悪くて眠れませんでした。トイレに行くのも大変だったので、このときはバルーンカテーテルを入れていました。お風呂は2人がかりで介助してもらい、上がったら4人がかりで薬を塗ってもらいました。包帯を巻いてもらっていたのですが、完全にミイラのような状態でした。
編集部
薬の種類については覚えていますか?
maiさん
妊婦だったときは、ステロイドとネオーラルを使用していました。出産後はコセンティクスに変わりました。その後は、症状が良くなり、なにも治療しなかった時期があったのですが、風邪をひいたときに症状が再燃しました。そのときはトルツを使用しましたが、身体に合わなかったのでその後中止し、現在はトレムフィアを使用しています。
編集部
治療中の心の支えはなんでしたか?
maiさん
赤ちゃんの胎動が心の支えでした。赤ちゃんが元気でさえいてくれれば、どんなことにも耐えられると本当に思っていました。無事に元気に産まれてくれて幸せでした。また入院中は、本当に助産師さんたちの優しさに救われました。