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命を預かる現場で、“事故ゼロ”を実現する順天堂麻酔科チームの底力(1/2ページ)

 更新日:2025/08/04
命を預かる現場で、“事故ゼロ”を実現する順天堂麻酔科チームの底力

麻酔科医は手術や出産、集中治療など、命に直結する現場には欠かせない存在です。近年では、苦痛の緩和という麻酔のメリットに関心が集まる一方で、リスクに関しても注意する必要があるようです。こうした中で、年間1万件超の麻酔管理を無事故で支える医療チームがあります。高度な専門性に加え、術前外来や疼痛管理、多職種連携による事故防止の仕組みについて、順天堂大学医学部附属順天堂医院麻酔科主任教授の川越いづみ医師に現場での実践とその背景を伺いました。

桑鶴 良平

監修医師
桑鶴 良平(順天堂大学大学院医学研究科データサイエンス推進講座・放射線診断学講座特任教授、前順天堂医院長)

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順天堂大学大学院卒業、造影剤の開発と副作用の研究に従事するとともに、画像診断、カテーテル治療、データベース研究を行う。特に、腎血管筋脂肪腫や子宮筋腫のカテーテル治療を多数施行している。データベース研究では、順天堂医院、順天堂静岡病院、順天堂浦安病院、順天堂練馬病院のデータを集積し日本のデータベース研究の推進を行っている。

川越 いづみ

監修医師
川越 いづみ(順天堂大学医学部麻酔科学・ペインクリニック講座主任教授)

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香川医科大学医学部卒業、東京大学麻酔科・痛みセンターにて初期研修。虎の門病院麻酔科にて研修後、順天堂大学医学部麻酔科学・ペインクリニック講座に入局、現在に至る。胸部外科麻酔と気道管理が専門。日本麻酔科学会理事、日本臨床麻酔学学会理事、日本心臓血管麻酔学会理事、気道管理学会理事を務めている。国際活動、特に欧州に縁があり、欧州心臓胸部麻酔学会(EACTAIC)の胸部委員、欧州麻酔学会(ESAIC)インストラクター、世界気道管理学会(WAMM)のファカルティを務めるほか、欧州・アジア各地で教育や講演活動も行なっている。安全な胸部麻酔の技術を世界中に普及させることで麻酔科に貢献するのが自分の使命であり生涯の夢である。

難症例に挑む順天堂・麻酔科チームの「無事故の仕組み」──スタッフ育成の工夫

難症例に挑む順天堂・麻酔科チームの「無事故の仕組み」──スタッフ育成の工夫

編集部編集部

麻酔科の状況について、桑鶴院長から概略をご説明いただけますでしょうか?

桑鶴院長桑鶴院長(インタビュー当時)

当院の麻酔科による麻酔管理の年間手術件数は、実に1万1000件を超えており、いまだ減少の兆しは見られません。また、手術室の稼働率は一般的に40~50%が標準とされる中、当院では70%前後と極めて高い状況にあるのですが、これを維持している責任者が川越先生です。手術室では、多い時には、24名ほどの麻酔科医を同時に揃える必要があり、これはほかの診療科ではできないことだと思います。

私が院長に就任した頃は、ちょうど産科麻酔の問題や世代交代の時期と重なっていました。そうした時期には何かと混乱も起こりやすいですが、その都度話し合いを重ね、川越先生が中心となって様々な対応を講じてくださいました。

外科の先生方からの様々な助言もいただきながら、働き方改革の流れもある中で互いに知恵を出し合い、手術室の合間の時間を含めて可能な限りコンパクトにすることで、手術の質を保ちつつ件数をこなす体制を整えてきました。

特筆すべきなのは、当院では麻酔事故が発生していないということです。詳細は後ほど川越教授からご説明いただければと存じますが、本日はそのような当院の麻酔体制をご紹介申し上げたく、また、一般的な麻酔科の話題や産科麻酔、ペインクリニックなどご活躍は多岐にわたるので、色々とお話いただければと考えております。

編集部編集部

ありがとうございます。麻酔科という診療科は多くの一般市民にとって「手術を受けるとき初めて関わる科」という印象があるように思います。一方で、最近SNS上では、不完全な全身麻酔管理下で医療脱毛を施術されていたことなどが話題になっていました。全身麻酔の難しさや危険性について、教えていただけますでしょうか?

川越いずみ医師川越教授

まず、手術というのは身体に対して侵襲を加える行為です。これを麻酔なしでおこなうと、交感神経などが過剰に反応し、例えば血圧が200mmHg以上まで急上昇して脳血管が破裂するなど、重大な有害事象を引き起こす危険性があり、患者さんは手術のメリットを享受できず、逆に命の危機に晒されてしまいます。

それを防ぐために、私たち麻酔科医は、麻酔の3要素である鎮静・鎮痛・筋弛緩の3つの手法を組み合わせて、通常の生理的な状態より少し鈍い状態にして、手術侵襲のとき過剰に生体反応が起きないように絶妙なバランスで制御する必要があります。

ただし、この麻酔の制御を誤ると、命に関わる危機的状態につながります。意識もないですし、呼吸も止めますし、状況次第では気管に管を挿入して管理します。このようなとき、不慣れな医療者が処置すると事故が起こらないとも限りません。

麻酔の経過では気道確保が最も重要な因子の一つです。顔と同様に気道の形状なども一人ひとり異なっており、十分な診察や準備が整わないまま麻酔がおこなわれてしまうと、気道確保困難に陥る可能性があるからです。その結果、全身に酸素が行き渡らず、致死的な状態に至るケースもあります。そのため、麻酔は極めて高い専門性が必要とされる分野であり、適切な訓練を受けた者がおこなわなくてはいけない技術であるといえます。

編集部編集部

ありがとうございます。まさに、薄氷の上を歩くような非常に繊細で緻密な判断が求められる領域だということがよくわかりました。

川越いずみ医師川越教授

おっしゃる通りです。手術も麻酔も本来、自然界には存在しない非生理的な行為です。私たちは手術のメリットを患者さんに提供するために、あえてそうしたリスクを引き受けています。その中で、私たち麻酔科医は患者さんを守る役割を担っています。

編集部編集部

先ほど桑鶴院長からもご紹介にあった通り、麻酔科医の皆さんが手術件数の管理に関わっておられるご苦労は計り知れないものがあると思います。これほど多くの手術をどのように効率よく運用しているのでしょうか?

川越いずみ医師川越教授

確かに手術件数は非常に多いのですが、それに加えて心臓や肺、新生児など難しい症例が多いのが順天堂医院の特徴です。さらに、執刀医の技術も非常に高いため、全国から難しい症例の患者さんが集まってきます。

そうした症例に対応するため、麻酔科としても人数や技術の水準を高く保っています。事故が起きないのは、医師一人ひとりの技術の高さもありますが、順天堂で育成された麻酔科医が長く勤めていることが大きな理由です。外部から急に来た人がすぐに対応できるような現場ではありません。

幸いなことに、専門医を取得した後も、子育て中の医師を含めて、長く働いてくれる方が比較的多いです。それは、病院や法人からの麻酔科の仕事の特殊性や労働環境に対する理解があり、大事にしてくれていることがベースにあります。その結果、順天堂医院に慣れたスタッフが、難しい症例にも安全に対応していることと、外科医とのチームワークが良いことが、事故が少ない理由だと思います。

医療の高度化とともに進化する「集中治療室におけるオーダーメイド管理」

医療の高度化とともに進化する「集中治療室におけるオーダーメイド管理」

編集部編集部

集中治療室(ICU)にも麻酔科の先生方が関わっていると伺いましたが、そこにはどのような意義があるのでしょうか?

川越いずみ医師川越教授

日本の集中治療専門医には、麻酔科や救急科出身がそれぞれ3割程度を占め、そのほかに内科や外科出身の先生などさまざまな経歴の方がいらっしゃいます。

ICUでは、救急治療以外に内科的な疾患や外科手術後の管理を担うことも多いのですが、麻酔科医は、先ほどお話ししたように「薄氷の上を歩く」ような不安定な状態に精通しているので、ICUのような全身状態の悪い患者さんの管理にはとても向いています。

桑鶴院長桑鶴院長

川越先生はとくに、呼吸器外科手術の分野において高い専門性をお持ちで、そうした点も当院の強みだと思います。

川越いずみ医師川越教授

私は呼吸器外科の麻酔が専門ですが、自身も集中治療の専門医でもあり、呼吸や循環に関する領域が得意で、関心を持っています。

編集部編集部

なるほど。確かに手術が高度化し、一人の患者さんが複数の疾患を抱えているなど、よりオーダーメイドな全身管理が求められる時代になっている気がします。

川越いずみ医師川越教授

まさにその通りです。ですので、集中治療室においても、手術室と同様に安全な管理がおこなえるよう、麻酔科医が専従し質の高い医療を提供できる体制を整えています。

編集部編集部

手術室において多言語対応スタッフを配置しているとのことですが、どのような経緯で導入に至ったのでしょうか?

川越いずみ医師川越教授

インバウンドの増加に伴い、中国語や韓国語での対応が必要とされるようになりました。当院では、看護師に中国語や韓国語のネイティブの方が多く在籍していますし、医局にも中国出身で日本の医師免許を取得した麻酔科医がいます。

中国語を話される患者さんも多いため、現場では非常に助けられています。私自身も中国語の麻酔用語を20語程度(特に文字が認識できない覚醒時の単語を)覚えていますが、やはりネイティブスタッフの語学力には到底かないません。

“術前外来”が医療事故を減らす──手術の前から守る力

“術前外来”が医療事故を減らす──手術の前から守る力

編集部編集部

術前外来についても伺わせて下さい。一般の方にとっては、術前の説明は主治医の先生とやり取りするイメージが強いと思うのですが、麻酔科の先生が術前から外来で関わることにはどのような意義があるのでしょうか?

川越いずみ医師川越教授

患者さんの目線から見ても、術前外来には大きな意味があると思います。以前は、研修医や若手の医師が手術の合間に病棟を訪れて説明していましたが、時間的にも内容的にも十分ではありませんでした。

現在は、麻酔科術前外来へ一度来ていただくことで、麻酔科専門医・認定医による診察のほか、看護師・歯科衛生士・薬剤師がそれぞれブースで、説明・情報収集・必要な診察を一括でおこなえる体制が整っています。

編集部編集部

なるほど。そうした体制が、医療事故の予防にもつながっているのですね。

川越いずみ医師川越教授

はい、その通りだと思います。手術件数が増えているにも関わらず、事故が増えていない背景には、術前外来の存在が大きく影響していると感じています。また、リスクの高い患者さんについては、個別に対応するのではなくチームに事前に情報を共有し、誰がいつ担当するのが適切かまで戦略的に考えることができるようになっています。

編集部編集部

術前外来がなければリスクを見落とす可能性のあるケースについて、具体的な例を教えていただけますか?

川越いずみ医師川越教授

例えば「気道確保が難しい」というケースは、麻酔科にとって最も厄介な問題の一つです。過去に咽頭がんで放射線治療を受けたために首がまったく動かず口も開きにくい患者さんがいたのですが、私たちが術前外来で診察し、対応を調整し、装備や人員を適切に配置する準備を整えることができました。

労作時の息苦しさを訴える患者さんに対して、外科的には軽度の手術だったため心臓の検査はおこなわれていなかったのですが、術前外来で私たちが異常に気づき、心エコーの実施を依頼したこともありました。

編集部編集部

確かに、外科の先生は手術そのものに集中するあまり、全身の状態に目が届かないこともありそうですね。

川越いずみ医師川越教授

こちらとしてはご足労をおかけして申し訳ない思いもありますが、患者さんからすれば「自分のために時間を取って説明してくれた」という事実が安心感と信頼につながる部分があると思ってくださることも多いと聞いています。

それぞれの専門性を活かす──現場を支えるチーム医療

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