【闘病】「ALSになぜ私が?」 根本的な治療法なく、やがて動けなくなる病(2/2ページ)

人工呼吸器をつけて生きるこれから

編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
三浦さん
私の場合は徐々に左手が動かなくなり、その頃からヘルパーさんが来て食事やお風呂に入れてもらうことになりました。仕事は当時、実家の床屋と訪問カットの掛け持ちをしていました。訪問カットの方は、「病気を発症したので仕事を辞めます」と伝えましたが、継続して「雇用します」と言ってくれました。まさかそんな言葉が返ってくると思っていなくて気が動転しましたが、とても嬉しかったです。その後、仲間たちに支えてもらいながら新人教育の指導をさせてもらいました。診断されてから一年くらいは、訪問カットと自宅サロンで理美容の仕事を続けていました。感謝でいっぱいです。
編集部
もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?
三浦さん
何も言わないです。落ち込んでる人に、なにか言ったところで響かないと思います。
編集部
現在の体調や生活などの様子について教えてください。
三浦さん
身体的なリハビリと呼吸リハビリ、ほかにもマッサージを入れて、体の可動域は少しずつ広がりました。現在は、ALSについての情報発信として、ブログやSNSの更新に励んでいます。
編集部
あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。
三浦さん
ALS以外の病気も含め、病気になることを前提に生活している人はいないでしょう。しかし、誰にでも突然難病になる可能性があります。少しでも違和感を覚えた場合は、すぐに受診してください。あと私の場合、生命保険が役に立ちましたので、万が一に備えて、保険の見直しも大切ということは伝えたいです。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
三浦さん
私の入院した病院の看護師さんは、私が楽しめるように接してくれて、安心して入院生活を送れました。神経難病は扱うのがとても難しい病気だと聞きますが、みなさんにはぜひ今後とも頑張っていただければと思います。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
三浦さん
ALSの薬が開発されているそうです。いずれ、日本でも認可されるのかもしれません。ALS患者には待望の薬です。徐々に医療も進化しているので、これからは治る病気になるかもしれません。本当に期待しています。
編集部まとめ
三浦さんは確定診断を受けたとき、「これは夢なのかな」と思ったそうです。まさか、自分が病気になるとは思っておらず、友達にも相談できなかった時期があったといいます。現在では、情報発信や相談などを受け、同病者の心の支えになっています。また、意思伝達装置miyasuku EyeConSWを操作し、コミュニケーションや情報発信をおこなっているそうです。