【闘病】「なぜ自分が」 身体が動かなくなっていく病「ALS」と生きる(1/2ページ)

ALSとは、筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)の略称です。原因不明の難病で、現在も研究が続けられている病気です。2018年にALSを発症し、闘病を続けながらも、家族や従業員のために事業を継続し、あらたに事業を立ち上げるべく現在も奮闘されている直樹さん(仮称)に話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年11月取材。

体験者プロフィール:
直樹さん(仮称)
岡山県在住、1979年生まれ。妻、長男、次男の4人暮らし。職業は理美容室経営。2018年にALS(筋萎縮性即索硬化症)を発症した。最初は右手に違和感が発生し、箸を落とすことや、ペットボトルのフタが開けられないといったことが起こる。徐々に両足、左手にも違和感が出る。現在は、2年半前からはじめたエダラボンの点滴を訪問看護で継続(あまり効果が期待できず、2022年2月に中断)。リルゾール服用(1日2錠)して生活している。また、新しい事業を起こそうと奮闘している。

記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
長男の出産と重なった病気の発覚

編集部
ALSとはどういう病気ですか?
直樹さん
「全身の筋肉が脳からの信号を受けられなくなり、だんだんと筋肉が衰えてきて進行すると嚥下や呼吸も困難になり、死に至る」「自力での呼吸が次第に難しくなって人呼吸器が必要になり、最終的には目しか動かなくなるという恐ろしい病気」と認識しています。
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
直樹さん
2018年のはじめ頃から、ご飯の最中に箸を落としたり、ペットボトルのフタが固くて開けられなかったりすることがありました。職業柄(理美容室経営)、腱鞘炎かと思い、同年7月頃整形外科に受診したのですが、レントゲンから異常は認められなかったです。不安ならと神経内科に受診するよう勧められました。
編集部
神経内科の受診はすぐにされましたか?
直樹さん
10月には待望の長男の出産予定もあったので、すぐには行かなかったです。出産後、妻と息子が里帰りしている間に神経内科を受診したのですが、大きな病院で検査する必要があると言われ、紹介状をもらいました。紹介先の病院で針筋電図や血液検査、髄液検査などをおこないました。
編集部
診断を受けるまでの経緯を教えてください。
直樹さん
ALSの診断には時間がかかりました。ALSという病気は何かの数値が異常だからといって断定できるわけではなく、数値から似た病気を除外していき、ALSであろうという結果にいたるようです。診断確定まで数年かかることも多いようですが、私の場合はかなり早期の診断でした。
絶望の状態から気持ちの切り替え

編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
直樹さん
ALSの疑いがあると知ったときは、絶望感しかありませんでした。「なぜ自分が……」「子どもが産まれたばかりなのに……」と丸1日悲観したのを覚えています。しかし、嘆いても仕方がないので、それよりも動かなくなったときの準備や、自分がいなくなったときのために家族や、お店の従業員たちが困らないための基盤を作っておかなくてはいけないと、気持ちを転換させました。治療方法はないので、リハビリなどで現状をなるべく保ち、動かなくなったときに備えて環境を整える計画をするしかないと思いました。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
直樹さん
徐々に身体が動かなくなっていき、身の回りのことが自分でできなくなっています。妻や周囲の人たちの負担がかなり増えました。訪問看護、訪問リハビリ、ケアマネジャー、保健師、訪問診療など、家族以外の人たちの出入りが劇的に増えましたね。
編集部
お仕事はどうされているのですか?
直樹さん
2020年春頃には、ハサミを左手に持ち替えてカットしていました。同年11月には完全にハサミを置いて、技術は従業員などに任せるようにしました。2021年夏頃には左手と両足が急激に悪くなり、車の運転も辞めました。現在、通勤は妻や従業員の協力でほぼ毎日送迎してもらっています。
編集部
お仕事を続けていくことで何か目標があるのですか?
直樹さん
無理をせず、自分の店に毎日顔出すようにしています。立てなくなったら座って休憩して、立てそうになったら、また接客のためフロアに立つことを繰り返しています。現在、デイサービスを開業準備中で、完全に動けなくなる前に開業したいです(2022年9月現在、デイサービス事業は開業済み。直樹さんは、一緒に事業を立ち上げた人物にすべてを託し、役員も下り、持ち株も売却して、同事業とは無関係となっている)。今後も訪問看護や訪問介護なども検討しています。

