【闘病】どうして私が? 「バセドウ病」の再発と「顕微鏡的多発血管炎」の診断
闘病者のhide.aさん(仮称)は、12年前に「バセドウ病」を患い、内服治療で完治したという経験があります。本体験談は、その「バセドウ病」が再発したところから始まりました。そこからどのようにして顕微鏡的多発血管炎と診断されたのか。詳しく話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年5月取材。
体験者プロフィール:
hide.aさん(仮称)
1971年生まれ。北海道出身、栃木県在住。医療関係の仕事をしていたが、現在は専業主婦。2021年に顕微鏡的多発血管炎の診断を受けるも、治療の甲斐あって、現在の体調は良好。再燃の不安はありながらも、愛犬とともに笑顔で日々を過ごしている。
記事監修医師:
副島 裕太郎(横浜市立大学医学部血液・免疫・感染症内科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
「今回も薬を服用したら治るだろう」
編集部
最初に不調や違和感を覚えたのはいつですか? どういった状況だったのでしょうか?
hide.aさん
2020年の健康診断で、「甲状腺機能亢進症の疑いがある」と言われ再検査をしました。すると、12年前に患った「バセドウ病」の再発とのことでした。実は、健康診断を受ける少し前から、のどの膨らみの自覚症状があり、再発と言われても驚きはありませんでした。12年前は、そこから5年ほど薬を飲んでいたら治ったので、「今回も薬を服用したら治るだろう」と安易に考えていました。
編集部
そこからどうされたのですか?
hide.aさん
甲状腺の専門の病院を探し治療を開始しました。治療を始めて1年くらい経った頃、体の不調を感じ始めました。のどの痛みと微熱があり、風邪の引き始めのような症状でした。主治医の勧めで検査をしましたが何も異常はみつからず、「仕事の疲れや人間関係のストレスかな」と思っていたのですが、薬の副作用の可能性もあるとのことで、「メルカゾール」から「チウラジール」へ薬を変更することになりました。
編集部
それで症状は改善されましたか?
hide.aさん
いいえ。チウラジールを1か月服用したら今度は右側の背中あたりが痛みはじめ、肝臓の数値も異常に高くなったのです。至急、大学病院で検査を受けるように言われ、紹介状をいただきました。しかし、大学病院での検査結果は異常なし。その時の消化器・肝臓内科で処方された薬で症状は改善しましたが、この一件で、チウラジールは服用禁止になりメルカゾールに戻すことになりました。これが2021年3月です。
編集部
薬を戻してからの体調は?
hide.aさん
それから1か月後の4月に、また左足首から足の甲にかけて捻挫のような痛みが出てきました。日に日に痛みが強くなり、赤みと浮腫み、熱も出てきたので、近所の整形外科と内科を受診しましたが、どちらも原因不明とのことでした。そこから1週間経つころには、立つことも歩くことも困難になりました。甲状腺の主治医から抗菌剤を処方されていましたが、全く効きません。発熱も微熱から40度の間を行ったりきたりし、食事も取れず体力の限界だったため、再び大学病院に行くことにしました。
どうして自分だけが…
編集部
受診から、診断に至るまでの経緯を教えてください。
hide.aさん
主治医から大学病院に紹介してもらい、受診すると即入院になりました。様々な診療科のドクターが入れ替わりやってきて、皆さん同じ質問、同じ検査をしていき1日1日が過ぎていきました。そうしてたくさんの検査を行って、やっと「顕微鏡的多発血管炎」と診断されました。
編集部
顕微鏡的多発血管炎とはどんな病気なのでしょうか?
hide.aさん
毛細血管など、小さな血管に炎症が起こってしまう病気で、指定難病となっています。原因はよくわかっていないそうですが、自己免疫の異常によるものではないかと言われています。
編集部
そのときの心境について教えてください。
hide.aさん
「どうして自分だけがこんな病気になってしまったのか?」「メルカゾールの副作用だろうか?」と、自分の中で原因を考えました。それと同時に、「どうにかして防ぐことができたのではないか?」という想いも去来しました。
編集部
治療はどのように進められましたか?
hide.aさん
診断がついてからすぐに、ステロイドの内服と「エンドキサンパルス療法」が始まりました。エンドキサンと呼ばれる、免疫を抑制するお薬を短期間に大量に投与する治療法です。あとは、足のリハビリも行いました。少しずつ体力も戻り、大部屋に移ってから約1か月後に、装具を装着して歩けるようになったため、その10日後に退院しました。
編集部
退院後の治療はどうなりましたか?
hide.aさん
週に2回、外来でリハビリを約5か月間続け、その間エンドキサンパルス療法も外来で4回行いました。今は両方とも卒業しています。
辛い時は辛いと言っていい
編集部
闘病生活について、何か印象に残ることなどあれば教えてください
hide.aさん
左足首が全く動かず、「下垂足(かすいそく)」という足先がだらんと垂れ下がってしまった状態になり、とても不自由でした。神経痛もひどく、特に夜間に強かったので全く眠れず、寝ても痛みですぐ目が覚めてしまう日々が続きました。不幸中の幸いだったのは、大部屋だったのでほかの患者さんと話すことで、痛みを紛らわせることができたことです。
編集部
病気の前後で変化したことを教えてください。
hide.aさん
「なんで私が難病になってしまったのか?」と、毎日考えてしまいます。大きな変化は、仕事を辞めたことです。家族経営の小さな会社だったこともあり、受け入れ体制も不十分だったばかりか、病気の理解もしてもらえずに「一緒に仕事できない」と言われました。従うしかなかったですね。
編集部
過去の自分に声をかけるとしたら何を伝えますか?
hide.aさん
「顕微鏡的多発血管炎」という病気があること、そして検査できることを教えたいです。やはり、「もっと早く診断がついて、もっと早く治療開始できたのでは?」という思いがあるので。インターネットが発達したと言っても、やはり当事者にとっては「顕微鏡的多発血管炎」という病気の情報が少なすぎるし、診断をつけてもらうまでは、自分の病気について知るすべもありません。
編集部
現在の体調や生活はどうですか?
hide.aさん
発症から1年が経ち、現在は体力を戻しつつ療養生活中です。薬の副作用で体重が増えてしまったので、食生活に気を付けています。症状としては、足裏と手のひらにしびれ・麻痺が残っている状態です。SNSで同じ難病やバセドウ病の方との情報交換をしており、それはとても有意義な時間です。
編集部
医療機関や医療従事者に望むことはありますか?
hide.aさん
この病気についての情報をもっと教えてもらいたいです。とにかく孤独感がありましたので、「私だけではない」と思えるような、メンタルな部分のフォローをしていただけたら前向きに病気と付き合えそうです。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
hide.aさん
動けるようになったと言っても、再燃の不安は常にあります。「ポジティブな気持ちで」という言葉をよく聞きますが、私は辛いときは辛い、痛いときは痛いと言っていいと思います。何が良くて何がダメなのか分からないのが難病なのですから、「こうするべき」「こうあらねば」にとらわれずに過ごしていきたいと思っています。
編集部まとめ
一度、薬で完治した経験をお持ちだっただけに、治療薬が聞かなくなり、「副作用かも?」と言われた時のショックは大きかったと思います。たくさんの孤独や辛さを味わってきたhide.aさんの「辛い時は辛いと言っていい」という言葉が、たくさんの闘病患者さんに届きますように。