【体験談】「スキップが変」なのは個性ではなく「難病」だった《縁取り空胞型遠位型ミオパチー》
「完治しない病気」にかかり、「最後には寝たきりになる」と診断された闘病者のやすこさん(仮称)。診断された病名は治療法のない難病「縁取り空胞型遠位型ミオパチー」でした。そんなやすこさんに、病気が判明するまでやそこから現在(取材時)までの話などを聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年9月取材。
体験者プロフィール:
やすこさん(仮称)
兵庫県在住。1988年生まれ。1児の母。病気になる前は保育園で勤務していた。「縁取り空胞型遠位型ミオパチー」の診断を受け、将来寝たきりになることを告げられるも、理解のある男性と結婚し、自然分娩での出産も経験。身体の不都合がありながらも、夢のためにさまざまな活動をおこなっている。
記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
「縁取り空胞型遠位型ミオパチー」と診断されるまで
編集部
最初に不調や違和感があったのはいつですか?
やすこさん
短大に通っていた18~19歳の頃です。当時、保育士になるため幼児教育・保育の勉強をしていたのですが、先生や友達に「足どうしたん?」「痛いの?」と聞かれることがよくありました。普通に生活する分には問題ないのですが、前蹴りやスキップなどの動きができませんでした。今思えば明らかにおかしいのですが、特に痛みもなく、運動不足かと思うくらいで何も気にしていませんでした。あまりに周りに聞かれるので、ちょっと病院に行ってみようというくらいの気持ちで受診しました。
編集部
病院ではなんと言われたのですか?
やすこさん
受診した整形外科では、「特に異常なし」「それはあなたの個性です」と言われました。保育実習や就職活動を無事に終え、短大を卒業後、保育園に就職したのですが、職場で「足音が気になる」「やっぱりおかしいから別の病院で診てもらったら?」と勧められ、別の病院へ行きました。
編集部
そこで診断されたのですか?
やすこさん
はい。そこで、椅子に腰掛けた状態で膝をこんこんと叩く検査をしたのですが(膝蓋腱反射検査)、通常見られる反応がなかったようで別の病院での精密検査を勧められました。そこの病院(神経内科)で検査入院をすることになり、確定では無いけれど、おそらく「縁取り空胞型遠位型ミオパチー」でしょう、と言われました。その後、大学病院で改めて確定診断を受けました。
編集部
どんな病気なのでしょうか?
やすこさん
「遠位」というのは、体幹から遠いところのことで、肩や太ももではなく、手先や足先など、遠くの部位から筋肉が萎縮していく病気です。治療法や特効薬はなく、薬は現在治験中です。進行性の病気なので、手や足からだんだんと筋力がなくなっていき、最終的には寝たきりになる、とのことでした。
編集部
そのときの心境について教えてください。
やすこさん
最初は「聞き慣れない長い病名なので、覚えられるかな?」と思う程度でした。そして、一度は「異常なし」という診断でしたが、実は病気が原因だったと分かり、もやもやが取れてすっきりした感じもありました。その頃はまだ、自分が寝たきりになるなんて想像もつきませんでした。
編集部
職場にはどのように伝えたのですか?
やすこさん
職場に検査の結果を伝えると「いつやめますか?」と言われ、すぐに仕事を辞める方向になりました。方針が合わない園だったこともあり、病気のショックよりも、仕事を辞められる嬉しさの方が大きかったです。
人ってこんなにも優しいんだ
編集部
実際の治療はどのようにすすめられましたか?
やすこさん
大学病院に3ヶ月に1度通院していましたが、できなくなったことのデータを残す程度でした。半年に1度は採血データも取っていました。現在は外来でリハビリに通ったり、訪問で鍼灸師さんに来てもらったりしています。
編集部
リハビリはどのようなことを行うのですか?
やすこさん
当時の主治医であった大学病院の先生には「動かしすぎると筋肉が壊れやすくなる」とアドバイスを受けました。リハビリ先では、福祉装具や介護用品を試したり一緒に調べてくれたりします。症状が進行することを考えて、少しでも今の機能を維持できるように、どこを意識してリハビリをするか、どんな物に頼ると良いかなど一緒に考えてくれます。あとは、自分で動かせなくなった体はガチガチに固まってしまうので、マッサージでほぐしてもらっています。
編集部
闘病生活の中で、何か印象的なエピソードがあれば教えてください。
やすこさん
杖歩行をしていた時に、通りすがりのおばあちゃんが「がんばってるねー」と声をかけてくれました。私にとっては杖をついて歩くことは普通のことだったので、驚きました。
編集部
周囲や医療従事者の方に伝えたいことは?
やすこさん
杖歩行をしていた時は、何もないところでよく転んでいました。1人では立ち上がれないので、通りすがりの人に「助けてください」と声をあげるのですが、いろんな人が助けてくれて、「人ってこんなにも優しいんだ」と病気になってはじめて気づくことができました。たくさんの医療従事者の方には、寄り添って話を聞いていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
編集部
病気の前後で変化したことを教えてください。
やすこさん
行動力と決断力がつきました。喜怒哀楽がはっきりし、今まで何も感じなかったことにも幸せを感じられるようになり、幸せを受け取る幅が広がって心が豊かになったと思います。寝たきりになると何もできないので、「やりたいな」と思う事はリストにして、行動することにしました。
有難い人生
編集部
現在の体調や生活はどうですか?
やすこさん
現在は、電動車椅子に乗っているか、ベッドで横になっているかという生活です。自分の事は何も自分でできません。家族や友人、ヘルパーさんなどたくさんの方々に支えてもらいながら生活しています。寝たきりになるまではまだ時間がありそうなので、ある大学の学生ボランティアサークルのメンバーや地域の方、福祉関係者らと活動団体をつくってさまざまな活動をしたり、講演会に立たせてもらったりしています。
編集部
病気になってからご家庭ができたそうですね。
やすこさん
はい。夫と、5歳の息子がいます。「将来寝たきりになる」と言われていたので恋愛は諦めていましたが、「最後の恋愛」と思ってお付き合いを始めたのが今の夫です。その後も、「恋愛は良いけど結婚はダメ」や「結婚はしたけど妊娠はダメ」と思ってしまう自分がいましたが、そのたびにたくさん話し合い、家族や友人にも背中を押してもらいながら今の形になりました。
編集部
自然分娩で出産されたと伺いました。
やすこさん
はい。神経内科の先生からは「いきむ力が弱いだろうから」と帝王切開を提案されたのですが、産科の先生に「普段、便はどうしてるの?」と聞かれ、「踏ん張ってます」と答えたら、「じゃあ、自然分娩チャレンジしてみようか。もし無理やったら帝王切開に切り替えよう」と言ってもらい、自然分娩に挑戦することにしました。「うんこと赤ちゃん一緒なんかい」と思いましたけど(笑)。
編集部
その後、仕事もはじめられたそうですね。
やすこさん
はい。子どもが保育所に行くようになり、仕事を探し始めました。障害者就労支援の制度(就労継続支援B型)を利用して、重度障害者の私でもデータ入力の仕事に就くことができ、数年お世話になりました。
編集部
今まで辛かったことはなんですか?
やすこさん
病気が分かったものの、まだ障害者手帳を取得していなかった頃に、なかなか仕事が見つからず不採用の連続だったことが辛かったです。今しかできないからこそ働きたかった接客業では、その想いを受け入れてもらえず、採用されなかったのはしんどかったです。「自分は社会に必要のない人間」なのかと思えてしまって。
編集部
それは悲しいですね。どのように乗り越えたのですか?
やすこさん
メンタルがやられたときは、いっぱい泣きます。枕に顔をつけて疲れるまで泣いて、そして食べて、寝ます。あとは1人で抱え込まず、周りに相談したり、話を聞いてもらったりします。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
やすこさん
自分がつらいと思った時に「難が有る人生は有難い人生。難が無い人生は無難な人生」という言葉に出会いました。病気であろうとなかろうと、人生はいろいろあるものです。「人生山あり谷あり毎度あり」と思えるようになりました。いろんな人生がありますが、今あるものに目を向けて一緒に生きていきましょう。
編集部まとめ
「自分は社会に必要ない人間だ」と落ち込んだこともあったというやすこさん。彼女の生き方、考え方は、社会のたくさんの人たちの心を明るく照らしてくれると思います。やすこさん、ありがとうございました。