【闘病】完治しないと理解していたから、前だけ向いていた《全身性エリテマトーデス》
偏見や誤解に苦しむ全身性エリテマトーデス(SLE)患者は、私たちが思っているより多く存在します。膠原病(こうげんびょう)に含まれる1つであるSLEは、見た目には病気を患っているように見えないこともあるからです。SLEの闘病者である宮井さんが、周りには見えない自己免疫疾患との戦いや発症時の思い、早期発見への重要性などを語ってくれました。
体験者プロフィール:
宮井 典子
川崎市在住。1973年生まれ。家族構成は夫と娘の3人家族。診断時の職業はピラティスインストラクター。2010年に、微熱や倦怠感など風邪の初期症状が長く続き、自宅から近いリウマチ科のある総合病院を受診。その時に膠原病予備軍と診断される。投薬治療はおこなわず、食事制限と運動制限をしながら経過観察を継続。その後、2019年にSLEを発症し投薬治療を開始する。子育てしながらインストラクター活動やヘアターバンの企画販売をおこなう。
記事監修医師:
今村 英利(いずみホームケアクリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
異変に気づき受診し、膠原病予備軍と診断
編集部
膠原病と判明した経緯について教えてください。
宮井さん
2010年に、微熱や倦怠感など風邪の初期症状が長く続いていました。当時、鉄や鉛を背負ったような感覚で、朝起きられない日が多く、トイレとベッドの往復だけで1日が終わることもありました。これはおかしいなと思い、自宅から近いリウマチ科のある総合病院を受診。そして膠原病予備軍と診断されました。
編集部
予備軍だったのが、SLEと診断された経緯を教えてください。
宮井さん
膠原病予備軍と診断されたその後、しばらく不調が続いたのですが、妊娠、出産を境に不調がなくなり、痛みのない日常生活を過ごしてました。そして2019年に高熱と耳下腺の腫れ、顔面の腫れが繰り返し現れ、最終的には蝶形紅斑(ちょうけいこうはん)が現れたことで膠原病内科を受診。母のことや予備軍と診断された経緯があったので、医師も驚くほどの早期発見となり、早期治療につながりました。
編集部
お母様も膠原病だったんですね。
宮井さん
はい。振り返ると私が中学生の頃から母が入退院を繰り返し、長い治療生活の後、膠原病と診断されたと記憶しています。当時は詳しい情報を聞かされていなかったのですが、風邪の初期のような症状が長く続いたときに、ふと母の記憶がよみがえり、スマホでキーワード検索をしたのが受診のきっかけになりました。
編集部
治療について医師からどのような説明がありましたか?
宮井さん
予備軍と診断を受けた時は、投薬治療はせず、日常生活では多少の食事制限と運動制限をしていました。SLEを発症してからは「ステロイドを服用し、漢方も服用していきましょう」という説明がありました。初期から主治医も私も、「ステロイドゼロ」を目指す方針で進めてきました。投薬治療を開始したときはステロイド20㎎/日からはじめ、現在は7.5㎎/日まで減量しています。
編集部
膠原病予備軍と診断されたときの心境について教えてください。
宮井さん
スマホで症状を検索したときに「膠原病」の病名と、その中の一文に遺伝性という文字が見えたときに、大きな失望感を憶えました。当時、膠原病は死につながるイメージだったので、「わたしの人生も終わったんだな」と一晩中ベッドで泣き明かしました。むしろ予備軍と診断される前の方が恐怖でした。実際に膠原病予備群と診断されたとき、主治医から説明を受け、母の時代とは違うことを知り、ほっとしたことを覚えています。
編集部
その後にSLEを発症されたときの心境を教えてください。
宮井さん
高熱が続き受診した耳鼻科でも「わからないな」と言われたとき、もしかしたら発症してしまったかもと思いました。その数日後、蝶形紅斑がうっすら見えたときは、「なっちゃった」と心で叫んでいました。落胆、後悔、どれもしっくりきませんが、いろんな感情がわきました。診断名がついたときには、完治しないということを理解していたので、前しか向いていなかったですね。
何気ない日常生活のなかで支えられています
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
宮井さん
以前は、とにかく予定を詰め込み、精力的に仕事をしていました。ですが、筋肉痛、倦怠感、関節痛、こわばり、熱っぽさなどの症状を感じることがだんだんと当たり前になり、今は、症状を感じたら積極的に休憩したり、椅子に座る、横になったりすることを心掛けています。積極的に休憩することは、私にとって余力を残して生活することに感じ、最初は物足りなさがありました。しかし、大切なことは体調を優先することなので、それを忘れずに生活しています。また、あまり先の予定はいれないようになりました。
編集部
治療中の心の支えはなんでしたか?
宮井さん
家族と友人の存在です。特に膠原病予備軍と診断されたときは、東京に来て間もないころで、一人暮らしだったのでとても心細かったです。発症した今は当時と違い、家族や友人の存在が心強いですね。特に心許せるママ友に支えられています。季節や天候によっては外出しない日が続くのですが、驚くタイミングでLINEが届きます。何気ない会話や他愛ない会話がストレス発散にもなりますし、「よし頑張ろう」という励みになります。
編集部
家族からの理解は心強いですよね。
宮井さん
生活の中で日々感じています。ありがたいことに私の体調を優先してくれ、娘も理解してくれようとしているのがわかります。夫も娘も私が病気であるということがマイナスではなく、1つの事実として理解してくれていると感じています。日々、笑いを提供してくれる家族がいてこその毎日です。
編集部
現在の体調や生活などの様子について教えてください。
宮井さん
筋肉痛、倦怠感、関節痛、こわばりは変わらずあります。季節や天気によっても症状の度合が違うので、朝起きたときの体調や症状にあわせて、可能な限り過ごし方を変えるようにしています。生活の質を落とさないことも意識してますね。また、現在はステロイドと胃薬、睡眠導入剤、漢方薬を服用しています。副作用に悩みながらも、将来的にはステロイドの減薬を目指して生活しています。
選択肢を増やすことで早期発見に
編集部
あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。
宮井さん
一見、元気そうに見える病気なので誤解や偏見に悩んだり、心無い言葉をかけられ、つらい気持ちになったりする当事者も少なくありません。ですから見た目で判断することなく、世の中にこのような病気や症状があることを知識として知ってもらえると嬉しいです。人それぞれ違うということを前提に言うならば、私は母の闘病生活や父の介護、自身の膠原病予備群の経験を通して、手助けが必要なことがあればそのときに声を上げることの大切さを学びました。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
宮井さん
幸いなことに私は予備群のときも、現在も主治医との相性がよく、カウンセリングに時間を割いて患者の話に耳を傾けていただいています。ですが、中には「顔すら見てくれない」「話すら聞いてもらえない」という声も聞きます。ありきたりかもしれませんが、ぜひ患者の顔を見て、心に寄り添ってもらえたらうれしいです。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
宮井さん
早期発見することで早く治療が始められ、その後の生活、しいてはその後の人生にも大きな影響を与えることもあります。ですから、体調の異変や不調が長く続いた場合は、膠原病内科への受診も選択肢の1つに入れてもらえたらと思います。一般的に膠原病内科は身近ではないですが、選択肢があることで早期発見につながります。いまは情報が得られやすい世の中になった分、事実と異なる情報を目にすることも多いと思います。信憑性のある情報、エビデンスに基づいた情報、正しい情報を得ることが大切です。
編集部まとめ
知識としてでも、病気のことを知ってほしいというのは、宮井さんの願いです。彼女の場合、過去の経験を通して早期発見・早期治療に至りました。読者の皆さんも調子がおかしいと感じたら、病院を受診してみてください。インターネットなどで情報が得られやすい昨今だからこそ、おかしいかなと思った時は正しい情報を得たうえで、早めに受診を検討しましょう。