【闘病】1日23回の嘔吐も… 「視神経脊髄炎」の診断までに掛かった20年
就職したばかりの20歳の春、高熱、嘔吐、しゃっくりの症状から始まり、20年もの間正式な診断がつかないまま闘病を続けてきたともこさん(仮名)。彼女が指定難病の視神経脊髄炎(NMOSD)と診断されるまでの苦労やその過程での経験などについて、話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年2月取材。
体験者プロフィール:
ともこさん(仮称)
神奈川県在住、51歳。夫、息子と3人で暮らす。診断時の職業はエレクトーンのインストラクターだった。1991年4月頃から視神経脊髄炎(NMOSD)に苦しめられるも、確定診断を受けたのは2010年8月だった。
記事監修医師:
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
診断まで20年、様々な診断からたどりついた病気「視神経脊髄炎」(NMOSD)
編集部
視神経脊髄炎(NMOSD)とはどのような病気なのか教えてください。
ともこさん
脳、脊髄などの中枢神経系の病気で、症状は病巣ができる場所などによって一人ひとり異なるようです。私の場合は、病気の診断を受けるまで20年かかりましたので、たくさんの症状を経験することになりました。
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
ともこさん
異変を自覚したのは1991年(20歳)で、就職したばかりの春でした。高熱が続き、嘔吐(多いときは1日に23回)、しゃっくりを繰り返し、国立病院の内科を受診したところ、「拒食症」と診断され、入院することになりました。精神科を勧められ、そこで脳波などの検査をしましたが異常はないとのことで、今度は脳神経外科を勧められました。そこで脳のMRIを撮ったところ、白い影があり「脳炎」と診断されました。
編集部
ご家族の方も人生これからという時にご心配だったでしょう。
ともこさん
早々に仕事復帰をしましたが、勤務中に意識を失うこともあれば(周りからは居眠りしているように見えていたようです)、ミスの多さ、忘れっぽさ、疲れやすさに悩まされつづけていましたね。2002年(31歳)頃、仕事中に片目が見えなくなり、眼科に行ったところ、そこで大きな病院を紹介され、視野検査で視野が欠けていることが判明しました(その後、片目の視力は無治療のまま徐々に回復しました)。検査中に足の脱力で倒れてしまい、入院となり、神経科の診察を受けそこで「解離性障害」だと診断されました。
編集部
そんな状況だと、体調的にお仕事を続けるのは大変そうですね。
ともこさん
はい。やがて結婚して妊娠し、2005年(34歳)に出産となったので通院は一時中断し、育児に専念していました。しかし、体の不調は続き、痛みがある時にはペインクリニック、整形外科、整体などに通っていました。そこでは「ヘルニア」「更年期障害」「産後うつ」などの診断を受けました。
編集部
さまざまな痛みなどに耐えてきたのですね。
ともこさん
2011年に、多発性硬化症という病が私の症状に酷似していることに気付き、調べていくうちに「MSキャビン」という患者会の存在を知りました。思い切って勉強会に参加しました。そこで紹介してもらった病院を受診し、「視神経脊髄炎スペクトラム障害(NMOSD)」という病名がつきました。発症してから実に20年が経過しており、医師も「20年間、無治療でよくここまで無事でいたね」と驚かれていました。そこから投薬治療が始まり現在に至ります。
視神経脊髄炎(NMOSD)の診断がついてから
編集部
医師からの治療方針についての説明をお願いします。
ともこさん
プレドニンとイムランを服用することで7割再発を抑えられると説明がありました。この病気は難病なので治りません。でも死に至る病でもありません。治療薬はまだなく、予防や対症療法しかない状況です。ですが、予防することで、悪化を防ぐことはできると言われました。
編集部
病気が判明した時の心境について教えてください。
ともこさん
自分が何かの病気であることは、間違いないと思っていたので、病名が判明した時は「やったー!」と思いました。やっと病名がついた、怠け者じゃなかった、鬱でもヒステリーでもないのだと、嬉しかったことを覚えています。
編集部
発症後の生活の変化について教えてください。
ともこさん
患者会の方たちの経験談やアドバイスがとても参考になり、暑さに気を付ける、ストレスをためないようにするなどの細かいことに注意するようになりました。上手に楽をするということが大事だ、ということが分かりました。
編集部
現在の様子を教えてください。
ともこさん
2016年に再発をし、そこから杖歩行になり障がい者となりました。ただ、子どもも高校生になり頼れるようになったので、甘えさせてもらっています。就職することもでき、フルタイムでデスクワークの仕事をしています。車通勤なので足に負担はありません。家事はかなり手抜きです(笑)。ストレスをためないよう、上手に発散することを心がけています。疲れやすいのは変わりませんが、車通勤で貴重な自分の時間を作れることがとても楽しみになっています。
診断後の気持ちの変化
編集部
闘病中の心の支えは何でしたか?
ともこさん
子どもの成長はとても支えになりました。また、同病の友人が出来たことは本当に心強く、貴重な情報収集ができありがたいと思っています。どれだけ励まされたか分かりません。
編集部
健康な時の自分に声をかけられたら、なんと言ってあげますか?
ともこさん
「おいしいものをおいしいといって食べられることは幸せなんだよ。自分一人で生きてるんじゃないんだよ。親に感謝して、周りの人に感謝してね」と伝えます。
編集部
あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。
ともこさん
見えない障害や病気と闘っている人はたくさんいます。痛みも麻痺も疲れも見えないものだけどとても辛いものです。楽しそうに見えても痛みはあります。少しだけ見えないものを見ようとしてみてください。
編集部
医療従事者に伝えたいことはありますか?
ともこさん
お世話になった方々には感謝しかありません。本当にありがとうございます。尊敬しています。ですが、私の主張を聞いてくれず、心無い言葉をかけてきたドクターには「私、難病でしたから」と言いたいです。
編集部
病気になって、一番言っておきたいことを教えてください。
ともこさん
予測できないことが次々に起こるというのが自分の感想です。自分の体なのに次にどうなるのか、今後どうなっていくのか医師でも予測できないのが難病です。一生付き合っていく病気なら納得のいく治療を受けたいし信頼のおける医師に出会いたいです。
編集部
最後に読者に向けてのメッセージをお願いします。
ともこさん
セカンドオピニオンという言葉を聞くようになりましたが、納得のいかない治療、診断を受けたなら絶対受けるべきだと思います。病院や医師は選べます。受け身でいたらダメです。自分で探すべきです。
編集部まとめ
取材中にともこさんは新型コロナウイルスに感染されました。復帰までに3週間はかかり、コロナ後遺症外来に通うようになりました。現在も体調不良と痛みと闘われております。難病は一生闘っていく病です。難病は診断が遅れる傾向にあるように思います。医師同士の横の連携や医療の地域連携の充実が向上すればと願います。