「前向きに歩くことを諦める」 二分脊椎症の車椅子ダンサーが行き着いた答え【体験談】
歩けない方のQOL(Quality of Life:生活の質)を上げるのは、「歩けるようになること」なのでしょうか? それも間違いではないかもしれませんが、先天性二分脊椎症を患っている車椅子ダンサーのかんばらけんたさんは、歩くことを「前向きに諦めた」と言います。小学生で「一生歩けない」と知り、歩くことを前向きに諦めたその先には何が見えたのでしょうか。話を聞かせてもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年11月取材。
体験者プロフィール:
かんばら けんた
フリーの車椅子ダンサー、サーカスパフォーマーとして活動。先天性二分脊椎症という障害をもって生まれる。2016年にリオパラリンピック閉会式、2021年に東京パラリンピック開会式に出演。TV・CMの出演や、学校での講演活動も行っている。
記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
「弟は脚が動くの?」
編集部
先天性の疾患とのことですが、ご自身と疾患について、どのような記憶からスタートしていますか?
かんばらさん
5歳くらいのころから、ぼんやりと記憶があります。母から聞いた話ですが、5歳の時に弟が生まれ、その際に私が「弟は脚が動くの?」と質問したこともあるそうです。母が「動く」と答えたら、私が「よかった」と答えたらしいです。5歳くらいのころには、障害を「良いものではない」と認識していたようです。
編集部
かんばらさんの疾患について教えてください。
かんばらさん
二分脊椎症という病気です。背骨の下の方、腰のあたりに脂肪の塊があり、本来であれば身体の一本柱であるはずの脊柱が上下で2つに分かれてしまっていました。そうなると脊椎を通っている神経(脊髄神経)にも影響が出るため、そこから下は動かなくなるのです。合併症として、極度の側弯症(そくわんしょう)や脚の変形もあります。
編集部
どのような治療やリハビリなどを受けてきたのですか?
かんばらさん
脂肪の塊による脊髄神経への悪影響は、成長につれて進行する可能性があると言われたので、0歳10カ月の時に手術で取りました。脂肪の塊を取り除くことで、脊髄神経が引っ張られている状態を解除するという手術です。リハビリは、動かない脚に装具を付け、杖をついて短い距離を歩く練習をしました。また、脚の変形が悪化しないように、脚の筋肉を伸ばすようなリハビリも行いました。
小学生の時に「一生歩けない」といわれた時は泣きました
編集部
病気を認識した時の心境について教えてください。
かんばらさん
小学3年生くらいの頃に、ほかの子との差が分かってきました。母親に「一生歩けないのか?」と質問しました。母親が正直に「歩けない」と教えてくれました。その時はショックで泣いて、頭が真っ白になりましたが、それが自分の障害と向き合うキッカケになったと思います。
編集部
どのように障害と向き合ったのですか?
かんばらさん
小学校高学年から中学生の間に少しずつですが、歩けなくても仕方ないと前向きに諦めることができるようになりました。友達とゲームをして遊ぶなど楽しいこともあるから、普通に歩くということを諦めて、前に進むことができました。
編集部
前向きに諦める、というのは興味深いです。
かんばらさん
将来、障害が治るわけではないので、この身体と付き合っていくために諦めたという感覚です。歩けなくても、楽しいことがちゃんとあったから諦められたのかなと思います。一気に歩くことを諦めたわけでは無く、何年もかけて少しずつ諦めました。
前向きに諦めた、その先に
編集部
現在の体調や生活はどうですか?
かんばらさん
体調は10代の頃から特に変わり無いので通院も10年以上していないですが、生活は大きく変わりました。結婚し、新婚旅行でキューバとメキシコに行き、その後、人工授精と顕微授精で2人の子どもを授かりました。こういった家庭を築ける将来が来るとは思っていませんでした。現在は「車椅子ダンサー」として活動しています。
編集部
なりたいと思ったきっかけは? どんな活動をしているのですか?
かんばらさん
29歳の時に、パフォーマンス専用の車椅子がテレビのニュースで紹介されていて、すごく印象に残っていました。そうしたら数か月後にその車椅子のパフォーマー募集されているのをSNSで見て、すぐに応募したのがキッカケです。そこからどんどんのめり込んでいき、今年は東京2020パラリンピックの開会式(2021年に開催された)にも出演させていただきました。
編集部
かんばらさんのダンスパフォーマンスについて、もう少し聞かせてください。
かんばらさん
まず、先に言っておきたいのは、「障害は個性」だとか、障害自体を美化する考え方は全くありません。不便だったり、嫌な思いをしたりすることもあります。その上でという話ですが、自分がしているダンスでは、障害が自分しかできない表現に繋がっています。例えば、自分は下半身の筋肉が細いこともあり体重が30kgしかないですが、上半身の筋力が強いので、車椅子の人の中でも自分しかできない技があります。また、普段の生活では細い脚を隠したくて太めのパンツを履いていますが、ダンスでは細い脚を見せることで上半身の力強さを表現することに繋がっています。
編集部
脚の筋肉がないことで、できないこともありますが、表現できることもあるのですね。
かんばらさん
ないのは筋肉だけでなく、感覚もありません。感覚がないと、例えばどこかに足が引っかかっても気がつかないことがあり、ケガなども沢山しましたが、そこから少しずつ自分の体を知り、学び、今の身体の使い方の基礎になっているので、無駄ではなかったと思っています。
編集部
医療機関や医療従事者に望むことはありますか?
かんばらさん
伝えたいこというよりも当時の話として、自分は脚の変形もあるので、リハビリで装具と杖を使って歩くのが難しかったです。先ほども言いましたが、自分は「歩けなくても仕方ない」と前向きに諦めていたので、リハビリの目標設定も「歩く」ということにこだわらず、上半身の使い方を伸ばすようなリハビリを受けられていたら良かったと思う時があります。
編集部
最後に、今後の展望をお願いします。
かんばらさん
学校などで講演させていただく機会がありますが、ダンスを見て貰うと盛り上がって、一気に壁が無くなります。今後も障害に接点がなかった人たちの前で踊る機会を大事にしていこうと思っています。
編集部まとめ
車椅子ダンスを通して、自分の身体の使い方だけでなく、障害のある自分だからこその表現なども学んだというかんばらさん。「歩くこと」にこだわっていたら見えなかった景色を見ているように感じました。今後のご活躍にも注目したいと思います。かんばらさん、ありがとうございました。