~実録・闘病体験記~ 「病気は不幸」ではない。脊髄髄膜瘤と生きるヨガインストラクター
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年9月取材。
体験者プロフィール:
ロミさん(仮称)
北海道在住、1986年生まれ。夫、息子2人の4人家族。出生時、第五腰椎に脊髄髄膜瘤との診断を受け、医師から下半身麻痺か水頭症の合併、知的障がいの可能性ありと説明される。それらは奇跡的に回避したものの内部障がいがあり、月一度は医療器具や処方薬のため通院中。現在は障がいを理由に何かを諦めることはせず、ヨガインストラクターを職業とし、今できること全てに挑戦しつつ、毎日愛する家族と共に好きな時に好きなことをする、そんな暮らしを送っている。
記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
生まれた時から、これが普通でした
編集部
生まれた時からすでに脊髄髄膜瘤があったそうですね。
ロミさん
はい。生まれてすぐ、背中に大きなコブ状の膨らみがあり、脊髄髄膜瘤の診断を受けたそうです。産院から総合病院、さらに小児脳神経外科の専門病院を紹介されました。
編集部
症状がさまざまな疾患だそうですね?
ロミさん
この病気は脊髄のどの部位に発症するかで症状にかなり違いがあります。私の場合、第五腰椎での発症で、膀胱尿管逆流症があったため、高頻度で腎盂腎炎(じんうじんえん:腎臓に細菌が感染する病気)を繰り返しました。腎臓に負担がかかりすぎると、腎不全になり人工透析治療が必要になる恐れがあったため、小学校の春休み中に膀胱尿管逆流症の手術をしました。
編集部
病気を調べるためにどのような検査を行ったか、聞いていますか?
ロミさん
おそらくですが、MRIやCT検査だったと思います。
編集部
自身で脊髄髄膜瘤を実感したときの心境を教えてください。
ロミさん
幼少期から入院や検査は日常生活の一部であり、普通のことでした。ただ、術後の抜糸時に泣き叫ぶ私を、ドアのそばから心配そうに見つめる母の姿は今でも目に焼き付いています。また、幼稚園や小学校で母に付き添われていることを質問されたり、別のトイレを使ったりしているうちに、「皆とは違うんだ」と自覚しはじめました。幼いながら、周囲から何か言われることや注目されることがすごく嫌だった記憶があります。
編集部
どのように治療を進めていくことになりましたか?
ロミさん
生後すぐに、脊髄から飛び出た神経の処理と感染を予防する手術を受けました。その後も追加切除の手術で入院しました。脊髄の末端が周囲組織に癒着しているため、成長と共に水頭症や下半身麻痺、その他の症状が現れる可能性があるとのことで、中学生まで毎月MRIでの経過観察が続きました。中学からは小児脳神経外科の年齢から外れるため、症状のある分野の専門診療科を受診しています。
編集部
今まで、どのような薬を使いましたか?
ロミさん
幼少期は便秘改善の漢方、現在は逆に仕事に支障が出ないように下痢止めの薬である止瀉薬(ししゃやく)を使うことが多いです。
脊髄髄膜瘤と日常生活
編集部
生活の中で困ることは何ですか?
ロミさん
健常者とは違う点で言えば、まず、尿を自力で出すことができず、医療器具に頼るしかありません。学生時代、制限が多い集団生活では、苦労する場面がたくさんありました。その医療器具が無いと命取りになるので、忘れた時の絶望感も何度も経験しました。次に、お尻から太腿の裏側にかけて感覚の麻痺があり、皮膚のダメージにも気が付かないため注意が必要なことです。
編集部
手術跡や体調の不調の様子などを見られることに抵抗はありせんでしたか?
ロミさん
昔は、体にある大きな手術跡や症状を周囲に知られたくなかったため、どういう時に体調が悪くなり、その際はどのように隠すかを自分自身を実験台に試行錯誤を繰り返していました。その経験から“自分をよく知ること”の習慣がついたと思います。現在となっては、その習慣と考え方が、障がいをもつ私自身を1番助けてくれています。
編集部
現在、お仕事はどのようにされていますか?
ロミさん
就職すると体調が悪くても休むことが難しく、嫌味を言われて泣くことも多々あり、退職した経験もあります。それでもどうにか病気に理解のある会社で長い間お世話になることができ、自分のペースで働いていました。その後、薬で体調をコントロールしながら働く方法を見つけられたことで、現在はヨガインストラクターとして独立しています。周りのサポートのおかげで自由に仕事ができる環境にいるので、仕事に苦労はありません。
編集部
治療を続ける中での心の支えは、何でしたか?
ロミさん
家族ですね。子どもの頃から病院が身近だった私にとって、手術や検査は怖いものではありませんでしたが、高熱、通院、手術、その度にいつも以上に優しかった家族がそばにいてくれたから頑張れたと思います。息子や従兄弟が送ってくれる日常写真、動画に元気をもらっていました。
編集部
もし昔の自分に声をかけるとしたら?
ロミさん
自分の観察を続けてくれてありがとう。おかげで私は現在、とても生きやすいです。
脊髄髄膜瘤と一生かけて付き合っていく術
編集部
この病気で思いがけない出来事はありましたか?
ロミさん
この病気は治るものではないので、一生かけて付き合っていきます。今も昔も症状は変わりませんが、皮膚感覚が麻痺している部分は筋肉が弱いため、出産を機に子宮脱(子宮が腟から脱出してしまう病気)となり、子宮摘出になったのは、まさかの出来事でした。もちろん全員がそうなるわけではないと思いますが……。
編集部
あなたの病気を知らない方へ、一言お願いします。
ロミさん
脊髄髄膜瘤という病名を調べたとき、書かれている説明だけを見て、重い気持ちになるかもしれません。でも、絶望しかないとは思わないでください。先天性疾患は、普通の方からすると可哀想に思えるのかもしれません。しかし私たちにとってこれが普通であり、「苦労=不幸」ではありません。無いことのおかげで、有ることのありがたみを感じます。「障がい・病気=悪」と決めつけないでください。当たり前に感謝できる生き方は、毎日に気付きがあります。私は現在の自分が誇りであり、幸せです。
編集部
産んでくれた親御さんへ、伝えたいことがあるそうですね。
ロミさん
この病気は妊娠中の葉酸不足で起こることがある、という記事をよく目にします。この一言が、どれだけ母親に責任や悔しさ、親族への肩身の狭さを感じさせたことか。私は母から「ごめんね」とか「かわいそうな子」と思われたくありません。「障がいをもつ勇気をもって生まれた自慢の子」と笑って言ってほしいですね。
編集部
医療関係者に望むこと、伝えたいことはありますか?
ロミさん
地域性かもしれませんが、この病気を総合的に診てもらえる病院がなかなかありません。泌尿器は泌尿器科、四肢は整形外科、運動は脳神経内科・外科、子宮下垂は婦人科。どこを受診しても脊髄髄膜瘤による症状だと説明しないとわかってもらえないことが多々あります。脊髄損傷による各症状のバラつきに対して、通院治療が大変です。
編集部
最後にメッセージがあればお願いします。
ロミさん
「病気になったから何かを失う」「障がいがあるから仕事も恋愛もできない」「なぜ自分ばかりがこんな目に合うんだ」など、病気を抱える人には、いろいろと想うところがあると思います。人は失うものばかりに目が行きやすく、今あるものや実は得ていたものには気付きにくいものです。病気が無くても、別のことで大変な思いをし、悩むことは誰にでもあります。障がいや病気を理由に、自分を不幸のベールに包まないでほしいです。乗り越えるために強くなった自分、弱った自分を影で支えてくれる人たち、ほかの人が経験していない体験を伝えることができる自分、これらを強みとできればいいと思っています。
編集部まとめ
この疾患は生まれながらにして持っているため、患者さん本人にとっての「普通」は、病気を持っていない方の「普通」とは考え方や捉え方が違います。先天性疾患だからといって不幸ではなく、無いことに目を向けず、日々当たり前に有ることに感謝しながら生活されています。あらゆる事を言い訳にせず、強く生きていく姿に勇気づけられる方も多いのではないでしょうか。