【闘病】がんの母と指定難病の息子。「二人とも助かる道とは」絶望から再生の14年

原因不明の症状に苦しんだ脩也さんは、6歳で「ジストニア」と診断されました。症状は徐々に進行し、意思表示さえ困難に。母・照代さんは、がんの闘病と息子の介護を同時に抱えながら、治療法の見えない日々を送りました。「どうすればいいのかわからなかった」絶望と闘いながら歩んだ親子の壮絶な記録とは。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年12月取材。

話者プロフィール:
槙原 照代(写真右)
大阪市在住。息子の脩也さん(闘病者、1997年生まれ/写真左)と2人暮らし(長女が2010年に病気で他界)。脩也さんは幼少期にストレスが原因と思われる発語困難となり、徐々に身体の動きにも制限がかかっていった。初期に症状が出てから、4年程は病名不明だったがさまざまな病院を回り、6歳のときにジストニアと診断される。

記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
目次 -INDEX-
母の入院を機に言葉が出なくなった幼少期

編集部
ジストニアとはどのような病気ですか?
照代さん
ジストニアは運動障害の一つで、筋緊張がおこり、さまざまな部位に異常や不随意運動がでます。症状の出方は、部分的に出る場合もありますが、全身に現れる場合もあります。またパーキンソニズムを伴うものもあります。
編集部
脩也さんの病気が判明した経緯について教えてください。
照代さん
2000年、脩也が2歳7か月の時に、私はがんの手術で1か月半入院することになりました。急に母親がいなくなったことによるストレスなのか、それまで話せていた単語が全く話せなくなったのです。3歳児健診でも、言葉の部分でひっかかりました。
編集部
病院には行かれていたのですか?
照代さん
小児言語外来や小児神経科にも通院しましたが、言葉が出ないまま、2001年に療育手帳を交付されました。2002年1月に保育園でお遊戯会の練習をしていましたが、ストレスで口が開いたまま閉じなくなりました。ご飯も食べられなくなり、2002年2月末から1か月入院。たくさんの検査を受けましたが、結局原因はわかりませんでした。退院時は刻み食と流動食になっていました。
編集部
いつ病名がわかったのですか?
照代さん
2002年4月からは、保育園を辞め、知的障がい児の園に通うようにしました。そうしたら、ストレスも無くなり、ご飯も以前のように1人で普通の食事を食べるようになったのです。2003年3月には、2歳年上の脩也の姉が、同じ症状で口が開いたまま閉じられなくなり、入院しました。そこで「ジストニア」の診断を受けたので、脩也も同じ症状があったため調べてもらったところ、6歳のときに同じ病気・ジストニアと診断されました。
ジストニアの症状は徐々に進行する

編集部
脩也さんの病気が判明したときの心境について教えてください。
照代さん
「ジストニア」という名前は初めて聞いたので、とても戸惑いました。意味が分からず、どうしていけば良いのか困惑しました。痛みで苦しんでるのを和らげてあげる薬もなく、ただ見ていることだけしかできずに辛かったです。
編集部
ジストニアの症状は一部軽減することもあると聞きましたが、脩也さんはどうでしたか?
照代さん
姉の病気が進行して、2004年から長期入院することになりました。私が付きっきりの状態だったので、脩也は祖父母に見てもらっていました。これが更にストレスになったのか、精神不安定になってしまいました。2007年2月(9歳)頃から、歩行が困難になり、転倒が増えたので、同年8月(10歳)から脩也は車椅子を利用することになりました。
編集部
徐々に症状は悪化していったのですか?
照代さん
精神不安定から自傷行為や頻尿、よだれ、口が閉じられない症状も出だし、身体が右に傾くようになりました。やがて、娘と脩也が一緒に入院し、薬もいろいろ試してもらいましたが、なかなか良い結果はでなかったですね。2009年にジストニア専門外来を見つけましたが、結局ハッキリとした治療策はわからないままでした。2010年6月に私のがんが再発し、入院することになりました。それを機に、また脩也の症状は進行してしまったのです。
編集部
進行して、どのような状態になったのでしょうか?
照代さん
それまでは、言葉が発せない代わりに、携帯補助会話装置や文字盤で意思表示をしていたのですが、右手も動かなくなってしまい、それもできなくなりました。意思表示ができなくなった分、さらにストレスが溜まり、腸閉塞で緊急入院となりました。
※この記事はメディカルドックにて『【闘病】出来たことが出来なくなっていく息子。原因不明の「ジストニア」』と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。