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【闘病】原因不明の目眩と嘔吐がまさか「多発性硬化症」妊娠中や出産後も再発

 更新日:2024/07/12
【闘病】原因不明のめまいと嘔吐がまさか「多発性硬化症」…妊娠中や出産後も再発

脳や脊髄、視神経のあちらこちらに病巣ができ、感覚の障害や運動・歩行の障害などさまざまな症状が表れ、再発と寛解を繰り返す「多発性硬化症」。今回お話を聞いたのは、多発性硬化症を発症後、闘病生活を送りながら二人の子どもを育てる横道麻理香さんです。病気の発症は高校を卒業した直後だったそうですが、初めはなかなか診断がつかず、不安の中過ごされていたそうです。交通事故がきっかけで病名が判明したという横道さんの闘病生活についてお話を聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年5月取材。

横道さん

体験者プロフィール
横道 麻理香

プロフィールをもっと見る

1992年生まれ。夫、長男、長女の4人暮らし。千葉県在住。高校卒業後に目眩や嘔吐といった症状を発症したものの、耳鼻科や神経内科でも原因はわからず。そんな中、原付に乗っているときに巻き込み事故に遭う。その後の診断で、多発性硬化症と判明。それから症状が進行し、24歳でロフストランド杖、29歳で車椅子の生活になる。車椅子になる前に第一子を出産し、2年後には第二子を出産。

村上 友太

記事監修医師
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

原因のわからない不調、押し寄せる不安

原因のわからない不調、押し寄せる不安

編集部編集部

まず初めに、発症の経緯を教えてください。

横道さん横道さん

ある朝起きると、回転性目眩で朝から夜まで嘔吐が続きました。東日本大震災の直後だったのでストレスと思い、翌日総合病院へ行ったのですが、原因がわからず。「思春期だから」とか「メニエール病かも」と言われ、耳鼻科を勧められました。しかしメニエール病ではなく原因も不明との診断で、今度は地元の神経内科を紹介されました。後日、神経内科へ1人で行ったのですが、そこでも原因はわかりませんでした。

編集部編集部

原因がわからない間、どのようなお気持ちでしたか?

横道さん横道さん

私はもう死ぬんだと本気で思いました。地元の神経内科の帰り道、泣きながら家まで歩いて帰ったことを今でも覚えています。「私がまだ未成年だから教えてもらえないのかな」とも思い、親には、「またわからなかった」と伝えました。

編集部編集部

そのような状況からなぜ病気が判明したのでしょうか?

横道さん横道さん

ある日、原付バイクに乗っている時に巻き込み事故にあい、MRI検査を受けました。回転性目眩で受診した総合病院でしたが、目眩の時に診てくれた先生ではありません。そのMRI検査の結果、以前からわからなかった不調の原因が判明し、すぐに紹介された市立病院に行きました。その日はゲリラ豪雨で、なんとなく胸騒ぎがしたので、初めて父親と一緒に病院まで行きました。それから後日検査入院をして、正式に「多発性硬化症」と診断されました。市立病院を紹介され検査入院、診断が確定するまで約6カ月間もかかりました。

編集部編集部

病気が判明したときの心境について教えてください。

横道さん横道さん

病気の名前がわかった時は本当にホッとしました。何もわからない状態が1番怖かったんです。事故があったおかげで私の病気が判明したことは、不幸中の幸いだったと思っています。

編集部編集部

どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?

横道さん横道さん

はじめはベタフェロンという自己注射を始めたのですが、途中で再発をしてしまい、治療薬のステロイドパルス療法に変更となりました。

編集部編集部

発症後、生活にどのような変化がありましたか?

横道さん横道さん

病気がわかった途端、どんどん調子が悪くなっていったように思います。今では外出する際に、オルトップという短下肢装具をつけ、車椅子移動をしています。

病気を抱えながらの妊娠・出産のリスクは?

病気を抱えながらの妊娠・出産のリスクは?

編集部編集部

車椅子はいつから使用しているのですか?

横道さん横道さん

年に1〜2回ほど再発をして入退院を繰り返すうちに徐々に進行してしまい、24歳でロフストランド杖に、29歳で外出時のみ車椅子になりました。車椅子になる前に第一子を産み、2年後には第二子を産みました。車椅子になったのは2人目を産んで半年後のことでした。

編集部編集部

出産について詳しく教えていただけますか?

横道さん横道さん

最初は病気の遺伝などが怖かったのですが、その確率は低いとのことで私は産むことを決めました。もしも障害のある子だったとしてもいっぱい愛してあげようと思いました。病気があっても子どもは産めますし、医師に反対されない限り可能です。

編集部編集部

出産する上でのリスクはなかったのでしょうか?

横道さん横道さん

リスクはありました。私は二回の妊娠どちらもハイリスク妊婦として大学病院に検診へ行っていました。上の子を出産後、1歳2カ月で再発、入院しました。下の子は妊娠後期の9カ月で再発し、MFICU(妊婦のICU)に入院しました。

編集部編集部

妊娠・出産の間、治療はいかがでしたか?

横道さん横道さん

まず、予防薬に関してですが、妊活をしたかったのでベタフェロンを中止し、妊娠中でも可能なコパキソン、産後はテクフィデラというカプセルの飲み薬を服用しました。しかし、産後1年2カ月で再発したため、タイサブリという月1回の点滴治療になりました。私的には1番これが自分に合っていると思っていたのですが、また再発……。今はケシンプタという予防薬で落ち着いています。始めてから今年の8月で1年です。ケシンプタは2人目が1歳になった頃に始めました。

編集部編集部

育児をするうえで気をつけていることはありますか?

横道さん横道さん

子どもはいきなりぶつかってくることもあるので、注意が必要です。また、家で転ぶといつも子どもに「大丈夫?」と心配されます。頼りない母親ですが、こういう私だからこそ子どもは優しくたくましくなるのではないかと思いますし、そうなって欲しいです。私のように難病があっても妊娠・出産はできると思うのですが、まずは自分が第一であることを忘れないでください。私が再発時、入院が嫌で拒否していたら、友人から「親が元気でないと子どもが1番困るんだよ」と言われました。それからは子どものためにちゃんと無理ない程度に元気にならなきゃと思うようになりました。

やりたいことは今のうちに。笑顔で病気を乗り越えたい

やりたいことは今のうちに。笑顔で病気を乗り越えたい

編集部編集部

闘病に向き合う上で心の支えになっているものを教えてください。

横道さん横道さん

今の夫です。夫と交際を始めた時はまだ症状はなく病気はわからず、私も元気でした。結婚する前から病気を理解してくれていて、検査の副作用で私が辛い時も支えてくれました。

編集部編集部

もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?

横道さん横道さん

もっと自分の身体に耳を傾けて!」「やりたいことは今のうちにやってね、私は今でもたまに全力疾走したくなるよ」ですね。

編集部編集部

現在の体調や生活などの様子について教えてください。

横道さん横道さん

私は24歳の時に発作が起こりICUに入ったことがありましたが、てんかんなどではなく、おそらく多発性硬化症の憎悪期と言われました。2カ月程で3回倒れてしまったこともあって、今はラミクタールを毎日1回1錠(100mg)飲んでいます。

編集部編集部

あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。

横道さん横道さん

見た目ではわからないですが、健康な人の倍は疲れを感じてしまいます。私は話すことが大好きですが、だんだん疲れてきてしまいます。何をするにも疲れやすいです。

編集部編集部

医療従事者に望むことはありますか?

横道さん横道さん

皆さん頑張ってくださっているのは重々承知していますが、予防薬ではなく完治する薬や後遺症を治せるお薬を見つけてほしいと思います。

編集部編集部

最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。

横道さん横道さん

病気の有無関係なく、誰にだって喜怒哀楽はあります。ですが、病気になってどれだけ辛くても、「笑顔」でいれば乗り越えられる気がします。病院の関係者や、病気になったことがきっかけの友達も増え、前向きになれる日はいつかきっと来ますよ。

編集部まとめ

闘病を続けながら二回の出産を経験された横道さんですが、「まずは自分の体が第一であることを忘れないでください」とおっしゃっていました。主治医としっかり相談した上で、どのように妊娠を目指していくかを検討していくことが大切ということがわかりました。病気でも子どもが欲しいと考えている方は、今回の横道さんのお話が参考になるのではないでしょうか。

この記事の監修医師