目次 -INDEX-

  1. Medical DOCTOP
  2. 医科TOP
  3. コラム(医科)
  4. 【闘病】「なんで私が?」 膝の僅かな違和感から始まった「多発性硬化症」

【闘病】「なんで私が?」 膝の僅かな違和感から始まった「多発性硬化症」

 公開日:2023/05/31
【闘病】「なんで私が?」 膝の僅かな違和感から始まった「多発性硬化症」

闘病者のYuriさん(仮称)は、多発性硬化症を20代で発症しました。現在はほとんど健常者と変わらずに生活できているYuriさんですが、そこまで回復するには長い時間が必要だったそうです。彼女がこれまでに味わった苦労や症状などについて話を聞かせてもらいました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年4月取材。

Yuri Saito

体験者プロフィール
Yuri Saito(仮称)

プロフィールをもっと見る

1970年代生まれの女性。20代半ばに右膝にわずかな違和感を覚えるも、ビタミン剤で改善が見られた。その2年後、再び同じ違和感に襲われ、次第に足を引きずらなければ歩くことも困難になった。詳細な検査を行い、神経内科を受診すると、即日検査入院となる。詳しい検査の結果、「多発性硬化症」と診断され、その後は闘病生活が続いている。現在は定期的に注射を打つことで症状は安定し、健常者とほぼ同じ生活を送れている。
https://www.instagram.com/yuri.s_ms/

村上 友太

記事監修医師
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

「放っておけばそのうち治る」と最初は軽く考えていた

「放っておけばそのうち治る」と最初は軽く考えていた

編集部編集部

まずはYuriさんが発症した多発性硬化症について教えてください。

Yuri SaitoYuriさん

多発性硬化症は脳や脊髄、神経など様々なところに病巣が発生し、目が見えなくなる、腕や足が痺れて上がらなくなる、熱い・冷たいといった温度がわからなくなるといった症状が表れます。日本国内では推定で2万人弱の患者さんがいるとされていて、女性に多い傾向があるそうです。私の場合も右膝の違和感で整形外科を受診したところMRIで脊髄に病変が見つかり、神経内科で詳細な検査のために入院することになって、多発性硬化症と確定診断されました。

編集部編集部

Yuriさんの病気が判明するまでの詳しい経緯を教えてもらえますか?

Yuri SaitoYuriさん

最初の症状と思われるのは、20代半ばに右足の違和感を覚えたことでした。太ももに触れると布を一枚挟んだような感触があって、整形外科を受診したところ、ビタミン剤を処方してもらいました。次第に症状は回復したので忘れていたのですが、2年ほど経って再び同じ症状が始まり、しかも前回よりも重くなっている印象でした。整形外科をもう一度受診して検査したところ、MRIに異常が見つかりました。より精密なMRI検査を受けたところ、いくつか病変が出来ていることもわかったのです。

編集部編集部

そのときには症状も変わっていたのでしょうか?

Yuri SaitoYuriさん

その頃には膝の締め付け、右足底部の感覚異常、温度感覚の麻痺などの症状も進んでいました。そして、神経内科を受診したところ即日検査入院となり、多発性硬化症という診断が確定したのです。

編集部編集部

多発性硬化症は、どのような治療を受けるのですか?

Yuri SaitoYuriさん

本来なら発症から間もない急性期はステロイドパルス療法で点滴を行い、炎症を抑制することから始めるそうです。その後は症状が安定してきたら、次は再発を予防するための薬を使用して、状態を維持するようです。しかし、私の場合は入院時に急性期を過ぎていたことからステロイドパルス療法は行わず、再発予防薬「ベタフェロン」を投与することになりました。退院後も数年間は、投与を続けていました。

編集部編集部

病気が判明したときはどのような心境だったのでしょうか?

Yuri SaitoYuriさん

宣告を受けたときは「なんで私が?」という思いで、頭が一杯になりました。当時は「放っておけば治る」「痺れは気のせい」程度に考えていたので、まさか聞いたこともない難病になるとは思っていませんでした。過去にも珍しい病気にかかったことがあるため、人生で二度も大きな病気になるとは思っていなかったからです。多発性硬化症が分かる前の年に「1リットルの涙」というドラマを観ていて、自分も最悪の結末を迎えるのではないかと悪い想像しかできませんでした。ネットでも悪い情報ばかり目についてしまい、落ち込む日々が続きました。

10年以上「再発なし」自分の姿が多くの人の励みになれば

10年以上「再発なし」自分の姿が多くの人の励みになれば

編集部編集部

16年前に発症されてから、現在はどのように過ごしているのですか?

Yuri SaitoYuriさん

多発性硬化症と診断されてから、入院中、退院後も再発予防薬の投与が続いたのですが、繰り返しの投与で皮膚の色素沈着や皮膚の硬化が現れたので、6年ほど前に薬が別の再発予防薬であるアボネックスに変更されました。現在もアボネックスを定期的に投与していますが、私の場合はその後の再発はありません。長時間歩くと足がこわばったり、ウートフ現象(体温上昇で一時的に神経症状が表れる)があったり、疲れが取れにくかったりしますが、それ以外は健常者と同様の生活ができています。

編集部編集部

仕事やほかにも色々な活動をされているそうですね。

Yuri SaitoYuriさん

発症当時は飲食店の立ち仕事でしたが、身体の負担を考えて時間を減らすなどの対応をしていました。現在は事務職として正社員勤務をしながら、インナービューティープランナーとしても活動しています。腸内環境を整えることも大事だと知って、SNSでインナービューティーダイエットを活かした食生活やお弁当レシピを投稿しています。日々の活動を紹介しているので、もしよければ見てもらえると嬉しいです(プロフィール参照)。

編集部編集部

Yuriさんにとって、治療中に心の支えになったものはなんですか?

Yuri SaitoYuriさん

入院中の母の言葉、そして友人からの言葉です。私は1歳半のころに当時症例の少なく珍しい病気に罹ったのですが、運よく病気について知っている医師に出会えたことで完治できました。母はその事実もあったので、「あなたは運がいいから大丈夫。絶対に再発はしない」と力強く励ましてくれました。また、友人からは毎年恒例の食事会で「もしも車椅子生活になっても、階段や段差で困ったときはおんぶしてあげるから大丈夫」と言ってくれて嬉しかったです。

編集部編集部

もしも昔の自分に声を掛けられるなら、どんな言葉を掛けますか?

Yuri SaitoYuriさん

「もっと自分の身体を大切にして」ですね。発症当時は仕事で責任ある立場だったことと、責任感が強い性格が災いして、仕事を休んで病院に行くという決断ができずにいました。むしろ入院が決まったときですら、仕事に行こうとしていたほどです。ですが、仕事は代わりの人がいても、自分の身体は自分しか守れないことを知りました。そういう学びを得たという意味では、良い機会だったと言えるかもしれません。

編集部編集部

多発性硬化症という病気と、この病気を知らない人に伝えたいことは何でしょうか?

Yuri SaitoYuriさん

多発性硬化症は再発と寛解(病状が落ち着くこと)を繰り返します。たとえ今日が寛解状態でも、明日には再発していてもおかしくありません。他人から見た目は健康に見えていても、身体にだるさを感じていることや不調を抱えている場合もあります。周囲の人には、そうした本人の辛さを理解していただけると嬉しいです。現在はヘルプマークの認知が少しずつ広がっていて、難病や身体に不自由を抱えている人が街中や電車内で身に付けていることもあります。ヘルプマークを付けている人が困っているのを近くで見かけたら、席を譲る、道を譲るなどをしていただけると助かることもあるので、そういう場面に出くわしたらお気遣いをお願いします。

編集部編集部

最後に本記事の読者向けにメッセージをお願いします。

Yuri SaitoYuriさん

多発性硬化症の患者さん以外にも、「病気だから……」と色々と諦めていることがあるかもしれません。私自身がそうでした。ですが、同時に病気になって気付けたこと、病気になったからこそ出会えた人もいて、決してマイナスだけではありませんでした。過去は変えられませんが、今に目を向けて、今の自分だからこそできることを探してこれからの人生を楽しんでいきましょう。

編集部まとめ

多発性硬化症はわずかな違和感から始まるため、「気のせいかな」と軽く考えてしまいがち。しかし、早期にしっかり治療することでYuriさんのように長年再発を抑え、自分のやりたいことをできるようにもなる人もいるようです。また、見た目ではわからなくてもヘルプマークを持ち、困っている人は身近にいるかもしれません。もしもそうした人が近くにいたら、自分に出来ることはないか声を掛けてみてください。気恥ずかしさがあり、勇気のいる行動ですが、一人の行動が周りの人の意識の変化にも繋がるのではないでしょうか。

この記事の監修医師