【闘病】20代でリウマチになり、YouTubeで情報発信を始めた女性(1/2ページ)

フィットネスインストラクターという、健康で活動的なイメージそのものの生活をしていた菅野さんが関節リウマチと診断されたのは結婚したばかりの20代の頃。「まさに絶望でした」と語る診断当時から、リウマチYouTuberとして自身の経験を発信するまでの経緯と気持ちの変化を取材しました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年10月取材。

体験者プロフィール:
菅野 沙紀
1990年生まれ。福岡在住。24歳の時にリウマチと診断される。YouTubeチャンネル「実は嫁がリウマチでして」にて、同病の方やそのパートナー向けに体験談など夫婦で配信中。

記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
リウマチは「温泉で見かける言葉」程度の認識

編集部
いつ頃から症状が出てきたのですか?
菅野さん
24歳の時です。寝起きに手指やかかとが腫れて痛む事がしばらく続いたのですが、動いていると良くなるのでただのむくみかと思っていました。当時、新婚だったのですが義母に話してみたところ「リウマチだった祖母の症状に似てる。病院で診てもらったら?」と言われて整形外科を受診しました。そこでは診断できず、リウマチ科のある病院を紹介され、エコー検査や血液検査などで何度か通ってやっとリウマチと診断されました。最初の受診から1〜2ヶ月経っていました。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
菅野さん
「原因不明で治らない病気と言われていましたが、今は薬の選択肢も沢山あります」と説明を受けました。さらには「若いうちは病気の勢いも強く進行も早いですが、菅野さんの場合、早期発見できたので今のうちにしっかり薬で抑えられれば、変形なども残らないでしょう。ただ体に負担がかかる事はなるべくしないように」と言われました。まずはメトトレキサートの服用を1錠からスタートして1ヶ月おきの血液検査の結果をみながら増薬し調整していきました。
編集部
そのときの心境について教えてください。
菅野さん
今まではフィットネスインストラクターの仕事をしていたぐらい健康が取り柄だったので、まさに絶望でした。「なんで私が?」と。温泉の効能で見かける単語というぐらいの印象で、リウマチについてよく知らなかったし、もっと年配の方がなる病気だと思っていました。趣味だった水泳やスノーボードは続けられるのか、妊娠や出産はできるのかなど、今後の人生への不安が大きかったですね。
編集部
情報がないというのは怖いですよね。
菅野さん
夫も一緒に親身になって考えてくれましたが、相談できる人もいなかったので、リウマチについて2人でネットで調べては、激しい関節変形の写真などが出てきて更に絶望するという負のループでした。リウマチの相談窓口があることやSNSで患者同士が繋がれることを当時知っていれば、もっと気が楽になっていたかもしれません。
身体的にも精神的にもボロボロだった

編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
菅野さん
転居したてだったので新天地でこれから就職活動をしようと思っていましたが、治療に専念するために諦めざるを得ませんでした。専業主婦になり、それまで活動的だった日々が一転、引きこもりの日々になりました。痛みが酷いとベッドから降りるのもやっとで朝は特に辛く、昼頃まで布団の中でもがいたり、夜は夜で痛みにうなされて寝付けない日もありました。料理や洗濯、掃除にも支障が出るようになり、夫だけでなく離れて暮らす家族にも心配や苦労をかけるばかりで、身体的にも精神的にもボロボロでした。
編集部
どうやって乗り越えたのですか?
菅野さん
1番近くで献身的に看病してくれる夫や、離れていても気にかけてくれる家族がいたので、病気や治療に前向きになることができました。支えてくれている人のためにも「周りに心配をかけなくて良いぐらい元気になりたい!まだまだ長い人生、諦めたくない!」という気持ちになりました。また、ネット上でリウマチを克服した方の情報を見つけて、これからの治療にも希望が持てるようになりました。
編集部
もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?
菅野さん
発症当時の落ち込んでいる自分に声をかけるとすれば、「諦めないで。未来はきっと明るいよ。あと、自分を責めないで。今までちょっと頑張りすぎちゃったからしばらくゆっくり休んでね」でしょうか。


