「1日8000歩歩くことで死亡リスクが下がる 」「筋トレは抗うつ薬より効果的 」──近年、運動の薬理効果に関する研究報告が相次いでいます。しかし、「エクササイズ・イズ・メディシン(運動は薬) 」という概念は、実は1960年代から存在していたことをご存じでしょうか? 心臓リハビリテーションの専門医・上月正博先生は、30年以上前からこの考え方に基づいて治療に取り組んできました。運動療法が薬物治療と同等、時にはそれ以上の効果を発揮する科学的メカニズムとは? そして、なぜ運動の効果は「伝わりにくい」のか? 豊富な臨床経験を持つ専門医が、運動処方の真実に迫ります。
監修医師 :上月 正博 (山形県立保健医療大学 理事長)
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1981年東北大学医学部卒業。循環器内科医・腎臓内科医として心臓リハビリテーション領域などのパイオニアとして活動。2000年から2022年まで東北大学大学院医学系研究科内部障害学分野教授として日本心臓リハビリテーション学会理事としてその発展に大きく貢献し、現在会員数1万6千人を超える同学会の重要な役割を担った。運動療法の科学的エビデンス確立に尽力し、「運動は薬」という概念を40年以上前から実践。2022年より現職。国際腎臓リハビリテーション学会理事長、日本腎臓リハビリテーション学会理事など多数の学会で要職を歴任。2018年ハンス・セリエメダル、2022年日本腎臓財団功労賞受賞。東北大学名誉教授。
「エクササイズ・イズ・メディシン」は新しくない?──40年前から存在した概念
編集部
最近「エクササイズ・イズ・メディシン」という言葉をよく耳にしますが、これは新しい概念なのでしょうか?
上月先生
じつは、
米国では「エクササイズ・イズ・メディシン」や「エクササイズ・イズ・ポリピル」という概念は1960年代から存在しており、決して新しいものではありません。 私自身も1981年の卒業時からこの言葉を知っていました。「エクササイズ・イズ・メディシン」は、論文タイトルとしては1996年にElrickがPhys Sportsmedに発表し、組織としては2007年に米国スポーツ医学会が設立しました。研究者が変わることで新しく聞こえるだけで、
運動療法の重要性は以前から認識されていた のです。
私が心臓リハビリに関わるようになったのは、1981年の研修医時代です。東京女子医科大学で研鑽してきた医師が在籍した福島県いわき市医療センターの循環器内科に所属したときに、運動負荷試験※1や心臓リハビリが積極的におこなわれている環境に身を置きました。
※1 運動負荷試験:心臓に運動による負荷をかけて心機能を評価する検査
編集部
先生が最初に運動療法の意義と効果を実感されたのはどのような場面だったのでしょうか?
上月先生
当時、糖尿病科などほかの診療科での運動指導は曖昧でしたが、循環器内科での運動負荷試験に基づいた科学的かつ具体的な指導は患者さんに非常に喜ばれました。 これが、運動療法の意義と効果を実感した最初の経験でした。
「なぜこんなに効果があるのか」「なぜ患者さんがこんなに喜ばれるのか」─その理由を探究していくうちに、運動の持つ多面的効果の奥深さに気づいたのです。単なる体力向上ではなく、血管機能の改善、自律神経の調整、炎症の抑制など、まさに薬と同じような生理学的変化が運動で起こっていることが分かってきました。
編集部
心臓リハビリが医療として認められるまでには、どのような変遷があったのでしょうか?
上月先生
わが国で心臓リハビリに対して診療報酬が認められたのは1988年です(心疾患理学療法料)。大きな転換点は、
心筋梗塞に対するステント治療※2の登場でした。当初、血栓溶解療法などの効果は限定的でしたが、ステント治療により多くの患者さんを救えるようになりました。しかし、初期のステントには再狭窄※3の問題があったのです。
そこで心臓リハビリの重要性が再認識されました。アメリカからの論文で、
ステント治療をおこなうより運動療法のほうが長期的な心筋梗塞の再発防止に有効であるという報告が出され、心臓リハビリが治療として重要視されるようになった のです。その後、ステントは改良されて再狭窄のリスクは大幅に低下しましたが、心臓リハビリは心筋梗塞や狭心症のみならず、慢性心不全、大血管手術後、末梢動脈疾患などでも有効性が証明されるようになり、現在では、循環器のガイドライン※4でも心臓リハビリのエビデンスレベルが高く評価され、重要な治療法として位置づけられています。
※2 ステント治療:狭くなった血管を金属製の網状の筒で拡張する治療法
※3 再狭窄:一度治療した血管が再び狭くなること
※4 ガイドライン:医療従事者向けの診療指針
なぜ運動の効果は「伝わりにくい」のか?──複雑性と経済性のジレンマ
編集部
運動療法の効果が科学的に証明されているにも関わらず、一般の人に伝わりにくいのはなぜでしょうか?
上月先生
これは非常に重要な問題です。運動療法が多くの効果を持つ一方で、そのメカニズムの曖昧さや複雑さゆえに一般の人に伝わりにくい側面があります。
西洋医学では通常、一対一の因果関係で理解されます。「この薬がこの症状に効く」 という具合にですね。しかし、運動療法は単一のメカニズムで一つのパラメータを改善する薬とは異なり、多様な効果を同時に発揮します。 この複雑さが理解されにくく、むしろ曖昧さと捉えられる結果、信頼性に乏しいと誤解されやすく、行動変容を促すのが難しい要因となっています。
編集部
具体的にはどのような効果が同時に現れるのでしょうか?
上月先生
例えば、運動による効果には、運動耐容能の改善や微細血管レベルでの血流改善、末梢血管の拡張、NO(一酸化窒素)の産生促進、自律神経バランスの改善、糖尿病(血糖値)や高血圧(血圧値)などの生活習慣病の異常値改善、血管壁の保護 などがあります。
これだけ多岐にわたる効果を一度に説明しても、「結局何に効くの?」という疑問を持たれてしまいがち です。薬のように単純に「血圧を下げる」「血糖値を下げる」といった単純明快な説明ができないのが、運動療法の伝わりにくさの原因でもあります。
編集部
経済的な観点から見ると、運動療法はどのような位置づけになるのでしょうか?
上月先生
運動療法は安価でありながら多くの効果をもたらすため、経済学的な見地からももっと推奨されるべき です。しかし、その効果が医療費の抑制に直接結びつきにくい現状があります。また、運動療法の効果は健康の人にもあるわけで、運動療法の医療費対象を拡げすぎると、むしろ医療費の増加につながってしまう可能性があります。
そのような理由から医療費の対象を絞らざるを得ず、重症患者には診療報酬の点数がつきますが、軽症者や予防段階では自己負担となることが多いのです。これは制度上の課題でもあります。私は一般の人に運動療法の効果を伝える際、寿命の延長という側面に焦点を当てることが、最もインパクトが大きいと考えています。例えば、喫煙と寿命の関連を例に挙げると、単に「健康に悪い」と伝えるだけでなく、「平均寿命が○年短くなる」という具体的なデータを示すことで、より強いインパクトを与えられます。
個人差を考慮した「運動処方」の実践──FITT-VP原則の重要性
編集部
具体的な運動処方について、個人差をどのように考慮すべきでしょうか?
上月先生
運動処方においては、
FITT-VP原則 ※5が非常に重要です。従来のFITT原則(頻度・強度・時間・種類)だけでは、運動強度が低く、時間の短い運動ですませてしまう傾向があり、運動が本来有する十分な効果が得られない場合がありました。
そこで重要になるのが、V(ボリューム:頻度×強度×時間)とP(プログレッション:漸進性/リビジョン:修正)の概念です。
ボリュームが運動効果を決定するわけであり、ボリュームを安全かつ効果的に運動強度や時間を上げていくプログレッション/リビジョンに努める必要があります。
※5 FITT-VP原則:Frequency(頻度)、Intensity(強度)、Time(時間)、Type(種類)、Volume(量)、Progression /Revision(漸進性・修正)を考慮した運動処方の原則
編集部
この運動処方の考え方は、薬の処方と似ているとお聞きしました。詳しく教えてください。
上月先生
この考え方は、薬物療法における用量調整と非常に似ています。最初は副作用がでないか確認するために低い強度や短い時間から始め、副作用がなく安全であることを確認したら用量を徐々に増やしていく。 2019年に運動療法も薬物療法と同じように処方内容が明確化されたことは、大きな進歩でした。
薬を処方するときも、患者さんの年齢、体重、腎機能、肝機能などを考慮して用量を決めますよね。運動処方も全く同じで、その人の心機能、運動能力、年齢、合併症などを総合的に判断して、最適な「用量」を決める のです。
編集部
特別な配慮が必要な人への対応はいかがでしょうか?
上月先生
例えば、膝の痛みがある人には、膝に負担をかけずにできる運動をおすすめします。 椅子に座って膝を伸ばす運動や、プールでのウォーキングが効果的です。
プールでのウォーキングは、浮力により関節への負担が少なく、水圧による抵抗が筋力トレーニングにもなります。また、高齢化に伴い心臓病や腎臓病など複数の疾患を抱える人が増えていますが、運動療法はこうした重複障害を持つ方々の予後改善にも有効です。
個々の患者さんの状態に合わせて運動処方を調整し、特にボリュームを意識して増やしていくことが重要 です。定期的に運動量を見直し、必要に応じて修正することも大切ですね。
海外との比較と今後の展望──集中リハビリから自立支援へ
編集部
日本の心臓リハビリは、海外と比較してどのような特徴があるのでしょうか?
上月先生
1997年にアメリカで世界的に有名な心臓リハビリ施設を見学した経験があります。そこでは、廃校となった施設を利用し、温水プールや体育館を活用したリハビリテーションがおこなわれていました。興味深いのは、保険適用が30回までで、その後は自立を促すシステムだったこと です。
アメリカでは集中的なリハビリテーションをおこない、その後はほかの場所で継続するという考え方が一般的 です。一方、日本では比較的長期間の医療管理下でのリハビリテーションが可能ですが、これには一長一短があります。
編集部
アメリカのシステムと日本のシステム、それぞれのメリット・デメリットとはどのようなものでしょうか?
上月先生
アメリカのシステムのメリットは、集中的に効果的な運動方法を学び、短期間で自立を促すこと です。患者さんも「30回で卒業」という明確なゴールがあるため、モチベーションを維持しやすい面があります。
一方、日本のシステムは、より長期間にわたって医療従事者がサポートできるため、安全性が高く、個々の患者さんの状態変化にきめ細かく対応できます。 ただし、医療依存になりがちで、自立への移行が遅れる場合もあります。ドイツの循環器疾患の2次予防施設ヘルツグルッペを参考に、日本でも同様の施設(メディックスクラブ)が展開されています。各国の医療制度や社会情勢に応じて、最適なシステムを構築していく必要がありますね。
編集部
今後の心臓リハビリテーションの課題と展望についてお聞かせください。
上月先生
現在、遠隔地の患者さんの通院困難や、患者さんのモチベーション維持が大きな課題 となっています。遠隔リハビリの保険適用についても議論されていますが、医療費の問題から国の対応は慎重です。
一方で、最近は腎臓リハビリテーションへの関心も高まっています。 私の著書がAmazonの健康雑誌で腎臓分野1位を獲得したように、心臓以外の臓器疾患に対する運動療法への注目も集まっています。重要なのは、臓器疾患があっても運動能力が高い人は長生きするということです。1日の歩数が寿命を予測する重要な指標となることが分かっており、呼吸器疾患の患者さんでも同様の傾向が見られます。
運動療法は寿命を延ばす効果が期待できる数少ない手段の一つ です。安価で手軽に取り組めるにもかかわらず、その効果は絶大です。ただし、患者さん自身の努力が必要で、いかにモチベーションを維持していただくかが今後の大きな課題だと考えています。
編集部まとめ
今回のインタビューで最も印象深かったのは、「エクササイズ・イズ・メディシン」が決して新しい概念ではなく、40年以上前から実践されてきた治療法だという事実でした。流行に左右されない、確固たるエビデンスに基づいた医療として、心臓リハビリテーションが発展してきたことがよく理解できました。
運動療法の効果が「伝わりにくい」理由として、その複雑性が挙げられたのも興味深い指摘でした。薬のように単純明快な効果ではなく、多岐にわたる健康改善効果を同時に発揮するからこそ、その価値を正しく伝えることが重要だと感じました。
引用論文:
Anderson L, et al. Exercise‐based cardiac rehabilitation for coronary heart disease. Cochrane Database Syst Rev. 2021;11:CD001800.
Myers J. Exercise Capacity and Prognosis in Chronic Heart Failure. Circulation. 2009;119(25):3165-3167.
Green DJ, et al. Exercise training enhances endothelium-dependent dilatation in healthy young men. J Am Coll Cardiol. 1999;33(5):1381-1386.
Saltin B, et al. Response to exercise after bed rest and after training: a longitudinal study of adaptive changes in oxygen transport and body composition. Circulation. 1968;37/38(suppl VII):VII-1–VII-78.
Riebe D, Ehrman JK, Liguori G, Magal M. ACSM's Guidelines for Exercise Testing and Prescription. 10th ed. American College of Sports Medicine; 2017.
上月 正博 医師(山形県立保健医療大学 理事長)
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1981年東北大学医学部卒業。循環器内科医・腎臓内科医として心臓リハビリテーション領域などのパイオニアとして活動。2000年から2022年まで東北大学大学院医学系研究科内部障害学分野教授として日本心臓リハビリテーション学会理事としてその発展に大きく貢献し、現在会員数1万6千人を超える同学会の重要な役割を担った。運動療法の科学的エビデンス確立に尽力し、「運動は薬」という概念を40年以上前から実践。2022年より現職。国際腎臓リハビリテーション学会理事長、日本腎臓リハビリテーション学会理事など多数の学会で要職を歴任。2018年ハンス・セリエメダル、2022年日本腎臓財団功労賞受賞。東北大学名誉教授。