肺がんの1〜2%に発症する「ROS1融合遺伝子陽性肺がん」とは?治療の現状と課題を専門医が解説

ROS1(ロスワン)融合遺伝子陽性の切除不能な進行・再発の非小細胞肺がんに対する新薬「イブトロジー(一般名:タレトレクチニブ)」の発売記念プレスセミナー(日本化薬株式会社主催)が2025年11月20日、開催され、対象となる希少な肺がんの現状と治療課題について専門家が解説しました。
「多くの肺がんはタバコが原因ですが、タバコを吸っていなくても肺がんを発症する患者さんは多い」と近畿大学医学部内科学教室腫瘍内科部門の林秀敏教授は説明します。その原因の一つが、今回取り上げる「ドライバー遺伝子変異」です。本稿では、林教授の講演をもとに、非小細胞肺がん全体の約1~2%を占めるROS1融合遺伝子陽性肺がんについて、その発生メカニズム、特徴、そしてこれまでの治療における課題をわかりやすく解説します。
目次 -INDEX-

監修医師:
林 秀敏(近畿大学医学部)
非小細胞肺がんの1~2%を占める希少タイプ
非喫煙者にも発症する肺がん
肺がんは罹患数で全がん中2位、死亡数では1位を占める深刻な疾患です。特に遠隔転移のあるステージ4の患者さんの5年生存率は6.4%とされています。一方で、近年は遺伝子検査に基づく分子標的治療薬の開発が進み、治療成績は着実に向上しています。
肺がんといえば喫煙が原因というイメージが強いかもしれません。しかし実際には、タバコを吸わない人でも肺がんは発症します。林教授は「私の外来でも約半分がそういう状況」と語り、特に東アジア地域では女性の非喫煙者に肺がんが増えていると指摘します。
非喫煙者が肺がんになる理由の一つが「ドライバー遺伝子変異」と呼ばれる遺伝子の異常です。ドライバー遺伝子とは、がんの発生・進行の直接的な原因となる遺伝子のことです。
私たちは、正常な細胞が増殖と死のバランスを保ちながら生きています。しかし、遺伝子に傷が何個も重なると、細胞は「がん化」してしまいます。がん化した細胞は、止まることを知らず無制限に増え続け、さらに肺から肝臓や脳など他の臓器へと転移・浸潤していきます。
肺がんは組織型から「小細胞がん」と、腺がん、扁平上皮がん、大細胞がんからなる「非小細胞がん」に分類されます。肺がん全体の8~9割を非小細胞がん占めており、そのうち約半数にドライバー遺伝子変異が見つかります。最も多いのはEGFR(上皮成長因子受容体)の遺伝子変異で、東アジアでは非小細胞がんの40~55%を占めます。一方、今回取り上げるROS1融合遺伝子陽性は1~2%と非常に希少です。林教授も「新しく診る患者さんは年に1人か2人」という状況だといいます。
国内の推定患者数は2800~5600人
ROS1融合遺伝子陽性肺がんは、非小細胞肺がん全体からみると少ない割合ですが、そもそも肺がん患者数が非常に多いため、実際の患者数は決して少なくありません。
国内の肺がん患者数は約32万8000人と推定されており、そのうちの2800~5600人がROS1融合遺伝子陽性肺がんの患者さんと考えられます。林教授は、パーセンテージは少なくても、数千人規模の患者さんが国内にいることを強調しました。
ROS1融合遺伝子陽性とは
2つの遺伝子が合体して起こる異常
ROS1遺伝子は、私たちの体にもともと存在する遺伝子です。これは「受容体型チロシンキナーゼ」という酵素の一種を作り出すための遺伝子で、林教授は「端的にいうと、細胞を増やすためのスイッチ」と表現します。この遺伝子は単体では悪さをせず、実は本来の働きもまだ完全には解明されていません。
問題となるのは「ROS1融合遺伝子」です。これは、ROS1遺伝子と別の遺伝子(パートナー遺伝子)が合体してしまった状態を指します。パートナー遺伝子にはCD74、EZR、SLC34A2など複数の種類が確認されています。
増殖スイッチが入りっぱなしになる
では、融合遺伝子ができると何が起こるのでしょうか。林教授はこう説明します。
「ROS1遺伝子というのは、例えば誰かがボタンのスイッチを押していないと増殖のシグナルが働きません。ところが、パートナー遺伝子が合体するとスイッチが押しっぱなしの状況になるのです」。つまり、本来は必要なときだけ働くはずの細胞増殖のスイッチが、常にオンの状態になってしまい、細胞は際限なく増え続けます。これががん化のメカニズムです。
なぜ治療が難しいのか
脳に転移しやすい特性
ROS1融合遺伝子陽性肺がんの治療を難しくしている要因の一つが、脳転移の多さです。
肺がんはもともと脳転移を起こしやすいがんですが、ROS1融合遺伝子陽性の患者さんでは特にその傾向が顕著です。一方で、林教授は「抗がん剤というのは一般的に脳には浸透しにくい」と説明します。このため、せっかく肺の腫瘍には効いている薬でも、脳転移に対しては効果が限定的になってしまうことがありました。
薬が効かなくなる「耐性化」
もう一つの大きな課題が「耐性化」です。分子標的治療薬は当初は非常によく効くことが多いのですが、時間がたつと効かなくなってしまうことがあります。
耐性化の原因には、ROS1遺伝子自体の形が変わってしまう「二次変異」があります。林教授は「ある日突然鍵穴の形が変わって、今までの鍵が刺さらなくなる」と表現します。薬という「鍵」がROS1というタンパク質の「鍵穴」に合わなくなり、効果がなくなってしまうのです。
そのほかにも、別の遺伝子が活性化したり、肺がん細胞の性質自体が変化したりと、さまざまなパターンがあることがわかっています。
これまでの治療薬と限界
3種類のROS1阻害薬
ROS1融合遺伝子陽性肺がんに対しては、国内でこれまで3種類の治療薬が使用可能でした。いずれも「ROS1阻害薬」と呼ばれる分子標的治療薬です。
最初に登場したのがクリゾチニブで、奏効率(がんの大きさが30%以上減少した割合)は69%と高い数値を示しました。続いてエヌトレクチニブが登場し、奏効率75.8%、無増悪生存期間(がんが進行せずに安定している期間)は15.7カ月という成績でした。さらに近年ではレポトレクチニブも使えるようになり、奏効率77.8%を示しています。
効果と副作用の課題
しかし、これらの薬剤にはいくつかの課題がありました。
まず効果の持続期間です。クリゾチニブでは無増悪生存期間が1年半から2年弱程度、エヌトレクチニブでも15.7カ月であり、「よく効くが、いずれ効かなくなってしまう」と林教授は指摘します。また、一度ROS1阻害薬が効かなくなった患者さんに対しては、次の薬剤でも効果が3~4割程度に低下してしまうことも課題でした。
副作用の面でも問題がありました。クリゾチニブでは視覚障害(目が見えにくくなる、まぶしくなる、色の見え方が変わるなど)や吐き気、嘔吐、下痢といった症状が報告されています。エヌトレクチニブやレポトレクチニブでは、浮動性めまい(ふらふらする感覚)や味覚障害が高い頻度で見られました。
林教授はこの副作用について、ROS1阻害薬がROS1だけでなく神経に多く発現する「TRK」という別のタンパク質も一緒に阻害してしまう「オフターゲット効果」が原因だと説明します。つまり、「ROS1に対する薬がTRKまで阻害してしまう」という問題があるため、めまいや感覚異常といった神経系の副作用が起きやすかったのです。
このように、ROS1融合遺伝子陽性肺がんの治療には、脳転移への効果、耐性化への対応、副作用の軽減という複数の課題が残されていました。
編集部まとめ
ROS1融合遺伝子陽性肺がんは、非小細胞肺がん全体の1~2%を占める希少なタイプですが、国内には推定2800~5600人の患者さんがいます。非喫煙者にも発症し、脳転移を起こしやすく、治療薬への耐性化も課題となっていました。これまで3種類のROS1阻害薬が使用されてきましたが、効果の持続期間や副作用の面で改善の余地がありました。次の記事では、新たに登場した治療薬「イブトロジー(一般名:タレトレクチニブ)」がこれらの課題をどの程度解決できているかといった点を解説します。
関連情報
主催:日本化薬株式会社
イベント名:イブトロジー発売記念プレスセミナー
開催日 2025年11月20日



