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「高額療養費問題」で奔走した患者会代表が“自らがん”になり見えた景色と「ホッとした」わけ

 公開日:2026/01/22
高額療養費問題で奔走した患者会代表が自らがんになり見えた景色と「ホッとした」わけ

「2人に1人ががんになる」と言われる時代。スキルス胃がんで2016年に夫を亡くし、10年以上患者・家族支援の最前線で活動してきた轟浩美さんは、自らも胆のうがんと診断され、それを公表した上で活動を続けています。がんになって「ホッとした」という意外な言葉の真意、高額療養費制度の患者負担上限額変更の見直しを訴え石破茂首相(当時)と面談するまでの軌跡、そして「賢い患者にならなくていい」というメッセージなど、当事者として今、伝えたいことについてうかがいました。

轟さん


轟 浩美(とどろき ひろみ)

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一般社団法人 igannet 代表理事・全国がん患者団体連合会事務局長。東京都出身、お茶の水女子大学卒業後、幼稚園教諭として勤務。夫をスキルス胃がんで亡くした経験を契機に患者・家族支援活動に関わり、10年にわたりスキルス胃がん患者家族会「希望の会」を主導、その後組織を解散し、がん患者支援の範囲を胃がん全体へと広げ igannet を設立。がん患者と医療者の情報格差是正や科学的根拠に基づく意思決定の促進、制度改善に取り組む。厚生労働省のがん対策推進に関与したほか、患者視点の政策提言や国際連携にも注力している。

「遺族」から「患者」へ——10年間の葛藤と、がん告知で感じた"解放"

「遺族」から「患者」へ——10年間の葛藤と、がん告知で感じた"解放"

編集部

ご主人をスキルス胃がんで亡くされた遺族として約10年間、患者会活動を続けてこられました。ご自身が胆のうがんと診断されたとき「ホッとした」とおっしゃったそうですが、それはどのような心境だったのでしょうか。

轟さん轟さん

患者会を運営していて「あなたは当事者じゃない」「抗がん剤の経験もないのに」と言われることが少なからずありました。「それはあなたから見た景色であって、本人が本当はどう思っていたかはわからないでしょう」と。「家族は第二の患者」と言われていても、やっぱり家族の声は二の次なんだと感じられてとても悲しく思いました。
12年前(2013年12月)に夫がスキルス胃がんと告げられたこと、実母を火事で亡くしたこと、長年勤めた職場を去らなければならなかったこと――患者会の活動を続けながら、さまざまな思いがずっと心の中に残ったままになっていました。
2025年は高額療養費制度の問題で奔走していて、気持ちが追いつかないまま引くに引けない状況でした。そのさなかで自分が胆のうがんと言われたとき、変な話ですが「ああ、こういう落としどころがあったんだ」と、やっと自分の運命を受け止められた気がしました。
実は夫も、スキルス胃がんと告げられたとき「ホッとした」と言っていたんです。このとき初めて、夫の言葉の意味がわかりました。半年ほど体調不良が続いて「なぜだろう」とずっと思っていたので、診断がついたとき「ああ、これだったのね」と腑に落ちたのです。予測がつかない、見通しが立たないことが一番怖いのだということや、患者になってみないとわからないことがあるのだと、そのとき実感しました。

治療を拒否しようとした理由、それでも治療に踏み切った決断

編集部

診断直後は治療を受けないことも考えていたそうですね。最終的に治療を決断されたのは、どのような心境の変化があったのでしょうか。

轟さん轟さん

夫を支えた経験やスキルス胃がんの患者会で、たくさんの方の副作用のつらさ、それでも寛解には至らない現実を見てきました。夫は「告知を受けた時“治療の意味”にとまどった」と言っていました。「命を1日、数カ月延ばすために、副作用で辛い毎日を過ごす意味がわからない。でも家族が悲しむ日を少しでも遠くにしたいから治療を受けるんだ」と。
そのことを思い出し、子どもたちも大人になっているし私は「もうやりきった」と思ったんです。消化器の専門知識もあるので、自分の状態がどういうことか理解できていましたから、治療しないという選択肢があってもいいはずだ、すべてから解き放たれたい、と思いました。
——そうした思いを押しとどめたのは、夫の母が存命であることでした。義母の血縁にはがんを患う人が多く、この10年で次々と見送ってきました。そんな中で私が治療もせずにいたら、ひどく傷つけてしまうことになったでしょう。義母がいなければ、治療を受ける決断はしなかったと思います。
治療を受けるかどうかは絶対的なものではなく、周囲との関係性の中で決まるものなんです。ACP(Advanced Care Planning:人生会議)も含めて、みんな周囲の人のことを考えている。「ただ生きたい」のか、「この子のために生きたい」のか、「誰かのために死ぬわけにはいかない」のか、それぞれ違って、「私だけの気持ち」では決められないと思います。

「賢い患者になりなさい」という言葉への違和感

編集部

患者会代表として知識も人脈もあったからこそ、適切な医療につながれた。一方で「ここにも格差がある」と痛感されたそうですね。

轟さん轟さん

今、国のがん対策は「誰一人取り残さない」が大きな柱になっていて、「早期からの緩和ケア」「診断時からの緩和ケア」など、言葉としては立派なものがあふれています。でも実際に自分が患者になってみると、「12年前と何も変わっていない」と感じました。
私は活動を通じて、がん相談支援センターの存在、がん診療連携拠点病院、治験、腫瘍精神科といった専門分野があることを知っていたので、自分から求めて支援につながることができました。でもこれは「知っていたから」可能だっただけで、構造は12年前と同じなんです。
病院に「相談支援室がありますよ」と看板が出ていても、何が不安かも言葉にできない状態では行こうとは思えません。特にがんと告げられた直後は心や体の痛みよりも、経済的なこと、家族に何を言えばいいのか、仕事はどうなるのかといった「社会的痛み」に覆い尽くされるんです。患者会の活動を通じてさまざまな知見を得てきた私でさえ、それは同じでした。
「相談支援室はここですよ」「正確な情報は国立がん研究センターのサイトにありますよ」といった啓発で届く人は、ほんの一握りでしかありません。本当に必要なら、プッシュ型でつなげないと「誰一人取り残さない」は実現しないのです。患者になって痛感しました。

高額療養費制度―当事者になって実感した「社会的痛み」の重さ

治療を拒否しようとした理由、それでも治療に踏み切った決断

編集部

高額療養費制度の問題に関し国会で参考人として発言するなど限度額引き上げの見直しを求める活動に奔走されていた最中に、ご自身がキイトルーダ(高額な免疫チェックポイント阻害薬)で治療を受ける立場になられました。

轟さん轟さん

私がこの問題にアグレッシブに動いたのは、スキルス胃がんの会の代表だったからです。10年間、「治らないなら、今払っている医療費を子どものために残したほうがいいんじゃないか」と悩む患者さんに接してきました。小さなお子さんにランドセルや振袖を買って旅立った方もいます。
特に若い患者さんが多いので、小さな子どもを育てながら治療を受けるとき、毎月の「何万円」がどれほど重いか、ずっと聞いてきました。「家族のためにお金を残したほうがいいんじゃないか」「クレジットカードのリボ払いを使っている」――寄せられていた声の重みを、実際に自分が支払う立場になって初めて、身をもって知ることになったのです。

「待つ」から「届ける」へ―がんを自分ごとにするために

編集部

一般市民にがんを「自分ごと」として捉えてもらうため、街中でイベントを開催されています。なぜ「待つ」のではなく「飛び出す」ことを選んだのですか。

轟さん轟さん

「国民の2人に1人ががんになる」と言われているのに、がん関連のイベントに来る人は、もともとがんに関心がある人だけです。
あるイベントで休憩中に外に出たとき、通路の向こう側のカフェで楽しそうに過ごしている人たちを見て、「向こうとこっちは全く違う世界だ」と思いました。がんに関心がない人は、すぐそばで何が行われているかも知らない。ここにも大きな溝があるのです。
私自身、職場での社会的理解を得られず仕事を辞めることになりました。そうした理解を広げるには待っていてはダメで、自分たちが飛び出していくしかありません。だからショッピングモールなど、がんと関係ない場所でゲリラ的に活動を始めたんです。

希望の会からigannetへ——「必要なくなる世の中」を目指して

希望の会からigannetへ——「必要なくなる世の中」を目指して

編集部

長年活動されてきた「希望の会」を解散し、「igannet」へと発展させました。その背景を教えてください。

轟さん轟さん

夫が設立した希望の会は「スキルス胃がん」にこだわっていました。でも、早期で見つかった人、手術は経験したけど抗がん剤は経験していない人など、多様な胃がん患者を支えるには、スキルスに限定していては網の目からこぼれる人を生んでしまいます。
それに加えて認定NPOの運営はとても大変で、活動を引き継げる人はいろいろな意味でいないのではないかと思いました。今まで築いてきたつながりを基盤に、次の人が負担を感じずに活動できる母体を作りたかったので、法人格を一般社団法人にし、名称も「igannet」と対象をはっきりさせました。
「希望の会」という名前は10年かけて広まりましたが、変えることにためらいはありませんでした。私ががんになったから解散したと思われたくなかったので、これまで一緒に活動してきた医療者や専門職の方々をアドバイザリーボードに集め、11月1日に経緯を含めてすべて公表しました。希望の会の解散は「発展的ですね」と言っていただけるのは、ありがたいことです。
夫も私も「いつか患者会が必要なくなる世の中」を目指して活動してきました。胃がんのことなら胃がん学会、乳がんのことなら乳がん学会――そこに必要とされる正確な情報があり、誰もがたどり着けるのが当たり前の世の中に変えていくことが理想です。

最後に——「賢くならなくていい。声を出していい」

編集部

これからがんと向き合うことになる方、そのご家族へ伝えたいことをお聞かせください。

轟さん轟さん

「がん」と言われたら、うろたえて当然です。ただ、何かを怠ったから、何かを知らなかったから、つながれる医療に差ができてはいけないと思っています。
唯一やったほうがいいのは、「助けて」「怖い」「嫌だ」という気持ちを、ためらわずに声に出すことです。そうすることでつながれることがあるんです。
日本人は「頑張る」ことを美徳とし、「これくらいは我慢する」と思いがちです。特に生活習慣が原因に含まれるとされるような病気になると「自分が何か怠っていたから」と考えやすいのではないでしょうか。でも、これは誰にでも起こりうることなのです。ネガティブな感情は、言える場所を見つけて言ったほうがいい。私も弱音を吐いていることを公表しています。
賢くなることなんて全く必要ありません。誰だって5分後に何が起きるかわからないのです。自分を追い込まないでください。
「世の中にたくさん支援がある」と厚労省が言うけれど、それらは患者・家族とつながっていないのが実態です。私は本心では、専門家や行政の側からつなげてほしいと思っています。けれど、「つらいときはどこに行けばいいの、つなげてよ」と声を上げることも、必要なのかもしれません。

編集部まとめ

「家族は第二の患者」とされるにもかかわらず、当事者ではないと言われ続けた10年間。そして自らが患者となり、「患者になってみないとわからないことがある」と語った轟さんの言葉には、壮絶な経験に裏打ちされた重みがありました。「賢い患者にならなくていい」「声を出していい」というメッセージは、いつか誰もが当事者になりうる私たちへの、温かくも力強いエールのようでした。支援を「待つ」のではなく「届ける」社会へ――轟さんの挑戦を傍観するのではなく、皆で取り組む課題だと痛感しました。

この記事の監修医師