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県内病院の8割が赤字 – 神奈川県医師会会長が語る「地域医療を守る最後の砦」

 更新日:2025/10/08

「神奈川県医師会は、神奈川の医療を守る”最後の医局”です」。2025年6月に就任した鈴木紳一郎会長は、医師会の役割をこう表現します。「医局」とは、通常は大学病院で医師の教育や配置を担う組織のこと。しかし鈴木会長は、出身大学や専門分野の垣根を越えて、すべての医師が集まる医師会こそが「最後の砦」として地域医療を支える存在だと語ります。

県内病院の約8割が赤字、働き方改革による救急体制への影響など、地域医療は深刻な危機に直面しています。コロナ禍で生まれた「神奈川モデル」の成功体験を胸に、920万県民の健康を守るため奔走する鈴木会長に、医療現場の実情と打開策を聞きました。

すべての医師を結集させる「最後の医局」とは

「神奈川県医師会は、神奈川の医療を守る”最後の医局”だと考えています」

鈴木会長はこう語ります。医局というと、一般的には大学病院で医師の教育や人事、研究を管理する組織を指します。各大学の医局は、所属する医師を関連病院に派遣したり、専門医の育成をおこなったりする重要な役割を担っています。

しかし、鈴木会長の考える医師会の役割は、その医局の枠を越えた存在だといいます。

いろんな医局出身の先生方が、いろんな地域から集まってきます。東京から来る方もいれば、地方から来る方もいる。診療科も出身大学も関係なく、最終的に神奈川の医療を守る旗振り役となる。それが神奈川県医師会の存在意義です

つまり、大学の医局という縦割りの組織を超えて、地域で働くすべての医師を横断的に結びつける「最後の砦」として機能しているのが医師会なのです。

鈴木会長は、地域での医師同士のつながりの重要性を強調します。
郡市医師会の中では、最初はライバルだったとしても、だんだん生活の中でつながりができてきます。子ども同士が仲良くなったり、同じ専門分野で協力したりですね。楽しいことも一緒にやるのはその人たちになる。葬式に来てくれるのも、その地域の医師仲間なのです

神奈川県医師会は現在、約9800人の会員を擁しています。全国で4番目の規模ですが、神奈川県は全国で2番目の人口を持つ県であることを考えると、本来はもっと多くの会員がいてもおかしくないと鈴木会長は指摘しています。

コロナ禍で生まれた「神奈川モデル」の意義

新型コロナウイルス感染症の拡大は、医療現場に大きな変化をもたらしました。鈴木会長は、特にかかりつけ医の立場から見た課題を振り返ります。

コロナの初期、最も辛かったのは、自分が主治医の患者さんがコロナになっても診られなかったことです。『コロナになりました』と連絡が来ても、自分のところに来させられなくて、ショートメールやLINEで管理しながら、県や保健所、ホテルに預けるしかなかった

この状況を打開したのが、神奈川県の阿南英明医療危機対策統括官と共に作り上げた「神奈川モデル」でした。

「これは24時間在宅支援の仕組みで、初めてかかりつけ医がコロナ診療に参加できるようになったのです。訪問看護、酸素供給、場合によっては薬の処方まで、かかりつけ医が基本的に診るようなシステムを作りました」

藤沢市で最も早く始まったこのモデルは、その後県内に広がり、かかりつけ医がコロナ診療に参加できるターニングポイントとなりました。

さらに、コロナ対応は行政との関係にも変化をもたらしました。
コロナをきっかけに、行政と協働するようになりました。県庁とも知事とも、病院協会とも、郡市医師会も市長さんとも、みんな仲良くなった。『誰も一人も取り残さない』という共通の目的のもと、みんなで一緒に動いたことが一番大事だったと思います

病院の8割が赤字 – 「余裕のない医療」からの脱却

鈴木会長は、現在の医療体制の最大の問題として「余裕のなさ」を挙げています。

神奈川県では病院の7割から8割ぐらいが赤字です。診療所も3割ちょっとが厳しい状況。都会の方が人件費も土地代も高いから、みんな赤字になってしまうのです

この余裕のない状況が、様々な問題を引き起こしているといいます。

「余裕がない中での機能分化は非常に難しい。みんな何でもいいから患者を増やして、9割以上ベッドを埋める、診療所だって今の1割増しの患者を集める。こんな状況では、うまくいかない」

具体的な例として、救急医療の現場を挙げました。
「三次救急(重症患者対応)の病院でも、赤字だから一次、二次の患者も何でも受け入れる。看護師さんは夜中に必要以上の患者さん対応に追われて、記録に追われて、その結果辞めていく人が増える。すると、また苦しくなって負のスパイラルになります」

DXによる医療の効率化がカギ

余裕を生み出す方法として、鈴木会長はDX(デジタルトランスフォーメーション)の活用を提案しています。

「今、ベッドで寝ていると血圧や脈拍などが全部自動的に記録される機器があります。これが入っていれば看護師の負担は減る。しかし、現在の診療報酬制度では、そういう機器を導入しても人員配置基準は変わらないし、診療報酬も同じなのです」

つまり、“DXに投資しても経営的なメリットがない”という構造的な問題があるのです。

「DXを進めれば人員が少なくても同じ診療報酬がもらえる、という考え方になれば、産業としても進むし、看護師は患者さんのところに行ける時間が増える。でも今は、DXのお金は自分たちで用意して、入れたからといって人員を減らしてもいいということにはならない」

また、医療機関特有の税制上の問題も指摘されています。
「医療機関は仕入税額控除を受けられないのです。つまり、10億円の設備投資をしたら1億円の消費税を払うけど、それは戻ってこない。これも医療機関の経営を圧迫する要因の一つです」

一枚岩となって進む決意

鈴木会長は、今後の医師会運営について「一枚岩」というキーワードを掲げています。

医師会は楽しく、そして常に県民と会員のことを考えなければいけない。誰が偉いとか偉くないとかじゃなくて、一つの塊として、一枚岩として進んでいかなければいけない

働き方改革による救急体制への影響についても言及しました。
「働き方改革で時間外労働に制限ができて、今は宿日直許可(通常業務とは異なる軽い業務として扱う許可)で乗り切っているけど、実際はそうじゃないという現実が出てくると思います。もう一度、本当の働き方改革をやらないと、いい人材がいなくなってしまいます」

最後に、鈴木会長は医療人材確保の重要性を強調しました。
「18歳人口が半分になる時代が来ます。子どもたちに医療の魅力を伝え、『お医者さんになりたい』『看護師さんになりたい』と言ってくれる子たちが増えれば、医療人材がいれば医療は守れると思うのです」

地域医療の危機に直面する神奈川県。大学の医局の枠を超えて全医師を結集させ、DXの活用で「余裕のある医療」への転換を目指す鈴木会長の挑戦は始まったばかりです。

編集部まとめ

病院の多くが赤字に直面する神奈川の医療現場。鈴木紳一郎会長は「最後の医局」として、医師会がすべての医師をつなぎ、地域医療を守る使命を掲げています。DXや税制改革の推進、働き方改革の見直し、人材確保など課題は山積ですが、その先にあるのは“余裕ある医療”の実現です。県民の健康を守る砦としての挑戦は、いままさに始まったばかりです。

この記事の監修医師