【前編】2040年問題に向けた東京の在宅医療戦略 -医師会が描く”面で支える”地域医療の未来図-

東京都医師会は令和7年5月24日、「大都市における一次医療の充実に向けた在宅医療の役割」と題したシンポジウムを開催しました。本シンポジウムは、同会の在宅医療委員会が令和5年度より議論を重ねてきた「2040年問題を見据えたうえで、東京都の一次医療提供体制のあり方を考える」というテーマを広く社会と共有することを目的としています。
尾﨑治夫会長は開会挨拶で「近年の超高齢社会において、自宅や介護施設での医療ニーズが増加している。しかし、供給体制には地域差があり、どこで暮らしても安心して療養生活を送れるような医療提供体制の確立が求められている」と述べました。
2040年、東京都の高齢者人口は398万人に達し、都民の約30%が65歳以上となります。この「2040年問題」に向けて、東京都医師会は在宅医療体制の抜本的な改革に取り組んでいます。本稿では、シンポジウムでの議論の中から見えてきた「面で支える」地域医療の新たな姿を、前編・後編の2回にわたって詳しく紹介していきます。
目次 -INDEX-
都市部の在宅医療 課題と展望
厚生労働省の迫井正深医務技監は「都市部の在宅医療 課題と展望」と題した基調講演で、国の視点から東京の在宅医療の位置づけと今後の方向性を示しました。
「東京は全国人口の約11%を占める巨大都市でありながら、自宅で亡くなる割合が24.3%と全国平均より高い。これは東京の医療資源の豊富さと、在宅医療に取り組む医療機関の努力の表れ」と評価した上で、「2040年に向けて、量的拡大だけでなく質的向上が不可欠。特に急性期医療との連携、多職種協働、医療DXの活用が鍵となる」と指摘しました。
また、「都市部特有の課題として、昼夜人口の差、医療機関の専門分化、独居高齢者の増加などがある。これらに対応するには、従来の『点』の医療から『面』で支える医療への転換が必要」と強調し、東京都医師会の取り組みに期待を寄せました。
一馬力診療所の挑戦と可能性
父から受け継いだ地域医療の原点
司会を務めた佐々木聡理事の進行のもと、最初に登壇した迫村泰成医師(牛込台さこむら内科院長)は、東京都医師会在宅医療委員会の委員長として、2年間の議論をまとめた立場から発表をおこないました。迫村医師は週1回半日の在宅医療で約20~30名の訪問患者を診る、典型的な「一馬力診療所」の経営者です。
「昭和33年、国民皆保険が普及した時代に30歳で開業したのが父・若一郎です。小児科出身でしたが『小児は目も耳も皮膚も、何でも診なきゃいけない』と、今でいう総合診療的な姿勢を持っていました」
迫村医師は、父の診療姿勢を振り返りながら、かかりつけ医の原点を「地域住民のニーズに応える、あるいは応えようと努力すること」と定義しています。
コロナ禍が明らかにしたかかりつけ医機能の重要性
迫村医師は、COVID-19パンデミック下において、高いかかりつけ医機能を持つ医療機関の患者は入院リスクが有意に低かったという東京慈恵会医科大学総合医科学研究センターの研究を示した上で、近接性、継続性、協調性、包括性、地域指向性といったプライマリケア機能のすべてが、入院リスクの低下に寄与した可能性があると指摘しました。
「ドイツでは、ハウスアルツトと呼ばれるかかりつけ医が、コロナ感染に対する地域の防波堤として機能しました。医師としてのプロフェッショナル・オートノミー(職業的自律)が基礎にあったからです」
外来から在宅へ、シームレスな移行の重要性
迫村医師は、外来診療の中で在宅医療につなげるべき患者像を具体的に示しました。認知機能が低下して外来予約日に来なくなる患者、下肢筋力低下のため通院間隔が延びる患者、COVID-19を機に心身の状態が一気に低下した患者―これらは「外来以上訪問未満」の通院困難予備群です。
「外来に来なくなったなと思いながら、多忙なうちにいつの間にか忘れてしまう。次に知るのは警察署の刑事課から『お一人で亡くなられていました』という電話です。当院でも年に1、2件あります」
大都市における孤立死という深刻な問題に直面しながら、迫村医師は「医師が診察室を飛び出して患者の元に行く。このハードルを多くの一馬力診療所に超えてほしい」と訴えます。
97歳女性の在宅看取りが教えてくれたこと
迫村医師が紹介した97歳女性の事例は、在宅医療の本質を物語ります。介護保険も使わずに元気だった女性が、階段を上れなくなって外出困難となり、訪問診療の依頼を受けました。
「北海道から東京に出てきて、女手一つで4人の娘さんを育てられました。3ヶ月間自宅で療養し、孫ひ孫にも会いました。愛する娘さんたちに囲まれて、住み慣れたお家で大往生しました」
医師一人では対応できないため、優秀な訪問看護と多職種チームを組んみました。病院で知らない医療者や機械に囲まれて亡くなるよりも、幸せだったのではないかと迫村医師は振り返ります。
在宅急性期医療という新たな選択肢
メガ在宅が示す新しい在宅医療の形
続いて登壇した佐々木淳医師(医療法人社団悠翔会理事長)は、168名の医師とともに常時約1万人の患者に24時間体制の在宅療養支援を提供する、いわゆる「メガ在宅」の経営者です。年間14万件の訪問、約3000件の看取りをおこなう同会の実践から、在宅急性期医療の可能性を語りました。
「東京消防庁は年間90万人を救急車で病院に運びますが、このうちの大部分が高齢者です。増え続けているのは後期高齢者の搬送ばかりで、それ以外の年齢層はあまり増えていません」
搬送される人の55%が軽症というデータもあり、本来であれば外来で対応できたかもしれない人たちが、外来を素通りして救急車で病院に運ばれている実態があります。
入院がもたらす負の側面
佐々木医師は、入院医療費が高齢者医療費の大部分を占めることを指摘した上で、急性期一般入院料を算定している入院患者の3分の2が75歳以上、3分の1が85歳以上という現状を示しました。
さらに衝撃的なのは、同会の患者データです。緊急入院の約60%が感染症と骨折によるもので、肺炎で入院した高齢者の約3分の1が入院中に死亡退院、退院できた方も要介護度が平均1.7悪化していました。骨折入院でも10%弱が入院中に死亡、退院者の要介護度は平均1.54悪化しました。
「入院というのは、前提として患者さんの回復力が求められます。しかし、要介護高齢者の場合だと体力の余力が少ないため、入院期間が長くなり、退院後も食べられない、動けないままに衰弱が進行します」
東京大学・飯島教授らの研究では、10日間の入院で7年分の老化に相当する骨格筋の喪失があるといわれています。この入院関連機能障害(HAD)の問題は深刻です。
在宅で可能な急性期医療の実際
佐々木医師らの実践では、在宅医療導入前後で患者一人当たり約30日の入院日数削減を実現しています。ポータブルエコーなどの機器を活用すれば、いわゆる急変患者の90%程度は自宅で診断と治療が可能だといいます。
「2020年の夏、私たちは自宅でコロナの患者さんを診ました。東京だけでも800人ぐらい。この人たちを診ることができたのに、高齢者の誤嚥性肺炎が診られないということはないのだろうと思います」
興味深いのは、入院回避の要因分析です。回避可能だった入院の多くは、じつは患者側要因や社会的要因が中心で、医学的要因ではありませんでした。有意差を持って入院回避の要因となったのは、訪問看護の活用とACPの実施の2点でした。
フランスとの比較が示す日本の課題
佐々木医師は、フランスの在宅医療視察の経験を紹介しました。88歳男性が大腿骨頸部骨折で入院、翌日手術、3日後には自宅に帰り、訪問看護が毎日抗凝固剤を注射、自宅でリハビリをおこないます。
「日本だと3ヶ月病院に入院して、リハ病院に行って、老健に行って、場合によっては家にそのまま帰ってこない。医療提供システムは堅牢だけれども、今の患者さんたちとのミスマッチが生じている」
タスクシフト・シェアが拓く持続可能な在宅医療
循環器専門医が見出した多職種連携の可能性
弓野大医師(医療法人社団ゆみの理事長)は、循環器専門医として外来・在宅診療をおこなう中で、医師だけでなく専門的な多職種との協働の重要性を強調しました。
東京都における地域医療の課題として、医師の高齢化、医療スタッフの働き方改革、人件費の高騰などを挙げた上で、「東京都は高度医療機関が多く、より専門的な医療を求める患者、複雑な背景を持つ患者も多い。様々なニーズの多様化がある」と指摘します。
疾患の自然歴に応じたタスクシフト・シェア
弓野医師は、在宅医療の流れと医師の役割を疾患別に整理しました。導入時の医療依存度の判断や治療方針の決定は医師がおこなうが、安定期の管理や早期発見は多職種でシェアします。増悪時には再び医師が判断し、終末期には訪問看護師の力が重要になります。
老衰やがん、心不全などの内部障害では、それぞれ自然歴が異なります。「心不全に代表される内部障害では、増悪を繰り返しながら少しずつ悪くなるため、日頃の増悪の早期モニタリングと悪化時の対応で、度々医師の判断が必要になる」
テレナーシングと医療DXの活用
弓野医師のクリニックでは、在宅患者1000人に対して1日約300件の緊急コールがあります。これを医師一人で対応するのは困難なため、看護師によるテレナーシングを導入し、約80%を初期対応できているといいます。
また、フィリップス社と共同開発したデジタル診療手帳では、患者の主観的データ(PRO:Patient Reported Outcome)と客観的データをiPadやスマートフォンで入力し、テレナーシングチームがチェックする仕組みを構築しました。
「医師は診療中に車で移動しながら、実際の現場には看護師さんとオンラインでつなげながら診療をすることもおこなっています」
専門職の活用による質の向上
理学療法士や作業療法士、言語聴覚士によるリハビリテーション、臨床検査技師による在宅エコー検査など、専門職の活用も進んでいます。
「臨床検査技師により、より精度の高い全身のエコーをおこない、それらをオンラインなどを使いながら、急性期なども対応することができています」
弓野医師は、10年後を見据えて「医療DXやAIなどもどんどん発達しており、医師のセカンドブレインとなって判断責任などもサポートしていただけるものができるのではないか」と展望を語りました。
まとめ:一馬力から面へ、個から連携へ
前編では、東京都医師会のシンポジウムから、3人の医師による在宅医療の実践と課題を紹介しました。
迫村医師の「一馬力診療所」は、地域に根ざしたかかりつけ医の原点を示しています。佐々木医師の「メガ在宅」は、規模の力を活かした在宅急性期医療の可能性を実証しました。弓野医師は、専門性を活かしながら多職種連携とDXで質の高い在宅医療を実現しています。
三者三様のアプローチだが、共通するのは「患者中心」の理念と、「連携」による課題解決の姿勢です。2040年問題に向けて、東京の在宅医療は「点」から「面」へ、「個」から「連携」へと進化を遂げようとしています。
後編では、さらに3人の演者による提言と、パネルディスカッションで交わされた活発な議論を紹介します。そこから見えてくるのは、大都市東京だからこそ可能な、新しい地域医療の姿です。
※本記事は前編です。後編も合わせてお読みください。
※本シンポジウムの講演動画および資料はこちら(2026年7月31日まで)
https://www.tokyo.med.or.jp/2025zaitakuevent





