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大谷翔平の右肘負傷はバッティングに影響する? 術後のリハビリ・プレーへの影響を専門医に聞く

 公開日:2024/05/29

2023年9月、メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手が2度目の「トミー・ジョン手術」をおこないました。大谷選手といえば、投手と打者の「二刀流」で活躍する選手。投げる動作の際、肘が重要なのはわかりますが、バッティング動作との関係はどうなのでしょうか。肘の靭帯損傷や再建術はバッターとしてのプレーに影響はあるのか気になるところです。今回、肘のケガの原因やバッティングへの影響について、日本肘関節学会理事長の正富隆先生に詳しく解説していただきました。

正富 隆

監修医師
正富 隆(社会医療法人行岡医学研究会 行岡病院)

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一般社団法人日本肘関節学会 理事長。大阪大学整形外科、大阪厚生年金病院などを経て現職。手の外科、投球障害、四肢外傷などの上肢外科のスペシャリストとして広く知られている。日本整形外科学会 専門医・指導医、日本リウマチ学会 専門医、日本整形外科学会 リウマチ医、日本手の外科学会 専門医、日本リハビリテーション医学会 専門医。

投手がケガしやすい肘の靭帯とは

投手がケガしやすい肘の靭帯とは

編集部編集部

投手が損傷しやすい靱帯とはどのようなものですか?

正富 隆先生正富先生

投手が最も損傷しやすい靱帯は、内側側副靱帯(MCL:Medial Collateral Ligament)です。これは、肘の内側に位置する靱帯で、腕を強く振って投げる動作によって大きなストレスがかかります。特に、高速での投球によりこの靱帯には大きな負荷がかかり、繰り返しのストレスによって断裂や損傷を引き起こすことがあります。

※肘の内側側副靱帯は従来、尺側側副靭帯(UCL:Ulnar Collateral Ligament)と呼ばれていたが、本稿では一般的に使われることの多い内側側副靱帯(MCL)と表記

編集部編集部

投球のどのようなタイミングで内側側副靱帯に負担がかかるのですか?

正富 隆先生正富先生

投球動作において内側側副靱帯に最も負担がかかるのは、投球動作の「レイトコッキング(足が着地し、肩、体幹、股関節が最大限しなるまでの期間)」から「アクセラレーション(投げる方の肩が最大外旋から加速しボールをリリースするまでの期間)」のフェーズです。肩が最も外旋し、肘がしなる動きをするとき、前腕が外側に回転する力(外反力)が働き、内側側副靱帯が引っ張られ大きなストレスがかかります。このフェーズで痛みを感じる時は内側側副靱帯が損傷している場合も多く、投球動作の繰り返しによるストレスが、内側側副靱帯の損傷や断裂につながるリスクを高める要因となります。このため、投手は特にこのフェーズでの外反力によるストレスを最小限に抑える動作と適切に靭帯を保護する筋力の維持が重要となります。

編集部編集部

投球する際の腕の振り方が原因で損傷してしまうのですか?

正富 隆先生正富先生

投球動作の腕の振り方だけが原因ではありません。普段通りに投球動作をしても、急に肘に痛みを感じる場合があります。これは、投球動作を繰り返しおこなっているうちに、疲労で肩周囲や体幹・下半身のコンディションが悪くなり、それがフォームの乱れをまねくことがあります。体のコンディションやフォームが悪い状態に陥っていることには気づかないことも多く、そのまま投球をし続けた際に、肘に大きなストレスがかかり、痛みを伴う大きな損傷につながります。

靭帯損傷後の経過とリハビリでは何をおこなうのか

靭帯損傷後の経過とリハビリでは何をおこなうのか

編集部編集部

肘の内側側副靱帯は、突然損傷してしまうのですか?

正富 隆先生正富先生

野球では投球動作の繰り返しにより、何度も靱帯に負担がかかります。繰り返しの負担による軽い損傷が積み重なることによって、だんだんと靭帯が弱くなる場合が多いですね。「肘の内側が張ったなぁ」という感覚は、筋肉の張りもありますが、実は靭帯が少し損傷しているという場合もあります。靭帯が切れているか・切れていないかではなく、徐々に損傷が進行していくということを多くの人に知っていただきたいです。

編集部編集部

肘の内側側副靱帯損傷で有名な治療方法を教えてください。

正富 隆先生正富先生

最も多く知られているのは、内側側副靭帯の再建術としておこなわれる「トミー・ジョン手術」です。1974年にアメリカのフランク・ジョーブ医師によって考案された手術で、この手術を最初に受けメジャーリーグへ復帰したトミー・ジョン選手の名前から「トミー・ジョン手術」と呼ばれるようになりました。最近では肘内側側副靭帯再建術の総称的に用いられています。

編集部編集部

「トミー・ジョン手術」の術後はどのような経過をたどるのでしょうか?

正富 隆先生正富先生

トミー・ジョン手術(MCL再建手術)の直後は、一定の固定期間の後に、徐々にリハビリを開始します。初期段階では、肘の可動域を取り戻すことに重点を置き、その後は再建した靭帯を徹底的に保護しつつ、肘以外の部位(肩まわり、体幹・下半身)の強度と柔軟性を高める運動をおこないます。靭帯再建術は骨に穴を開け、移植腱を通して靭帯にするので、骨と靭帯が強固にくっつかなければなりません。ですから、靭帯が骨につき始める手術間もなくは固定したり保護したりしながら体のほかの部位を鍛え、一定期間の後、靭帯へ負担を徐々に許容しながら復帰を目指します。

編集部編集部

靱帯損傷の手術後は、どのくらいの期間で選手復帰を目指しますか?

正富 隆先生正富先生

例えば、関節の中にあるため治りにくいとされる、膝前十字靭帯でも手術から半年での復帰を目指します。一方で、肘の内側側副靱帯は関節の外にあり、周囲の血流も豊富なため、医学的には膝の前十字靭帯より早く十分に強くなると考えられます。柔道のような格闘技の選手などは内側側副靱帯再建術後、半年以内に復帰することも多いですが、一方でプロ野球の投手として復帰する場合、靭帯を再度損傷しないよう安定したハイパフォーマンスの継続が求められるため、基本的には長期のリハビリが必要となります。

編集部編集部

リハビリとしてはどのようなことをおこなうのですか?

正富 隆先生正富先生

リハビリプログラムは、肘の関節可動域を広げる訓練から始まり、徐々に肘の安定性を高めるための筋力トレーニング、そして肩や上腕の筋力トレーニング柔軟性の改善トレーニングを追加していきます。同時に、投球動作に必要な体幹や下半身のコンディショニングやトレーニング、最終的には下半身・体幹から腕の振りに繋げるスムーズな運動連鎖訓練投球フォームの見直しをおこないます。

肘のケガはバッティングに影響する? 元どおりにプレーできるのはいつなのか

肘のケガはバッティングに影響する? 元どおりにプレーできるのはいつなのか

編集部編集部

内側側副靱帯(MCL)はバッティングでも損傷することがあるのでしょうか?

正富 隆先生正富先生

右投げ・右打ちの場合、損傷する可能性が全くないとは言いませんが、少なくとも1回のバットスイングで損傷するということは考えにくいですね。基本的には靭帯の外側にある「屈筋」が働くため、肘の靭帯を損傷するほどの過度な外反ストレスはかからない場合が多いのです。

編集部編集部

バッティングは、手術後どのくらいで開始できますか?

正富 隆先生正富先生

右投げ・右打ちの場合、右肘のトミー・ジョン手術の直後はバッティングを制限します。その目安は最低3ヶ月です。大谷選手の場合は左打ちなので、理論的には右肘の内側側副靱帯に負担がかかることはありません。左打ちで右肘の内側側副靱帯に負担がかかる可能性としては、バットがボールに当たった後の「フォロースルー」が右手一本になった場合などが考えられますが、それにしても靭帯が損傷するリスクは限定的だと思われます。

編集部編集部

手術をすることで、早期に元通りのプレーができるようになりますか?

正富 隆先生正富先生

手術をしたからといって、全員が早期に元通りのプレーをできるようになるというわけではありません。特殊な外力がかかったわけでもなく、選手としては普通に投球する中で靭帯を損傷したのですから、手術後もその野球に戻るということを考えれば理解できると思います。手術後の靱帯は、移植した腱で代用したものですから「正常より強い」靱帯になることはありえません。そのため、手術後の靭帯に今までのような負荷がかからないようなパフォーマンスを身につけるために、肘や腕だけではなく全身のコンディショニングやフォームの見直し、それを維持し続けることができるようになる必要があります。そこに時間がかかってしまうのです。

編集部まとめ

野球選手に多い肘の内側側副靱帯(MCL)損傷は、1回の投球動作ではなく繰り返しの負荷が原因で徐々に靭帯が損傷しており、その弱くなった靭帯がついに靭帯再建が必要となるほど断裂をきたすのだと教えていただきました。また、バッティングへの影響については、利き手やフォームによっても異なるとのことでした。手術後はすぐに元通りのプレーができるわけではなく、復帰には時間と努力が必要不可欠です。本稿をきっかけに、読者の皆様が「肘の靭帯損傷」について知るきっかけとなりましたら幸いです。

この記事の監修医師