【闘病】「ALSになぜ私が?」 根本的な治療法なく、やがて動けなくなる病
三浦さんは、2013年11月に左手小指の違和感を覚えたことがきっかけで検査を受け、2014年8月(45歳のとき)に筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断されました。確定診断から8年経過した現在は、介護や医療の支援を受けながら、ブログやSNSで情報発信をおこなっています。徐々に身体が動きにくくなる進行性の病気「ALS」を抱える三浦さんに、これまでや現在の状況について話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年8月取材。
体験者プロフィール:
三浦 弥生
札幌在住。1969年生まれ。離婚後、一人暮らし。診断時の職業は理容師。2014年にALSを発症し、2016年には胃ろう(胃に直接栄養を注入する食事療法)を造設。2019年には気管切開し、咽頭摘出する。現在は、週6回のリハビリと週2回のマッサージを受けながら生活している。
記事監修医師:
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
突然の発症と診断に驚きと受け止めきれない日々
編集部
筋萎縮性側索硬化症(以下、ALS)とはどのような病気ですか?
三浦さん
ALSとは、手足などの筋肉やのど・舌など呼吸に必要な筋肉が衰えていく病気です。しかし、筋肉そのものの病気ではなく、運動をつかさどる神経(運動ニューロン)が障がいを受けて起こります。その結果、脳から「手足を動かせ」などの命令が伝わらなくなり、筋肉も衰えるのです。全身に力が入らなくなり、「歩けなくなる」「声が出しにくくなる(構音障害)」「飲み込みができなくなる(嚥下障害)」などの症状がでます。最終的には呼吸ができなくなるため、人工呼吸器も必要になります。原因不明で、有効な治療薬のない進行性の病気です。
編集部
病気が判明したきっかけはありましたか?
三浦さん
当時、理容師として働いていましたが、2013年11月頃に、左手小指に違和感を覚えたのです。日々、お客様のシャンプーをしながら、だんだん指が動かなくなり、不安になっていったのを覚えています。そこから病院を受診し、2014年8月にALSと診断されました。
編集部
すぐに確定したのでしょうか?
三浦さん
はじめは整骨院に行きましたが、胸郭出口症候群と診断を受けました。その後に行った整形外科では、ただの肩こりと診断され、湿布をもらっただけでした。
編集部
確定診断を受けた経緯を教えていただけますか?
三浦さん
気付いてから半年が過ぎても違和感があり、友人から「脳ドックを受けてみては?」と助言されました。すぐに受けましたが「脳に異常はなし」。診察後、ドクターから「あなたの症状は、神経内科で診察した方が良いですよ」と言われ、神経内科で診察を受けました。それからすぐに検査入院になり、検査を受けてALSの確定診断を受けたのです。
根本的な治療方法がなく病状が進行する
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
三浦さん
「ALSを根本的に治す治療方法はみつかってない」と説明を受けました。2014年12月からリハビリを開始しています。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
三浦さん
驚きすぎて、呆然としました。同じ時期にフェイスブックを通じて、アイスバケツチャレンジ(ALSの研究を支援するためにSNS上で拡散され、世界的に行われた運動)が行われ、多くの芸能人が氷水を被っているのを見ました。その中で、ALSという病気を知りましたが、自分とは無縁の病気だと思っていました。「なぜ私が?」と、夜に涙があふれてきたのを覚えています。あまり泣いたことがないので、自分でもびっくりしました。
編集部
受けた検査の内容を教えてください。
三浦さん
主にレントゲンやMRIなどの画像検査・血液検査・髄液検査・神経伝導検査や針筋電図などの電気生理学的検査を受けました。検査に痛みを伴いましたが、針筋電図は運動ニューロンの障害を評価するのに最も重要な検査の一つです。
編集部
これまでの心の支えはなんでしたか?
三浦さん
なにもなかったですね。ただ、毎日過ごすだけでした。
編集部
人工呼吸器も装着することになったそうですね。
三浦さん
入院中の2016年2月に、医師から「最終的に人工呼吸器はどうしますか?」と聞かれました。その時は、人工呼吸器は付けないと言いました。何もする気が起きなくなっていて、考えないようにしていました。その後、ALSの方や関係者が集まる「絆サロン」へも参加するようになり、新しい出会いも増えていきました。自分で思うように動けないため、たくさんの友達や仕事仲間も訪ねて来てくれました。このとき初めて、家族や友達に愛されていると思い知りました。そこから前向きになり、「自分でも何か出来る」と思うようになって2019年5月に、気管切開をして人工呼吸器をつけて生きると決めました。
人工呼吸器をつけて生きるこれから
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
三浦さん
私の場合は徐々に左手が動かなくなり、その頃からヘルパーさんが来て食事やお風呂に入れてもらうことになりました。仕事は当時、実家の床屋と訪問カットの掛け持ちをしていました。訪問カットの方は、「病気を発症したので仕事を辞めます」と伝えましたが、継続して「雇用します」と言ってくれました。まさかそんな言葉が返ってくると思っていなくて気が動転しましたが、とても嬉しかったです。その後、仲間たちに支えてもらいながら新人教育の指導をさせてもらいました。診断されてから一年くらいは、訪問カットと自宅サロンで理美容の仕事を続けていました。感謝でいっぱいです。
編集部
もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?
三浦さん
何も言わないです。落ち込んでる人に、なにか言ったところで響かないと思います。
編集部
現在の体調や生活などの様子について教えてください。
三浦さん
身体的なリハビリと呼吸リハビリ、ほかにもマッサージを入れて、体の可動域は少しずつ広がりました。現在は、ALSについての情報発信として、ブログやSNSの更新に励んでいます。
編集部
あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。
三浦さん
ALS以外の病気も含め、病気になることを前提に生活している人はいないでしょう。しかし、誰にでも突然難病になる可能性があります。少しでも違和感を覚えた場合は、すぐに受診してください。あと私の場合、生命保険が役に立ちましたので、万が一に備えて、保険の見直しも大切ということは伝えたいです。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
三浦さん
私の入院した病院の看護師さんは、私が楽しめるように接してくれて、安心して入院生活を送れました。神経難病は扱うのがとても難しい病気だと聞きますが、みなさんにはぜひ今後とも頑張っていただければと思います。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
三浦さん
ALSの薬が開発されているそうです。いずれ、日本でも認可されるのかもしれません。ALS患者には待望の薬です。徐々に医療も進化しているので、これからは治る病気になるかもしれません。本当に期待しています。
編集部まとめ
三浦さんは確定診断を受けたとき、「これは夢なのかな」と思ったそうです。まさか、自分が病気になるとは思っておらず、友達にも相談できなかった時期があったといいます。現在では、情報発信や相談などを受け、同病者の心の支えになっています。また、意思伝達装置miyasuku EyeConSWを操作し、コミュニケーションや情報発信をおこなっているそうです。