【闘病】”いつもの頭痛”から手術へ 脳動脈瘤見つかり「高次脳機能障害」と「失語症」に(1/2ページ)

2021 BEST OF MISS AICHIのファイナリストになった早野さんは、2018年に脳動脈瘤の手術を受けていました。その手術後、高次脳機能障害が残ることになったそうです。そんな彼女が、病気の発覚から現在の笑顔になるまでの、心の葛藤とこれまでの日々について、話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年4月取材。

体験者プロフィール:
早野 満紀子(はやの まきこ)
岐阜県在住。28歳。両親、妹2人、弟1人の家庭で育つ。診断時の職業は不動産会社の営業職だった。2018年に脳動脈瘤が見つかる。同年に手術を受けるもその後、高次脳機能障害を発症。そこからリハビリを続け(現在は通院リハビリも終了している)、現在は障害者雇用でメーカーの事務職に就いている。

記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
脳動脈瘤発見から手術まで

編集部
脳動脈瘤発見までの経緯について教えてください。
早野さん
学生の頃から頭が痛くなることがよくありました。2018年、布団から起き上がれないほどの頭痛が起こる頻度が増えたため、家の近くの脳神経外科クリニックを受診しました。頭痛は、デスクワークと姿勢の悪さ、酷い肩こりからくるものと説明されました。結局、この頭痛自体は脳動脈瘤とは無関係でした。
編集部
では、どのようにして脳動脈瘤が発見されたのですか?
早野さん
受診したクリニックの先生との会話の中で、念のためCTを撮ることになり、その結果、左脳に白いモヤが映っていました(頭痛は右側だった)。そこで大きい病院へMRIを撮りにいくように言われ、その足で別の病院に行き、MRIの撮影をして未破裂脳動脈瘤が見つかりました。
編集部
医師からはなんと説明がありましたか?
早野さん
私の未破裂脳動脈瘤は左脳の中大脳動脈にできていて、大きさは直径約8mm。とても珍しい位置にできていたそうです。8mmという大きさは既に経過観察できる大きさではなかったため、すぐに手術をすることになりました。手術後、医師の推測では、血管から流れ着いた細菌が詰まって、動脈瘤になったのではないかとのことでした。
編集部
手術内容について教えて下さい。
早野さん
未破裂脳動脈瘤の手術は、一般的には、カテーテル術かクリッピング術を行います。私の未破裂脳動脈瘤はカテーテルでは辿り着けない場所にあったため、開頭クリッピング術を行う予定でした。
編集部
予定と実際は違いましたか?
早野さん
実際にはクリッピング術を断念し、未破裂脳動脈瘤ごと血管を切除して、顔面や頭皮に栄養を送る血管と脳の血管とをつなぐバイパス手術を行うことになったそうです。5時間の予定だった手術は10時間に及び、つなぎ合わせた血管は元の血管よりも細く、十分な血液が回らなくなったことにより、高次脳機能障害が残ることになりました。
失語症による絶望感を乗り越えて

編集部
未破裂動脈瘤が見つかった時の心境を教えて下さい。
早野さん
「ああ、大変なことになってしまったな」と思いつつも、どこか他人事でした。自覚症状が全くなかったので、不思議な感じでした。「障がいなんて残らないし、手術後1週間くらいで退院して、ちょっと家で休んだらすぐ仕事に戻れるよ」と、医師から言われていたので、それを信じて疑いませんでした。
編集部
手術後の環境の変化について教えて下さい。
早野さん
何もかもが変わりました。元々は前向きな性格で、明るすぎ、元気すぎ、うるさいとよく言われていました。まさか失語症という障がいが残るなんて思ってもいなかったので、絶望しました。失語症の症状が一番重かったので、営業の仕事には戻れないと自分で判断し、その年の12月末で会社を退職しました。その頃、脳がとても疲れやすくなり、聴覚過敏にもなりました。
編集部
リハビリが始まる頃の気持ちはどうでしたか?
早野さん
失語症になり、本当に落ち込みました。死にたいと思うこともありましたが、死ぬ勇気はなかったのだと思います。
編集部
そこからどのように気持ちは変化したのでしょうか?
早野さん
いつもの脳神経外科の診察室に入った時、壁に貼ってあった失語症の集いの記事に何となく目がいきました。教壇に立つ国語の先生が失語症となり、リハビリにより社会復帰を勝ち取ったという記事に大変衝撃を受けました。「もう余計な事は考えないでおこう」と思えた瞬間でした。今日より明日はきっと良くなると信じる気持ちに切り替わりました。
編集部
実際にその国語の先生に会われたそうですね。
早野さん
はい、その先生が代表をされているとある集いがあり、言語聴覚士の人に誘われて参加しました。その先生は失語症とは思えないくらい、話すのがスムーズで、とても衝撃的でした。また、失語症仲間がたくさんできて、「私だけじゃない」と励ましあえて嬉しかったです。コロナ禍前は必ず参加していました。