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【闘病】1歳で脳性麻痺 病気の理解得られず失声を経験も「すべてが私の人生の糧」

 更新日:2023/03/27
【闘病】1歳で脳性麻痺。病気の理解得られず失声を経験も「すべてが私の人生の糧」

生後8か月で投げ座りができないことから病院受診を勧められるも、検査では異常が見つからず、1歳11か月のときに原因不明の脳性麻痺と診断された赤津慶美さん。その後、幼稚園、小・中学校までは地元の普通学級に通い、2022年3月に通信制の高校を卒業されました。病気を抱えながらどのように学校生活を送ってきたのか、また、病気との向き合い方や現在の夢について話を聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年2月取材。

赤津 慶美さん

体験者プロフィール
赤津 慶美

プロフィールをもっと見る

栃木県在住、2001年生まれ。両親と弟(高校1年生)の4人暮らし。1歳11か月のときに「原因不明の脳性麻痺」と診断される。自身には治療法がなかったため、リハビリを行いながら幼稚園、小・中学校に通い、2022年3月には通信制の高校を卒業した。2022年1月からは、障がい者専門の芸能養成スクールにも通い、日々夢に向かって頑張っている。

菅谷 雅人

記事監修医師
菅谷 雅人(ふかしばこどもクリニック 院長)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

1歳11か月で「原因不明の脳性麻痺」と診断された

1歳11か月で「原因不明の脳性麻痺」と診断された

編集部編集部

脳性麻痺と診断されたときの経緯について教えてください。

赤津 慶美さん赤津さん

生後8か月健診で投げ座りができず、保健師さんから病院の受診を勧められたそうです。しかし、小児科とリハビリ病院で検査をしてもまったく異常は見つからず、リハビリを始めたものの何も改善されなかったため、別のリハビリ病院を受診したところ、「原因不明の脳性麻痺(痙直型四肢麻痺)」と診断をされました。

編集部編集部

具体的にどのような症状があったのでしょうか?

赤津 慶美さん赤津さん

母親の話によると、生後8か月健診で投げ座りができなかったことと、ハイハイをするときに常に手をグーにしていて(特に右手)、手に力がずっと入っていたとのことです。

編集部編集部

病院ではどのような検査や治療についての説明がありましたか?

赤津 慶美さん赤津さん

CT、MRI検査を受けました。脳性麻痺は根治療法がないと言われています。私の場合は「リハビリ療法を頑張っていきましょう」ということでした。

編集部編集部

具体的にどのようなリハビリをされたのか教えてください。

赤津 慶美さん赤津さん

17歳まで2週間に1度くらいのペースで理学療法、作業療法のリハビリに通っていました。理学療法では可動域を上げるための他動運動と歩行練習を行っていました。作業療法は主に手や手先の運動です。内容は小さいころからほぼ同じで、成長過程に合わせて難易度を上げていくやり方でした。

編集部編集部

リハビリの一環として乗馬をやられていたこともあるそうですね。

赤津 慶美さん赤津さん

はい。3歳ごろから17歳まで障がい者乗馬をしていました。小さなころや馬に上手に乗れるようになるまでは、近くに支えくれる大人が一緒に居て、馬の隣を歩いてくれましたが、15歳くらいからは1人で乗れるようになり、大会に出場してメダルを獲得したこともあります。

PCW(ポスチャーコントロールウォーカー)や車椅子を使用しての学校生活

PCW(ポスチャーコントロールウォーカー)や車椅子を使用しての学校生活

編集部編集部

学生生活はどのように過ごされてきたのでしょうか?

赤津 慶美さん赤津さん

私の場合は幼稚園、小・中学校までは生活補助員の方に手伝ってもらってPCW(ポスチャーコントロールウォーカー/歩行補助具)を使いながら通っていました。屋外や長時間の移動の際は、車椅子を使用していました。色々なことができるようになるまでには健常者よりもかなりの時間がかかり、あらゆる面で苦労はありましたが、幼稚園、小・中学校までは地元の普通学級に通うことができました。

編集部編集部

高校は通信制の高校へ通われたのですよね?

赤津 慶美さん赤津さん

はい。大学進学を目指して進学校の高校に通っていたのですが、身体のことをなかなかわかってもらえず、いじめに遭うことが多くありました。高校2年生のとき、そういった苦労から体調を崩しがちになってしまい、ひどいときにはストレスで声が出なくなってしまったこともあったので、一旦、心身療養のタイミングを作るために学校を辞めました。そして、翌年の春から新たに通信制高校に通い直すことを決め、現在は自分のペースで単位を取り、2022年3月に卒業しました。

編集部編集部

そのような辛いこともある中、病気と向き合っていく上で心の支えになっているものは何ですか?

赤津 慶美さん赤津さん

好きな芸能人の歌詞や言葉がすごく支えになっています。好きなジャンルが広いのですが、小学校低学年のころから長年大好きなのは、大島優子さんやAKB48などのアイドルです。大島優子さんがAKB48に在籍されていた当時は握手会にもよく参加し、たくさんの励みや元気、勇気をもらい笑顔になれる源となっていました。今も、大島優子さんのファンクラブに入っていて、ファンイベントに参加しています。

編集部編集部

好きな芸能人の活動や言葉がパワーとなっているのですね。

赤津 慶美さん赤津さん

はい。浜崎あゆみさんや赤西仁さんのことも大好きで、言葉や歌詞がどんな場面でもすごく心に刺さって、支えになっています。ライブに行ったり、音楽を聴いたりするのが私の楽しみです。たくさん辛い経験をしましたが、どんな時でも支えてくれたのは好きな芸能人の存在でした。

編集部編集部

赤津さんのInstagramではディズニーについての記事も多く紹介されていますよね。

赤津 慶美さん赤津さん

ディズニーも大好きです。ディズニーが大好きな家庭で育ったので、小さなころから今も変わらず、家族で東京ディズニーリゾートに遊びに行く時間が本当に幸せな時間です。東京ディズニーリゾートは障がいがあることを忘れさせてくれるくらい本当に優しい世界で、いつもたくさんの夢をもらっています。

子どものころからの夢である芸能界の道を志す

子どものころからの夢である芸能界の道を志す

編集部編集部

赤津さんご自身も新たな夢を見つけたそうですね。

赤津 慶美さん赤津さん

はい。2022年の1月から障がい者専門の芸能養成スクールに通って、夢を追いかけて日々頑張っているところです。幼少のころから憧れの芸能人がたくさんいて、芸能界にはとても興味がありましたが、「この身体では無理だろう……」と諦めざるを得ない生活を送っていたときに縁あって、そのような場所ができたことを知りました。

編集部編集部

現在体調は落ち着いているのでしょうか?

赤津 慶美さん赤津さん

現在は、乗馬にもリハビリにも通っていませんが、週に1度、訪問リハビリの方にお世話になっています。趣味もあり、充実した私ならではの人生、「今」を思いっきり楽しむことができています。また、色々な経験をしてきた私だからこそ発信できる障がいについてのことや、日常生活での努力、車椅子でのディズニーの楽しみ方についてなど、Instagramで発信していくのも生活の一部になっています。

編集部編集部

あなたの病気を意識していない人にメッセージをお願いします。

赤津 慶美さん赤津さん

私の場合は、「車椅子を使っている」ということくらいしか見た目ではわかりません。日常生活は基本的にすべて1人でこなせるものの、お手洗いや靴を履く作業、着替えなど、ほかの人より多くの時間をかけて生活しています。なかなか難しいかもしれませんが、「こんな子もいるんだよ」ということを幅広い年代の方に知ってもらえると嬉しいです。

編集部編集部

医療従事者に望むことはありますか?

赤津 慶美さん赤津さん

脳性麻痺は人それぞれ程度が違う病気でもあり、完治を目指せる治療法もありませんが、それぞれの患者さんに適したリハビリなどをこれからもやっていただけたら嬉しいです。脳性麻痺と診断されてから約20年間、私に携わってくれたすべての医療従事者の方に感謝を伝えたいです。

編集部編集部

最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。

赤津 慶美さん赤津さん

人それぞれ誰にでも、目に見えなくとも苦しみやつらい経験はあるはずです。私はこの障がいのある身体だからこそ経験したこともたくさんありましたが、今では辛かったことも嬉しかったこともすべてが私の人生の糧になっていると思っています。障がいを抱えていることを悔やんではいませんし、むしろ色々経験できるきっかけになったことには感謝しています。そして、家族や親戚が私を受け入れてくれ、全力でサポートしてくれたこと、また、今まで関わってくれたすべての方へ「ありがとうの気持ち」でいっぱいです。この記事を読んでくださっているすべての方が、脳性麻痺について少しでも知ってくださるきっかけになっていれば幸いです。障がいがあると大変なことがたくさんあるのは事実だけれども、決して不幸ではないということ、人生には人それぞれの楽しみ方があるということについても感じてもらえたら嬉しいです。

編集部まとめ

幼いころから病気と向き合っている赤津さんのお話を聞いて、病気のことを周囲が理解する大切さに気づかされました。また、時間をかけながらも着実に自分の人生を切り開こうとしている前向きな強さを感じました。芸能人の言葉や歌に勇気をもらったように、今度は自分がそういった存在になりたいという大きな夢を見つけた赤津さん、これからさらに輝いた人生を送っていくのだろうと思いました。

この記事の監修医師