【体験談】足のムズムズや身体の痒みが「難病」の始まりだった《自己免疫性肝炎》
闘病者のMAOさん(仮称)が指定難病の1つである「自己免疫性肝炎」を患ったのは、子育てがひと段落して、仕事に復帰した矢先のことでした。本来自分の身を守るための免疫が肝臓の細胞を攻撃してしまい、肝臓に炎症を起こしてしまうそうです。罹患するまでの異変や治療をはじめ罹患してからの出来事などについて、振り返ってもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年1月取材。
体験者プロフィール:
MAOさん(仮称)
愛知県在住、生まれは1970年代。家族構成(小学生の子ども2人。現在は夫と別居し母と4人暮らし)。診断時の職業は会社員。平成31年に自己免疫性肝炎を発症。標準治療のプレドニンによる治療効果が認められず、2回の再燃と数々の激しい副作用に苦しむ。双極性障害による気分の浮き沈みに現在も悩みながら、家族のサポートのもと日々育児や家事に奮闘し、社会復帰を目指している。
記事監修医師:
梅村 将成
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
サプリメントや栄養ドリンクを多用していた日々
編集部
いつごろから前兆はありましたか?
MAOさん
子どもの小学校入学を機に8年ぶりのフルタイム勤務を始めて、半年ほどの事でした。少しでも早く仕事を覚えようと残業や休日出勤をしつつ、育児と家事を頑張り、疲労が蓄積していました。当時「絶対に体調は崩せない」と、サプリメントや強めの栄養ドリンクを複数種類摂取していました。
編集部
最初の症状はどのようなものでしたか?
MAOさん
診断の2か月くらい前から、足がムズムズしたり、全身がかゆくて眠れなくなったり、お酒やお肉が以前よりおいしく感じなくなったりしました。やがて休日は起き上がれず、1日中寝ている日も増えました。「あちこちガタが来て、これが加齢というものか」と、同じ年代の同僚と笑い話にするぐらい軽く考えていました。そのうち、夜に発熱して朝は解熱する、常に胃がむかむかする、尿の色が濃い、そんな日々が続きましたが「疲れによる風邪かな?」と軽い気持ちでいました。
編集部
その後、病院は受診されましたか?
MAOさん
最初に受診したのはかかりつけのクリニックでした。入室した私の顔を見るなり、先生に「すぐに別室で検査を」と言われました。白目がカレー粉で染まったように真っ黄色だったそうで、とてもびっくりしましたね。
編集部
検査結果はどうでしたか?
MAOさん
半日かけて検査し、「このまま自宅に帰らず、1秒でも早く大きな病院を受診してください」と言われ、頭が真っ白になりました。紹介された病院では「血液検査の結果、AST、ALTともに立っているのが不思議なくらいの高値です。肝炎を考えますが、詳しく検査します。おそらく2週間くらいの入院です」と言われました。
編集部
入院してからの検査はどうでしたか?
MAOさん
入院して2週間ほどは、血液検査をしながら経過観察していました。やがて肝生検を受けましたが、はっきりとしたことがわからず、疑い病名として「自己免疫性肝炎」と告げられました。
絶望の淵に突き落とされた気分
編集部
そのときどのような心境でしたか?
MAOさん
まさに青天の霹靂でした。念願の再就職を果たし、職場の人間関係にも恵まれ、家族旅行をしたり、自分の時間も作れたり、これから充実した日々が始まると思っていた矢先の出来事でした。絶望の淵に突き落とされた気分でした。何より、まさか自分が難病にかかるとは思いもしませんでした。最初はただの胃腸風邪だと思っていましたから(笑)。
編集部
ご主人やご両親の反応はどうでしたか?
MAOさん
夫は、子どもたちに動揺を与えないよう、努めて冷静にふるまおうとしていました。実母は取り乱して病院にすぐ駆けつけてくれましたね。どちらにも感謝しています。
編集部
お子さんたちの反応はどうでしたか?
MAOさん
子どもたちは突然の入院について、意外と「やっぱりね」という反応だったらしく、私のほうがびっくりしてしまいました。当時9歳だった長男は「だって、お母さんの目はずっと黄色かったし、いつも滅茶苦茶頑張ってしんどそうだったから、心配していた」と意外と冷静でした。案外自分より周囲のほうが見えていることもあるのかも知れないと感じました。
編集部
職場や友人の反応はどうでしたか?
MAOさん
友人や仕事関係の知人はみな明るく接してくれていましたが、病気が長引いていくにつれ、気遣ってそっとしておいてくださる方が多くなったように思います。
編集部
治療の内容を教えてください。
MAOさん
まず、プレドニンの内服により、肝臓を攻撃する異常な免疫反応を最小限まで下げることになりました。約2か月後にはAST、ALTの数値が下がり、退院することができ、復職もしました。この時にイムランの投与を勧められることもありました。当時はプレドニンの副作用が一番苦しい時期で、そうこうしているうちに再燃が起こりました。
編集部
再燃してからはどのような治療をおこないましたか?
MAOさん
「そもそも本当に自己免疫性肝炎なのか?」という疑問が湧いていたため、セカンドオピニオンを受け、今の主治医の病院に転院しました。再び肝生検を受けたところ、「薬剤起因性自己免疫性肝炎」と診断され、また副作用のひどさ(精神障害が深刻だった)からプレドニンの減薬期間を通常より早め(2年程度)ながらゼロにし、今はイムランを主薬にスイッチしての治療を受けています。
編集部
これまで治療にはどのような薬を使いましたか?
MAOさん
当初はプレドニンとウルソをメインに、副作用対策としてサムチレール(肺炎予防)、ボナロン(骨粗しょう症予防)、ネキシウム(胃腸薬)、クエチアピン(不眠改善)、エビリファイ(不安改善)などが使われました。
編集部
現在の治療はどのような薬を?
MAOさん
現在は、私には効果が乏しいと思われるプレドニンはゼロとなり、イムランとウルソの服用で肝機能については安定しています。
編集部
治療による副作用はありましたか?
MAOさん
副作用に悩まされ続けた闘病生活といっても過言ではありません。プレドニンを服用し始めて2~3週間ほどで、むくみ、脱毛、不眠、躁鬱症状が始まりました。その後、味覚障害、歯周病・口内炎、嚥下障害、見た目の激変、血糖値とコレステロール値の上昇、骨密度の低下、のぼせ、手足や腕のしびれなど、さまざまな副作用が起こりました。双極性障害も患うことになってしまいました。また、体質に合わない薬があったため薬疹で苦しみ、首から背中・胸にかけて、まだら模様が残ってしまったのも、女性としてつらい出来事でした。
多くの副作用に悩まされる日々
編集部
入院中はどのようなお気持ちでしたか?
MAOさん
まず心配だったのは、家族、特に小学生の子どもたちの生活でした。まだ1年生と3年生で、生まれてからずっと川の字になって寝ていた母子が突然離れてしまうことで、悲しい想いをさせてしまうと思うと辛かったです。学校へ行く前と寝る前の時間に、電話することが毎日の楽しみでした。
編集部
入院は仕事に影響しませんでしたか?
MAOさん
職場は「帰ってくるのを待とう」と、多くの方が協力してくださったと聞き、とても申し訳ない気持ちと、励まされる気持ちとでいっぱいでした。病気が再燃したことで、これ以上ご迷惑をかけられないと、残念ながら退職することにしましたが、定期的に見舞いのお電話をくださった上司をはじめ、取引先の皆さんにもよくお見舞いに来ていただき、大変励まされました。
編集部
SNSでの交流なども盛んにしているそうですね。
MAOさん
SNSのいわゆる「ママアカウント」の皆さんにも、たくさん励まされました。病気や家族、入院生活での不安を吐露するようなマイナスな投稿にも、明るく返信していただいたり、匿名でお見舞いの品を送っていただいたりもして、前向きな気持ちになるよう支えてくださいました。窓から景色が見えない病室にいたため、どうしても閉塞感に苛まれることもあったのですが、SNSがまるで社会とつながる窓となっているような感覚で、寂しい気持ちをかなり軽くしていただいたことには、衝撃にも近い感激と、大きな感謝を感じました。
編集部
医師や看護師など、医療関係者からの説明は十分でしたか?
MAOさん
これまでに4つの病院を受診しましたが、現在の主治医の先生は、私の治療に対する不安を払拭してくれました。看護師さんについては、どの方も適宜先生と連絡を取って心身ともにサポートしてくださり、大変ありがたかったです。コミュニケーション力のすばらしさに感動しましたし、勉強させていただきました。なかでも、お子さんをお持ちの看護師さん方には、子育ての話で盛り上がったり、時には涙ながらに話を聞いていただいたりと、本当にありがたかったです。
編集部
病気になって家庭生活に変化がありましたか?
MAOさん
ある意味では生活面での本当の闘いは、退院後でした。肝臓についてはイムランにより安定していますが、プレドニンにより発病した双極性障害に苦しんでいます。調子がいい時は周りがびっくりするほど快活なのですが、調子が悪い時には入浴やトイレにも起き上がれず、希死観念に苦しみます。自分で自分が全然コントロールできません。夫婦喧嘩も多くなり、子どもたちに影響するようになったため、現在は自宅を離れ、母子で実家の世話になっています。
編集部
治療中の心の支えとなったものは、何でしたか?
MAOさん
やはり、小学生の子どもたちの存在はとても大きかったです。早く一緒に笑う日々を取り戻したい、母として料理をふるまい、一緒に悩み、毎日温かな手を握りたい、その一心だったように思います。忙しい時間をぬってお見舞いに駆けつけた友達にも感謝しています。長年年賀状だけのやりとりだった学生時代の友達と15年ぶりに再会したり、4時間以上運転して駆けつけてくれたりしたこともありました。そういう温かい交流が生きる力になりました。
編集部
もし昔の自分に声をかけるとしたら、どんな助言をしますか?
MAOさん
「今やりたいことをやっておけ」「能力とお金を大事にしろ」です。病気になって収入が減り、「家族で国内外への旅行をたくさんする」という夢がかなわなくなってしまいました。また、子どもが大きくなったらどんどん働いて稼ごうという計画もとん挫してしまい、思うように貯蓄が進まなくなってしまいました。
編集部
あなたの病気を知らない方へ、一言お願いします。
MAOさん
自己免疫性肝炎は、本来なら投薬で寛解状態がのぞめるもので、薬と上手に付き合いながら普通の生活を送れるそうです。医師からも「難病とはいえ、働くことも子育てすることもしっかりできるようになります」と説明を受けています。今後、同じ病気になってしまう方がいるとしても、前向きに頑張ってください。
編集部まとめ
自己免疫性肝炎を発症し、その副作用に現在も悩むMAOさんにお話をお聞きしました。肝炎は落ち着くも、多くの副作用に現在も闘っている状況をお聞きし、わからないことだらけの不安、そして家族や周囲の支えの重要性を実感しました。