【闘病】「健康診断をサボらなければ…」 悪性リンパ腫を大学生で経験して
過去を後悔することは、誰しもあることだと思います。闘病者の嵯峨さんは、健康診断を一度「さぼった」後、翌年の健康診断で病気がわかったそうです。「1年前に治療開始できていたら悔しい気持ちも少なかっただろうと思う」という嵯峨さんが、そこからどうやって気持ちを切り替えていったのか、貴重な体験を語ってくれました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年1月取材。
体験者プロフィール:
嵯峨 万琴
2001年生まれ。神奈川県在住。大学生。大学2年の時の健康診断で腫瘍が見つかり、その後悪性リンパ腫と診断される。約半年間の治療を経て、現在は寛解状態。闘病前と変わらない生活を送っている。
記事監修医師:
原田 介斗(東海大学医学部血液腫瘍内科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
「きっと誤診だ。何かの間違いだ。」
編集部
最初に不調や違和感があったのはどういった状況だったのでしょうか?
嵯峨さん
体調不良は全く感じておらず、無症状でした。大学2年生の4月に学校で健康診断を受けたのですが、その半月後くらいに保健室から授業中に電話がかかってきました。そのときはまだ、「書類に不備でもあったのかな」などと思っていました。
編集部
そこから診断に至るまでの経緯を教えてください。
嵯峨さん
保健室からの電話で、「腫瘍がある」と言われました。その事を親に話し、親が保健室の先生と相談して病院の予約を取り付けてくれました。病院では、呼吸器内科にかかりました。学校で撮影したレントゲン写真では前縦隔というところに腫瘍があったため、胸腺腫や悪性リンパ腫などが疑われるとのことでした。その後、レントゲン画像だけでは判断できないとのことで、さらに検査を受ける事になり、血液内科に移動して、MRIや生検、PET−CT、骨髄検査などを受けました。これらの検査結果から、5月中旬には病名が「悪性リンパ腫」と確定し、6月初旬から治療を開始しました。
編集部
悪性リンパ腫とはどんな病気なのでしょうか?
嵯峨さん
簡単に言ってしまうと、「血液のがん」です。非ホジキンリンパ腫とホジキンリンパ腫があるのですが、私はホジキンリンパ腫の方でした。私の場合、おおよそ過去1年以内のどこかで発症したようでした。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
嵯峨さん
抗がん剤で治療を行います。基本的に外来で治療します。私の場合、2週間を1クールとして、まずは12クールの治療を行い、経過が良ければ約半年で終了、もし良くなければ追加で放射線治療などをします、と言われました。
編集部
そのときの心境について教えてください。
嵯峨さん
最初はそれほど深刻には感じていませんでした。自分自身が全く無症状で、どこも痛くなかったため、信じられなかったのです。保健室の先生や、医師の診断を聞いてもまだ「きっと誤診だ。何かの間違いだ。」と思っていました。それでも怖かったので、生存率や余命については沢山調べていたような気がします。また、自分を安心させるために病状についても色々調べて「私はこの病気じゃない」と言い聞かせていました。
編集部
そこからどのように病気を受け止められたのですか?
嵯峨さん
その後、様々な検査を行って、診断結果として病名を提示されて初めて「自分は病気なんだ。悪性リンパ腫なんだ。」と認識しました。子供の頃から水泳をやっていたのですが、先生から「今は競技どころではない」と言われた時、急に涙が出てきて止まりませんでした。私の中で、正直病気だということよりも、練習や試合、授業に思うように出られないことのほうがショックも大きかったのです。
編集部
それは大変でしたね。
嵯峨さん
はい。治療期間内で一番辛かったのは、競技ができないことでした。試合に出られないことは本当に辛かったです。特に国体予選と関東インカレの欠場が精神的に辛く、サークルの仲間が活躍しているのを観て応援する反面、「本来なら私もあそこでレースをしているはずなのに、何で私だけこんな目に遭わなきゃいけないの?」と、とても悔しかったです。
坊主にしてみて、見えたもの
編集部
どのように気持ちを保っていたのですか?
嵯峨さん
やはり、みんなからの応援の言葉が大きかったです。「競技どころではない」と言われた時は、さすがに一人では気持ちが抱えきれなかったので、周りに助けを求めました。すると、色んな人から「頑張れ」「乗り越えられるよ」「まこちゃんならできる」「終わったらご飯行こう」など沢山の温かい言葉をかけてもらいました。お陰で立ち直り、治療に向き合う事が出来ました。本当に周りの方に恵まれて、皆さんの温かさに触れた事が嬉しくて、メッセージを読んで号泣していました。
編集部
治療や闘病生活の中で、何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。
嵯峨さん
まずは、髪の毛についてです。治療の副作用で髪が抜けるということだったので、それまで経験したことのなかったカラーや坊主にしてみました。ただ、いくら髪の毛にこだわりがない私でも「坊主にして学校に行き、友達に会う」というのは、さすがに躊躇していました。しかし、実際に学校に行ってみると皆がかけてくれた言葉は 「めっちゃカッコいい!! 」でした。同年代の子たちにすごく褒めてもらえたことが、本当に嬉しかったです。
編集部
ほかにもありますか?
嵯峨さん
あとは、友達からもらった手紙です。私自身、もともと周りの人に感情を出せない性格なのに加え、治療期間は努めて周りに「キツイ」という言葉を言わないようにしていました。ところが、私の頑張りを褒めてくれるような言葉が沢山書かれていて、見てくれている人は見てくれているのだなと、嬉しく感じました。何度も繰り返し読みましたが、今読んでも涙が出てきます。本当に良い友達を持ち幸せだと思います。
編集部
東京オリンピック・パラリンピックは観ましたか?
嵯峨さん
はい。東京オリンピック・パラリンピックも自分に元気をくれました。オリンピックでは、トライアスロンのアメリカ代表のマクダウェル選手が、自分と同じくらいの年齢で、同じ病気を経験していたのにも関わらず、オリンピックという大舞台で活躍していました。それを観て、「私も頑張ろう」と思えるようになりました。パラリンピックは、友達のお母さんが出ていたこともあり、今回初めて観ました。人はどんな状況でも、頑張れば努力は報われる。やるかやらないかはその人次第だと思わせてもらえました。
編集部
病気の前後で変化したことを教えてください。
嵯峨さん
特に大きな心境の変化は2つ挙げられます。まず、「出来ることはやろう」「時間を無駄にしない」と思うようになりました。この病気を経験して、やりたい事ができないもどかしさを特に感じたからです。また、時間はあっという間に過ぎること、いくら健康で若い人でもこんなにあっけなく病気になるものなんだとも感じました。たとえ重篤な病気でなくても、初めて命の儚さを知ったような気がします。その為、「今を大切にしたい」「後悔したくない」と考えるようになり、「色んなことに挑戦してみよう!」と思うようになり行動も早くなった気がします。
編集部
2つ目も教えてください。
嵯峨さん
2つ目は、色んなことに関しての偏見が無くなったように感じます。一番の要因は、坊主にし、女性の中ではある種マイノリティになったことです。病気にならなければ経験し得なかったであろう新しい経験をする事で、周りの人に対しての見る目や、知見、興味関心の幅がとても広がったように感じます。また、病院に通う中で様々な人を見た事で、色んな人の立場に立って物事を考えられるようになったのではないかとも思います。
治療を乗り越えられたのは仲間がいたから
編集部
今までを振り返ってみて、後悔していることなどありますか?
嵯峨さん
「大学1年生の時の健康診断をさぼらなければ良かった」とつくづく思っています。学校からの4000円の補助以外は自費でしたし、健康なのだから別に受けなくても良いと思ってしまっていました。もしかしたらの話ですが、1年前に病気がわかっていれば、2020年はコロナで学校も全てオンラインなのに加え、試合もほとんどなかったので、治療をしていたとしても、授業を受けられたし、「試合に出られなくて悔しい」と思うことも少なかったかもしれません。ただ、2020年は友達も仲間も増えて、コロナ禍でしたが様々な経験も出来ていたので、そこまでの大きな後悔はありません。この辛い治療期間を支えてくれた仲間や友達に出会えたのが2020年なので、その後に治療に向かえてよかったなとも思います。
編集部
現在の体調や生活はどうですか?
嵯峨さん
2021年11月に治療がひと段落して、元気に生活しています。これからは「今この瞬間」を頑張りたいと思います。何事もいつ出来なくなるか分からないし、何かあってから「やっておけば良かった」と後悔しても遅いですから。
編集部
医療機関や医療従事者に望むことはありますか?
嵯峨さん
病院の方には本当にとても良くしていただいたので、対応などの面で望むことは特にありません。ただ、強いて言うなら院内「癒してくれるもの」が欲しいです。私はぬいぐるみが好きなのですが、投薬後は決まって自分の部屋にあるぬいぐるみ達に癒されていました。入院している方や、辛い治療をしている方を癒してくれるような、ぬいぐるみやロボットなどを導入してもらえると、患者さんのキツさが少し軽減するのではないかと思います。また、個人的には、今後、スポーツをしている人が治療後に競技に戻りやすいサポート体制や入院患者が少しだけでも体を動かすことの出来る施設が導入されれば嬉しいと思います。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
嵯峨さん
確かに、私はこの病気によって、身体的にも精神的にも辛いことが多くありました。でも、病気になったことにより、今までの生活ではできなかった事に挑戦し、たくさんの経験をする事が出来ました。「今だからこそ出来ること、今しか出来ないことは何だろう?」そう考える事で、この治療期間を有意義に過ごすことができたと思います。周りに治療中の方がいる皆様。患者にとって、周りの人の助けは本当に支えになります。話を聞いてあげるのでも、暖かい雰囲気をつくるのでも、笑顔でいる事でも何でも良いです。どうか支えてあげて欲しいと思います。
編集部まとめ
なんの症状もないところから突然の「血液のがん」という診断。そして、競技ができなくなるということ、治療の副作用で脱毛してしまうということ。数々の辛い経験をされた嵯峨さんですが、「病気になったことにより、今までの生活ではできなかった事に挑戦し、たくさんの経験をする事が出来ました」という考え方は、とても素敵だと思いました。仲間を大切に、これからもますます競技や大学生活を精一杯楽しんでください。