~実録・闘病体験記~ 「未来は明るい」ポジティブに多発性硬化症と向き合う(1/2ページ)

多発性硬化症は脳や神経などに炎症がおきる自己免疫疾患で、さまざまな神経に関連する症状が出る「再発」と、症状が治まる「寛解」を繰り返します。今回はこの多発性硬化症と戦っているMIHOさん(仮称)にお話を伺いました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年12月取材。

体験者プロフィール:
MIHOさん(仮称)
札幌市在住、1983年生まれ。夫と二人暮らし。診断時の職業は接客販売。最初の病院では3分で診察が終わり診断がつかなかったが、大学病院で検査を受けて診断がつく。しかし、医療者側の姿勢に疑問を感じて転院。転院先は主治医、看護師が患者の生活や希望を一番に考え、寄り添っていた。その先生たちに出会って闘病生活は一変する。現在は再発することなく経過観察中。

記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
しびれが足先から胸の高さまで広がった

編集部
病気に気づいたきっかけとなる症状、出来事を教えてください。
MIHOさん
歩いていて、しばらくすると両脚がしびれ始め、最初は足先だけでしたが、日に日に拡大していき、診断がついたころには胸から下すべてがしびれていました。入浴する際は、水温がわからなくなっていました。
編集部
最初に受診した病院での説明を教えてください。
MIHOさん
最初は内科を受診しました。横になって、お腹をトントンと触診され、「両脚が一緒に痺れる病気なんてありませんよ」と、たった3分で診察も終了し、帰宅しました。
編集部
次の病院ではどのような検査を行うと説明されましたか?
MIHOさん
MRIで脳、首、背中を確認し、髄液検査を受けることになりました。その検査の結果、「多発性硬化症」であることがわかりました。
編集部
病気が判明した時、どのような心境でしたか?
MIHOさん
「何だその病気は? 難病ってことは一生治らないのかな?」くらいで、案外その時は冷静でしたね。
編集部
病気が判明した時、家族や周囲の反応はどうでしたか?
MIHOさん
母はとても心配で、ショックを受けていました。夫は医療従事者ですので「今すぐどうなるということはない」と励ましてくれました。
編集部
どのように治療を進めていきましたか?
MIHOさん
まずは今の症状を抑えるためステロイドパルスを1クール(うち1週間入院)行いました。その後1か月ほど経って、ベタフェロン(自己皮下注射製剤)を始めることになりました。
ベタフェロンでうつになった

編集部
具体的に、治療にはどのような薬を使いましたか?
MIHOさん
ベタフェロンは、うつ症状が出て5か月で中止、コパキソンは、肝機能障害が出て1か月で中止、テクフィデラは、リンパ球減少が認められ中止、現在はタイサブリを使用中です。
編集部
入院中はどのような気持ちでしたか?
MIHOさん
わりと退屈していました。職場の方に借りた漫画を読んだり、お見舞いに来た母と話したりしていました。余計な不安は作りたくないので、この時期はあまりネットやSNSで検索はしませんでした。ステロイドパルスによるムーンフェイスがとても嫌だったのは、はっきり覚えています。
編集部
薬による副作用はありましたか? どのような症状でしたか?
MIHOさん
一番影響があったのは、ベタフェロンでした。通常、うつ病の既往がある方には再発の可能性があるので事前確認されるそうなのですが、私の場合はその確認なく処方され、うつっぽくなりました。投与後にうつっぽくなったことを主治医に言うと、「うつ病経験の確認しませんでしたっけ?」と半笑いでした。6年経った今でもうつ症状は完治していないので、悔しい想いをしましたね。
編集部
病気の情報収集をしたり、体験談を読んだりすることは?
MIHOさん
同じ病気の方のSNSを見たり、直接メッセージをやりとりしたりしました。参考になり、励みにもなりましたね。病名を聞いたこともなかったですし、周囲に同じ病気になった方がいないため、孤独を強く感じていたところだったので、とても助けられました。
編集部
情報収集の際に、何を知りたいと思いましたか?
MIHOさん
私の場合、情報を集めるより、自ら広めることの方が多いですね。自分のSNSに、同じく悩む方から相談がたくさん来るので。