~実録・闘病体験記~ 「未来は明るい」ポジティブに多発性硬化症と向き合う(2/2ページ)

大切なのは医療関係者と患者の信頼関係

編集部
医師や看護師など、医療関係者からの説明は十分でしたか?
MIHOさん
これは先生によりました。同じMRI画像を見ても、診断結果は分かれましたし、ベタフェロンでの事前のうつ確認の事も含め。今通院している病院は4院目で、良くしてもらっていますが、それ以前の病院では、患者への情報提供が不十分だったと感じました。患者はそれぞれ症状が異なり、生活環境も違います。患者さん一人ひとりに向き合ってほしいですね。
編集部
では、コミュニケーションは取りやすかったですか?
MIHOさん
それも病院によりました。話しやすいところ、患者の声を全く聞いてもらえないところ、色々あります。中でも、30歳で妊娠を諦めていなかったのに「妊娠なんて言ってる場合じゃないよ」と言われたことは今でも忘れません。今の病院の主治医は、「全く妊娠を諦める必要はないよ」とも言ってくださり、結婚したことも自分のことのように喜んでくださいました。
編集部
治療開始後、生活、仕事にどのような変化がありましたか?
MIHOさん
自分の新しい可能性を見つけるようになりました。健康なときには後回しにしていたようなことを実践したり、新しい趣味などを始めたり、知人に誘われて登山にも行きました。
編集部
治療中の心の支えとなったものは、何でしたか?
MIHOさん
ずっとそばにいてくれた夫、私の病気を良い意味で気を使わずに遊びに誘ってくれる友達ですね。そして甥っ子、姪っ子とは一緒にあそんでずっと成長を見て行きたい、という支えになっています。
編集部
もし昔の自分に声をかけるとしたら、どんな助言をしますか?
MIHOさん
「案外、普通に生活していますよ。当時、不安に思っていたほとんどのことは起こりません。むしろ、趣味が増え、結婚生活も楽しんでいますよ」と。
編集部
現在の体調、生活、仕事の様子を教えてください。
MIHOさん
24時間、足はしびれています。手の指も痺れることが多いです。うつが原因で仕事は辞めましたが、それまで仕事人間だったので、今まであまり行けなかった旅行や、趣味のカメラ、ファッション、コスメなどを楽しんでいます。まだ下手ですが、夏にはスケボーもします。
編集部
最後に伝えたいことなどがありましたら、お願いします。
MIHOさん
この病気になって間もない人から、よく「苦しんでいる」とのメッセージをもらいます。私もそうでした。病歴7年目の私が思うのは「案外大丈夫です。なんとかなりますよ」ということ。もちろん病気でできないことが出てきますが、新しくできることも必ずあります。「いつか薬ができる」に期待するより、1日1日を楽しむこと、その積み重ねが自信になり「なんだ、病気でも大丈夫じゃん、楽しいことたくさんあるじゃん」と思えるようになります。「大丈夫、なんとかなる。未来は明るい」という意識が大切です。
編集部まとめ
MIHOさんが伝えてくれた、難病を患ったからといって絶望を感じる必要はなく、自分の思いと行動次第で未来はいくらでも楽しくできるというメッセージ。現在はポジティブな姿勢で病気と向き合っていますが、そこにたどり着くまでに相当に苦心されたことが想像できます。医療関係者からの情報提供、寄り添う姿勢次第で、患者さんの気持ち、姿勢、治療成績にも影響がありそうです。