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【闘病】「視神経脊髄炎」 眼が疲れると思っていたら歩けなくなり入院に…

 公開日:2023/07/10
【闘病】眼の疲れと思っていたら「視神経脊髄炎」で歩けなくなり入院に…

闘病者の松本さん(仮称)は、2020年11月に視界に異常を感じた後、吐き気を催し、座っている事もできなくなりました。原因は視神経脊髄炎という病気でした。その後、入院や治療を経て、現在は病状も回復し、薬の服用もなくなったといいます。病気の発症から現在まで、どのような経過を辿ってきたのか、松本さんに詳しく話を聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年4月取材。

松本さん

体験者プロフィール
松本さん(仮称)

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東京都在住。1995年生まれ。診断時の職業は会社員。2020年11月に視神経脊髄炎を発症。1か月の入院で治療し、3か月かけて仕事に復帰。現在も1か月に1回通院しながら断薬に至る(取材時)。

村上 友太

記事監修医師
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

景色が追い付かないという感覚の違和感

景色が追い付かないという感覚の違和感

編集部編集部

視神経脊髄炎とはどのような病気ですか?

松本さん松本さん

視神経脊髄炎は、視神経炎により視力低下、運動麻痺や感覚障害などの症状が起こる病気です。女性に多く発症する傾向があり、 重症化すると失明や歩行できない状態にいたることもあるそうです。

編集部編集部

病気が判明した経緯について教えてください。

松本さん松本さん

2020年11月頃から、歩いていると視界の両端の見え方に違和感がありました。振り向いて見た景色が、遅れて見えてくるような感じです。また、仕事中も夕方になると目がかすみ、PCが見えづらくなってくるので、仕事をセーブしながら眼鏡をかけて生活していました。コンタクトが合わないのか、目の疲れのせいだと思っていました。

編集部編集部

その状態で生活に困難はなかったのでしょうか?

松本さん松本さん

2020年12月頃、視界の悪化に伴って、まっすぐ歩くことができなくなりました。ネットで症状について調べると「自律神経」や「三半規管」などについての記載内容がヒットしたので、近所の耳鼻科に行ってみました。ところがそこでは特に問題は見つからず、耳鼻科の先生と相談し、ストレスが原因であれば仕事のない年末には治るだろうと、様子を見ることにしました。

編集部編集部

その結果どうなりましたか?

松本さん松本さん

年末には、目を開けると世界が揺れていて、嘔吐が止まらない状態になっていました。LINEでメッセージすら打てなくなっていました。2021年1月3日、頭痛が激しくなり、熱も出たので改めて病院に行くことにしました。なんとかタクシーに乗り、以前お世話になった大きい病院へ向かいました。

編集部編集部

病院に向かうのも一苦労だったと思います。

松本さん松本さん

そうでしたね。その時期はコロナ禍だったので、病院に着いても熱があるため入口からは入ることができず、ベンチで待つことになりました。 座っているのがしんどくなりベンチで横になったところ、ストレッチャーで院内に運ばれました。

編集部編集部

どのような診断を受けましたか?

松本さん松本さん

院長先生から「やはり耳が原因だと思うが、よくなる薬があるから大丈夫」と言われて安心したのを覚えています。検査をすることになり、CTを撮りました。そこで、耳ではなく脳に異常が見つかりました。

視神経脊髄炎の確定診断を受ける

視神経脊髄炎の確定診断を受ける

編集部編集部

まだ確定診断にはいたっていないということですか?

松本さん松本さん

はい。そこの病院では診られないので、転院先を見つけることになりました。ただ、コロナで、転院先がなかなか見つからない状況でした。帰宅はできないので、その病院に入院を続けることになりました。やがて、転院先が見つかり、救急車で搬送してもらえました。

編集部編集部

検査は多かったのでしょうか?

松本さん松本さん

転院先では様々な検査を受けていましたが、何回か吐いた記憶以外にほかのことはあまり覚えていません。その後、改めて造影剤を使ったMRIを受けて、白い靄が複数箇所に見つかり「多発性硬化症」と仮診断されました。

編集部編集部

多発性硬化症の診断ですか? お聞きした病名と違いますね。

松本さん松本さん

はい。腰椎穿刺で抗MOG抗体の検査をしたのですが、髄液の圧がすごく高いと看護師さんが驚くほどの結果でした。 医師からは「頭痛の大きな原因は、髄液が脳を強く圧迫していたからだ」と説明を受けました。そこからステロイドパルス療法をスタートしたのですが、これが、とても効果がありました。

編集部編集部

では、視神経脊髄炎の診断はどのように?

松本さん松本さん

3週間後、髄液の検査結果が送付先の大学病院から返ってきて、改めて抗MOG抗体は陽性、「視神経脊髄炎」であると診断されました。

編集部編集部

どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?

松本さん松本さん

ステロイドパルス療法を少なくとも2クール行って炎症の様子を見ていくこと、歩行が困難で呂律が回っていないためリハビリを併行して続けていくことを説明されました。病名は変わったのですが、ステロイドパルス療法は変わりませんでした。

編集部編集部

実際の入院や治療の内容を教えてください。

松本さん松本さん

入院期間は1か月間でした。治療は、ステロイドパルス療法3クールを2回実施しました。退院してからは、プレドニンを服用しています。歩行訓練や発音のリハビリを行い、2021年8月、経過観察として3日間の検査入院をしました。

発症後から生活の変化

発症後から生活の変化

編集部編集部

振り返って、病気が判明したときの心境について教えてください。

松本さん松本さん

正直、まったく聞いたこともない病気だったので、「へー」としか思いませんでした。スマホで軽く調べてみると、「視神経脊髄炎 死亡 余命」などのサジェストワード(検索窓に言葉を入れたときに表示される、そこに続く検索候補)が出てきたので、落ち込みました。しかし、ステロイドパルス療法の効きが良すぎて「大丈夫だ」と思うまでは早かったです。

編集部編集部

発症後、生活にどのような変化がありましたか?

松本さん松本さん

発症前からダイエットのために、糖質を控えていたので、ステロイドによる副作用を抑える食事制限は、特に変わりありませんでした。もともと行っていた筋トレは、軽い有酸素運動に変更し、仕事もかなりセーブするようになりました。自分では気づいていないストレスも原因のひとつかもしれないと思い、現在は好きな仕事を好きな分量やるようにしています。仕事は、3か月かけて時短勤務から徐々に体を慣らしていきました。

編集部編集部

治療中の心の支えはなんでしたか?

松本さん松本さん

職場から「ゆっくり治しなさい。病気のことだけ考えなさい。お金は気にしなくていいから」と言ってもらえたことです。また、家族や恋人、友人の存在が大きかったです。「退院しておいしいものを食べたい」という気持ちもモチベーションになっていました。

編集部編集部

もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?

松本さん松本さん

「まだ若いし元気だから」と思って入っていなかった保険に加入することを勧めます。若さ、性別、体の丈夫さ、日々の生活に関係なく、病はやってくることを伝えます。

編集部編集部

現在の体調や生活の様子について教えてください。

松本さん松本さん

体調は安定していますが、いつまた再発するかわからない病気です。適度な運動とバランスを考えた食事に気を使っています。長時間PCで仕事をした後、目に違和感(疲れ)を感じたときや、吐き気があるときには少しヒヤッとしますね。それでも、2022年3月からは断薬することができました。

編集部編集部

最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。

松本さん松本さん

意識していても防ぐことができない病気もあります。もし思いもよらない病気になったとしても、自分を責めずに病気だけを責めてほしいです。「ばちが当たったんだ」とか「あれがいけなかったんだ」などと考えず、今に向き合ってほしいと思います。医療従事者の方には、本当に感謝しています。

編集部まとめ

松本さんは景色が追い付かないという体験から病気が発覚し、1年強の投薬治療、闘病生活を乗り越えられました。視界異常から吐き気を催し、緊急で入院したほどでした。幸い治療後の経過は良好で、仕事に復帰もされました。退院から1年経って、当たり前の生活をしていく中で病気のことを忘れてしまうほどに回復されたそうです。「病気で手厚くサポートしてくれた会社に貢献すべく仕事に励んでいる。今に感謝し、これからもこの病気と仲良く付き合い続けたいと思います」と前向きに話してくれました。

この記事の監修医師