プロサーファー小川直久が潰瘍性大腸炎と大腸がんを乗り越えられた理由
潰瘍(かいよう)性大腸炎で15年近く苦しみ、2020年には大腸がんと診断された日本を代表するプロサーファーの小川直久さん。複数回の手術や抗がん剤治療を経て、現在は競技復帰に向けたトレーニングを開始されています。しかし、小川さんが現在の状況に至るまでにはご自身の葛藤や苦悩、学び、周囲からのサポート、またその背景として医療技術の進歩があったとのこと。今回、小川さんには、腫瘍内科医の楢原啓之先生との対談という形で大腸がんを乗り越えるまでの体験をお話しいただきました。
※この取材は、2021年12月におこなわれたものです。
プロサーフィン選手
小川 直久(おがわ なおひさ)
1972年生まれ。千葉県鴨川市出身。1995年JPSA(一般社団法人日本プロサーフィン連盟)ショートボードグランドチャンピオンに輝いた経歴を持つプロサーフィン選手。2001年、ハワイのパイプラインでおこなわれた伝統ある大会「パイプラインマスターズ」で日本人初のパーフェクト10(満点)のライディングを記録し、パイプラインマスターの称号を獲得。7年連続を含む合計8回のサーファーオブザイヤーを受賞。選手としてだけではなく、解説としても活躍。日本プロサーフィン連盟副理事長も務めている。
腫瘍内科医
楢原 啓之(ならはら ひろゆき)
1990年大阪大学医学部卒業。市立芦屋病院内科、大阪府立成人病センター(現・大阪国際がんセンター)消化器内科にて勤務。広島大学大学院医歯薬学総合研究科臨床腫瘍学教授やがんプロフェッショナル養成プラン教育コーディネーターなどを歴任。がん治療学教授として医学部・大学院生の教育指導をおこなう。現在は兵庫県立西宮病院化学療法担当部長兼治験センター長を務めている。医学博士。日本消化器病学会専門医・指導医・学術評議員、日本消化器内視鏡学会専門医・指導医・学術評議員など資格多数。
目次 -INDEX-
“二度と同じものは来ない”波と向き合うサーフィンの魅力
小川さん
本日はよろしくお願いします。
楢原先生
よろしくお願いします。小川さんはどのような経緯でプロサーファーになられたのですか?
小川さん
海が目の前にある家で育ったのですが、10歳頃に兄から勧められて始めました。最初はあまり面白くなかったのですが、やり続けて波に乗れるようになったらめちゃくちゃ楽しかったので、その気持ちの延長で今も続けていると思います。
楢原先生
サーフィンの魅力はどんなところでしょう?
小川さん
波はいつ立つかわからないですし、同じものは二度と来ないのですが、それを自分がキャッチして乗ることには特別感がありますね。今回病気になり、どんな人でも差別なく無心になって楽しめるサーフィンの奥深さとか素晴らしさに改めて気づきました。
楢原先生
小川さんは若いうちから大会で優勝されるなど選手として活躍するだけでなく、日本プロサーフィン連盟の副理事長を務めていらっしゃいますが、東京オリンピックの影響もあってサーフィンを取り巻く環境はずいぶん変わったのではないですか?
小川さん
メダリストが2人うまれて反響も大きかった反面、思っていたほど変わらなかったというのが正直な印象です。多少は変わりましたが、元々あった「不良の遊び」のようなイメージから「紳士のスポーツ」という認知へ変わるにはまだまだで、イメージを変えていくためにも、次のパリオリンピックで良い成績が残せるよう支援し、私自身が発信していける人になりたいと強く思っています。
大腸がんの治療は進化している
小川さん
私は大腸がんになり様々な治療を受けてきたのですが、大腸がんの治療は昔と比べて変化しているのでしょうか?
楢原先生
はい、大きく変わってきています。1990年代の前半から大腸ファイバー(内視鏡)検査が普及しはじめまして、現在はポリープのある場所をAIが人間に教えるというところまできています。手術の術式も、昔はお腹を大きく開いていたのですが、今は腹腔鏡手術という傷が小さく入院期間も短くすむ手術が普及しており、さらに直腸では「ダヴィンチ」と呼ばれるロボットを使った手術というのも徐々に出てきております。しかし何といっても一番進歩したのは抗がん剤の分野です。昔は大腸がんというと抗がん剤が効きにくいがんと言われていましたが、抗がん剤の種類や使い方が非常に進歩してきたおかげで、がんが進行してしまった方でも生存期間を延ばすことが期待できるようになってきました。
小川さん
なるほど。私はものすごく進化してきた治療を受けることができたのですね。
潰瘍(かいよう)性大腸炎から、がんと診断されるまで
楢原先生
大腸がんと診断される前に、潰瘍性大腸炎を長く患っていたとのことですが、具体的に状況を伺ってもよろしいでしょうか。
小川さん
血便が出る、下痢が続くといった症状が15年くらい前からあり、病院に通って治療もしていたのですが、“良くなっては悪くなる”の繰り返しでした。最後の何年かは薬も合わなくてずっと調子が悪くて「こんなものだろう」と開き直っていましたね。
楢原先生
色んな治療を経験されたのですね。
小川さん
はい。透析のように血液を一旦体外に出す白血球除去療法というものや皮下注射型の薬、ステロイドの入った泡をお尻から入れる薬などを試しましたが、結局よくならなかったですね。
楢原先生
潰瘍性大腸炎で苦しんでいる方というのは年々増えています。症状については軽いものから重いものまであります。実は普通の大腸がんと潰瘍性大腸炎からできるがんというのは区別されていまして、潰瘍性大腸炎からなるがんは「colitic cancer」と呼ばれ、内視鏡検査でも非常に発見が難しいがんというふうにされております。
小川さん
当時は1、2年くらいの間隔で大腸ファイバーをやっていたのですが、私の場合はがんが発見しづらい状況だったのですね。
楢原先生
はい。どうしても、がんとがん以外の部分との境界がわかりにくくなっています。小川さんはどのように大腸がんが見つかったのですか?
小川さん
今までに体験したことのないほどのものすごい腹痛に襲われ、病院に行ったら炎症値があがっていました。そして、検査をしたらS状結腸の辺りに穴が開いていると言われました。そのときすぐに手術をするのも選択肢の一つだったのですが、絶飲食で抗生剤の点滴を打てば穴が埋まるかもしれないと説明されたので、ひとまずそれをやってみたら1週間くらいで穴がふさがって元に戻りました。
小川さん
しかし、退院してから便が出にくくて、1ヶ月ぐらいギリギリまで我慢したのですが限界がきて、病院に行ったら腸閉塞になっており、腸が3、4倍に腫れているということで緊急入院しました。翌日、お尻にチューブのようなものを入れて、便を出してもらったら4kgぐらい出てきて、そしたらすごいお腹が楽になりました。その時に腸の組織を採取して検査に出し、10日ほどで結果が出まして消化器内科の先生のところに行ったら、がんだと言われました。
楢原先生
がんと言われることは予想されていたのでしょうか。
小川さん
いえ、まさか自分ががんになるなんて思っておらず、「潰瘍性大腸炎が悪化してやばい状態で手術することになるんだな」と考えていました。緊急手術の場合は開腹になると思っていて、「できれば腹腔鏡でやりたいな」と素人ながらいろんなことを考えながら過ごしたのを覚えています。いざ結果が出たら「組織が悪い顔をしている」って言われて、「それはがんという意味ですか」と聞いたら、「そうです」と簡潔に言われました。びっくりしましたね。ショックでした。
がんの転移と人工肛門(ストーマ)造設への戸惑い
楢原先生
手術は内視鏡でおこなわれたのですか?
小川さん
今回は腹腔鏡手術でやってもらいました。最初は大腸を全摘するしかないと言われていたのですが、直腸の一部を残して、最終的には小腸をそこに繋ぐ手術をしていただきました。手術中にリンパ節を60個採ったうち、30個ががんだったとのことでした。幸い、ほかの臓器に転移はなく、がんのステージとしてはⅢcと診断されました。
楢原先生
なるほど。がんという病気は増殖、浸潤、転移と進行していく特徴があります。増殖と浸潤があったが、リンパ節に転移しており遠隔転移はなかったことからステージⅢということになったのでしょう。ステージ Ⅰ・Ⅱが早期がん、ステージⅢ・Ⅳが進行がんと一般的に言われております。ステージⅢの場合には、手術後に再発のリスクがあるため、基本的には抗がん剤を6ヶ月間おこなって再発するのを防ぎましょうというのが国際的に認められている治療法です。
楢原先生
直腸を残して後から繋ぎ合わせたということは、一時的にストーマ(人工肛門)を造設していたのでしょうか?
小川さん
はい。直腸を取ってしまったほうが潰瘍性大腸炎の再発率は低いと聞いたのですが、直腸を5cmほど残せるということだったので、一時的に使用するストーマ造設手術をしてもらいました。1回で直腸と小腸をつなぎ、食べ物を通すという選択もありましたが、直腸と小腸はくっつきにくいため、10%くらいの確率で縫合不全になるというリスクを聞いていたので、安全安心を考えて一時的なストーマを選択しました。その後、何とか直腸と小腸はうまく繋がってくれました。
楢原先生
ストーマに関して、戸惑いはありましたか?
小川さん
はい。最初はなかなか受け入れられなくて、嫌なイメージしかなかったです。自分のお腹から腸が出て、そこに袋をつけるということの理解があまりできなくて。夏に暑くなって汗をかき、かゆくなるのが本当に大変でした。でも3ヶ月ぐらいしたら慣れてきて、潰瘍性大腸炎のひどいときってトイレに行ってばかりだったんですけど、ストーマによってそれが改善されてすごく楽になりました。手術前は潰瘍性大腸炎の影響で夜も寝られないことが多かったので、袋さえつけていれば便が勝手に出てくれるのは快眠につながり、逆に良い部分もたくさん発見できました。
小川さん
いざストーマを取って腸を戻すときになったら、肛門がちゃんと機能するかなと不安になったり、ストーマがついていた方が安心かなと悩んだりしていました。最初の印象から比べると大きな変化ですよね。
抗がん剤治療の苦しみ
小川さん
大腸がんに使う抗がん剤が良くなってきたという話でしたが、どのように変わったのですか?
楢原先生
昔はフルオロウラシルという抗がん剤を中心とした治療しかなくて、あまり寿命を延ばす効果がなかったというのが実のところです。その後、日本人の研究者らによる発見などもあり、新しい薬が開発され徐々に再発予防ができるようになってきました。また点滴だったものが飲み薬になったり、より副作用が少なく効果が出るような工夫もあったりします。
楢原先生
抗がん剤治療に抵抗感はありましたか?
小川さん
抗がん剤治療は、体の中のいいものも全部やっつけてしまうと聞いていたので極力やりたくはなかったんですけど、医師の話を聞き、家族にも勧められてやり始めました。僕の場合は2週間に一度、3時間くらいかけた点滴でおこないました。
楢原先生
副作用はつらくなかったでしょうか。
小川さん
抗がん剤直後の1週間くらいは何種類も副作用がありました。髪の毛がすごい細くなって、シャンプーのたびに髪が切れるので怖くなりました。何より大変だったのはひどい倦怠感と手足がしびれたことですね。今も手と足の先が少ししびれています。喉の痛みもすごくて、夏の時期だったのですが、冷たい水をなかなか飲めないということがつらかったのを覚えています。抗がん剤治療を開始して7回目ぐらいで字を書けないくらい手がしびれてきて、担当医の先生に相談したら、再発率が数%上がることになるがしびれの原因になっている薬を抜くことができると言われ、その薬を抜くことにしました。
小川さん
抗がん剤治療は、副作用に応じていろいろと調整できるものなのでしょうか?
楢原先生
再発予防目的のステージⅢでも延命目的のステージⅣでも、副作用が強くて抗がん剤治療を続けられない方はおられます。また、量を少し減らしたり、薬剤の数を抜いたり、投薬の期間を3週間おきにしたりする場合などもあります。ただ、手術後の再発予防としておこなう抗がん剤治療の場合は、できるだけスケジュール通りにやって完遂することが一番大事です。
小川さん
なるほど。再発予防のためには全て予定通りおこなうのがベストですが、途中でやめてしまうよりは少しの変更があっても予定された期間は治療を続けたほうがよいのですね。
楢原先生
はい。その通りです。
小川さん
私の経験したもの以外にも様々な副作用があるのでしょうか?
楢原先生
殺細胞性抗がん剤に共通する副作用としては、「脱毛」、赤血球や白血球などの血液細胞をつくる機能が低下する「骨髄抑制」、それから吐き気や下痢を起こす「消化管毒性」の3つが全ての抗がん剤に共通する副作用です。インターネット上では、とても少ない量の抗がん剤にすれば副作用がなくていいという誤った考え方が存在しているようですが、実際は効果を得るためにできるだけ身長と体重から計算された量をきっちりとおこなうのが基本だと理解しておいた方がいいでしょう。
病院スタッフとの信頼関係の重要さ
楢原先生
治療がひと段落した今、振り返ってみて感じることはありますか?
小川さん
まず、自分の体に異変が起きてすぐに病院に行けば良かったという後悔はあります。元々病院があまり好きじゃなかったのもあって、どうしても通院を避けがちでした。
小川さん
今回の病気で何度も入院し、手術を経験したのですけども、例えば病院がすごく混んでいてイラついたり嫌になったりすることもあるじゃないですか。でもそこにはちゃんとした理由が成立していました。待ち時間も当然ありますが、主治医の先生や看護師さんたちは人の命を救うために全身全霊をかけてくれていて、患者さんとちゃんと向き合ってくれているからこそ、病院の待ち時間は長くなるのだと理解できました。今は先生の言うことなら間違いないと思っています。
楢原先生
医療職の方々と良い関係を築けたのですね。
小川さん
はい。主治医の先生が私の希望やQOL(クオリティ・オブ・ライフ)に寄り添って下さいました。病気を乗り越えられたのは私一人の力ではありません。また、言われた通りに治療する面も必要だと思いますが、疑問に思ったことを先生に聞いたり相談したりすることも大事だと気づきました。そういう過程を経て、しっかりと納得して治療を受けることができたので良かったですね。
楢原先生
そうですね。日本はドイツから医学を輸入した影響もあり医者が絶対というような時代があったのですけども、今はアメリカ寄りのチーム医療というのも発達してきています。
小川さん
あとやはり大きな病気ですので「治療を続けていけば良くなっていく」と信じる力が必要だと感じています。私も今、がんが再発したらどうしようということは考えないで、定期的に検査をしっかりこなすことに集中しています。
小川さん
抗がん剤治療がつらいときもありましたが、嫌だなという気持ちに支配されないように、一つでもいいから、良い方向に気持ちを持っていくようにしていました。「あと2、3日すれば症状が良くなるから好きなものを食べよう」とかですね。
同じ大腸がんで悩む方に伝えたいこと
楢原先生
最後に同じ病気の方に伝えたいことはありますか?
小川さん
そうですね。全ての人に当てはまるか分かりませんが、私は自分の状況を開示して周りの人たちに相談することでとても気持ちが楽になりました。病気や治療が恥ずかしいって思いもあったんですけど、状況を伝えることによってすごく楽になったり、周りの対応の仕方も変わってきたりして、それが良い治療に取り組めた要因の一つだと思っています。
小川さん
あとストーマを造設した人でもサーフィンをあきらめなくてよいということを伝えたいですね。私はストーマがある状態でサーフィンをしていました。外科の先生には、体調に合わせて軽めなら、と言われていましたが、結局アスリートレベルでやってしまいました(笑)。
楢原先生
手術した後に運動するということは非常に良いことで、アメリカのデータでは運動を続けることは抗がん剤以上に再発予防の効果があるという報告もあります。ぜひ続けていただけるとよいかと思います。
小川さん
ちょっとしたコツなんですが、ストーマが付いたままサーフィンをする場合、普通のサポーターだとずれてきちゃうんですよね。なので少し長めの競泳パンツのような、胸近くまであるコンプレッションウェアだとずれずに違和感なく競技を楽しめました。
楢原先生
競技への復帰も考えておられるのでしょうか。
小川さん
はい。ゆっくりですが少しずつトレーニングを始めています。また選手として復活できるかどうかわからないですけど、モチベーションはまだあるので、来年再来年に向けてやっていけたらと思っています。
楢原先生
ご活躍を祈念しております。今回は貴重なご経験をお話しいただきましてありがとうございました。
小川さん
私もお話しできてよかったです。ありがとうございました。
編集部まとめ
内視鏡にAIが組み込まれ、ロボット手術や新たな抗がん剤の発見など、あらゆる分野で医療技術が進化している大腸がんですが、何よりもまず検査にきちんと行くことが大切とのことでした。
様々な治療を受けるなかで、医師や看護師さんに相談した上で、小川さんがご自身のクオリティ・オブ・ライフを見つめ直しつつ対応されてきたこと、病状を周囲に開示することが前向きになるために重要であったことなど、多くの方にとって大変参考になるお話を共有していただきました。