~実録・闘病体験記~ 難病でステージに立てなくなり「座って」カムバックした癒しのシンガー《多発性硬化症》
癒シンガーKeikoさんは、周りの人に支えられながら、電動車椅子に乗ることになりながらも、歌手としてステージで活動しています。今回は、自己免疫性の神経疾患のひとつである「多発性硬化症」の発症から、現在の状況にいたるまでを語ってくださいました。
体験者プロフィール:
癒シンガーKeiko
神奈川県在住。夫と暮らす。診断時の職業は歌手。2012年が初発といわれており、2014年に「多発性硬化症」と病名が確定。再発後は予後が悪くなる病気のため、週に1回の自己注射(筋肉注射)を開始。現在も変わらず治療を続ける。2019年より、必要に応じて電動車椅子(WHILL)を使用。現在はステージスタイルを変えてもなお、歌手として活動している。「多発性硬化症の歌」
記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
同じ体で明日を迎えられないかもしれない不安
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
癒シンガーKeikoさん
まっすぐ歩けなくなったのが、最初のきっかけです。めまいもひどくて、病院に行くと即入院となりましたが、そのときは「多発性硬化症」の確定に至りませんでした。その後、症状が落ち着いたため退院したのですが、温かい湯船に浸かっても体の半分しか温かいと感じられなかったのです。その後また入院となりましたが、やはりここでも、病名の確定には至りませんでした。それから2年後、両眼の黒目が斜視になりました。ここで初めて「多発性硬化症」という診断がつき、難病であることも知りました。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
癒シンガーKeikoさん
病名が確定してからは、再発する病気なので、週に1回の筋肉注射の治療を始めることになりました。注射にあたり、副作用でインフルエンザ並みの高熱が出ること、引き続き入院が必要であることなどの話がありました。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
癒シンガーKeikoさん
知らない病名で、最初はピンときていませんでした。それでも「同じ体でもう明日を迎えられないかもしれない」という不安と悲しみで、毎日、病院のベッドで泣いていました。6人部屋だったため、泣くこともはばかられるので、ベッドのカーテンも、しばらくは閉めっぱなしだったと思います。不安に押しつぶされそうでした。
温かい言葉に励まされステージに復帰
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
癒シンガーKeikoさん
疲れやすいため、長時間立つこと、歩くことができなくなりました。電車やホームで座れないこともしばしばありましたので、仕事で電車を使うときなどは、キャリーケースに椅子がついたものや、杖に椅子がついたものを持ち歩くようになりました。
編集部
治療中の心の支えはなんでしたか?
癒シンガーKeikoさん
「温かい言葉をかけてくれる人がいた」ということです。診断時、歌手として活動していました。長時間立ってのステージはもうできないと思い、お世話になっていたお店のオーナーにその旨を伝えました。そしたら「立って歌えないのであれば、座ってステージに立てば良いのでは?」と言ってくれたのです。ステージに椅子を置いて歌うという発想をくれただけでなく、病気であるわたしを受け入れてくれました。病気になると孤独を感じる瞬間がありますが、「自分は一人ではないんだ」と改めて教えてもらえた出来事でした。
編集部
その後も歌手活動は続けておられるのですか?
癒シンガーKeikoさん
はい。出演を断られることもありましたが、それ以来、長時間のステージのときは椅子を置いて、時には車椅子でパフォーマンスをさせてもらっています。
気づいてもらえない病気があることを知ってほしい
編集部
現在の体調や生活の様子などについて教えてください。
癒シンガーKeikoさん
「多発性硬化症」は脳の萎縮も懸念されている病気です。そのため再発確認も含めて定期的なMRI検査が必要とされています。先日のMRI検査で、再発回数に反して脳が思ったよりも萎縮しているとのことでした。わたし自身も、疲れてしまうと数字が覚えられないほど、記憶力と集中力が目に見えて落ちるのがわかってきました。見た目は健康な方と何ひとつ変わらないので、周りの方にはトラブル回避のためにも、物忘れやリマインド事項に関しては、注意喚起させていただいています。
編集部
あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。
癒シンガーKeikoさん
見えない障害というのがあります。それは精神疾患だけではなくて「多発性硬化症」のように「疲れやすい」という症状なども含まれます。健康な人にも、知識として知っておいていただけるとありがたいです。あまり知られていない病名のため「病名が言える」、実はそんなことだけでもこちらとしては嬉しいのです。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
癒シンガーKeikoさん
病気になる前のわたしは、神経科、精神科、脳神経内科の区別もわかりませんでした。病気により、右足に感覚異常の後遺症も残りました。病名の確定がもっと早ければ、脳神経内科の存在をもっと身近なものとして知っていれば、と後悔の念が残っています。体の異変を感じたときは、脳神経内科の受診も選択肢のひとつに入れてみてください。実は、「多発性硬化症の歌」(プロフィール参照)というのを作りました。「脳神経内科」の存在を思い出すきっかけになれば幸いです。
編集部まとめ
周りの人々や、医療従事者の方々にも感謝の気持ちを語ってくださった癒シンガーKeikoさん。体に違和感があれば病院に行くこと、脳神経内科など自分の症状にあった診療科を受診することを勧めてくださいました。この記事をきっかけに難病と呼ばれる病気に対する知識をつけてみませんか? 周りの難病に苦しんでいる人に手を差し伸べることができたり、もしかしたらのときに役立ったりするかもしれません。