【闘病】下半身と陰茎の浮腫み、謎の体重増加 「ネフローゼ症候群」とは?
高校卒業後、部活動に復帰する中で「異様な疲れ」を感じた安部弘祐さん(仮名)。当初は運動不足によるものと考えていたその違和感は、次第に浮腫みや息苦しさへと変わり、やがて「ネフローゼ症候群」という診断に繋がりました。息苦しさや浮腫みとの闘い、入退院を繰り返す中で得た支えや気づき、そして未来への想いについて聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年2月取材。
体験者プロフィール:
安部 弘祐
宮崎県出身。沖縄県在住。1999年生まれ。一人暮らし。高校卒業後、大学合格と同時にネフローゼ症候群を発症。大学一年生のときは入院生活をしながら大学に通った。自身で企画して本を出版。座右の銘は「辛い経験は己を強くする」。難病と診断されて「孤独」と「将来の不安」に襲われている人に寄り添える場所を作りたいと考え行動している。現在は奨学金のスタートアップにて、長期インターン生として修行中。
◆各種SNSリンク
https://linktr.ee/Abe_kousuke
記事監修医師:
副島 裕太郎(横浜市立大学医学部血液・免疫・感染症内科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
編集部
ネフローゼ症候群とは、どのような病気なのでしょうか?
安部さん
ネフローゼ症候群は、尿に蛋白がたくさん出てしまって、血液中の蛋白が減ってしまう病気です。そのため、血管の中の水分が減って血管の外に水分と塩分が増えるため、浮腫が起きてしまいます。 ネフローゼ症候群のうち、糖尿病などの全身性疾患が原因で起こるものを二次性ネフローゼ症候群といい、明らかな原因がないものを一次性ネフローゼ症候群と分けられます。私の場合は後者になります。
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
安部さん
3月頭に高校を卒業後、部活動(ハンドボール)に参加させてもらったときに、異様に疲れを感じました。当初は「受験勉強で、1年間くらい運動していないから疲れているんだ」と思っていました。しかし、違和感があってからどんどん体重が増加していき、下半身が浮腫むようになりました。
編集部
病院にはすぐに行きましたか?
安部さん
3月中旬にハンドボールの卒業試合があったので、卒業試合が終わるまで部活動に参加していました。卒業試合が終わった後に、かかりつけの病院を受診しました。
編集部
どのような症状がありましたか?
安部さん
症状は、体重増加とちょっとした息苦しさやだるさ、陰茎の浮腫み、下半身の浮腫みです。最初は症状から性病と診断を受けました。薬も貰い「1週間くらいで治るよ」と言われましたが、日を追うごとに呼吸が苦しくなり、夜間救急を1日に2回受診したこともありました。
編集部
その後は再度受診されたのですか?
安部さん
夜間救急ではカロナールを処方してもらい、翌日の受診したときには自分が住んでいた市内で検査設備が整っている病院に紹介状を書いてもらいました。紹介状を持って翌日に受診するころには、自分で歩くのもやっとで呼吸も苦しく、病院内の移動は車椅子を使用しました。
編集部
難病の診断はどのように受けたのでしょうか?
安部さん
その病院では「ネフローゼ症候群の疑いがある」と告げられ、翌日に腎臓専門医がいる地元の大きい病院を受診することになりました。その際には、息苦しさとだるさで、意識がもうろうとしていました。記憶もあいまいなのですが「微小変化型ネフローゼ症候群」と診断を受け、その日のうちに入院しました。そして、入院した日の夜に呼吸困難で気絶し、翌日起きたらナースセンターに一番近い個室に移動しており、酸素マスクをした状態でした。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
安部さん
入院翌日の3月24日に医師から治療方針を聞きました。肺のCTを見せてもらい「右の肺が2/3、左の肺が1/3ほど黒くなっている。これは全部水で、この水が原因で息苦しくなっていると思う」とのことでした。そして、「まずは今の呼吸困難をどうにかするために、横腹から肺に細長い針を刺し水を抜く治療が必要。次に、ネフローゼ症候群の治療として、ステロイド治療をおこなう。最後に、浮腫みを取るための利尿剤点滴をする」と説明を受けました。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
安部さん
病名が判明した時のことは、意識がもうろうとしていたので覚えていません。ただ、前の病院で「ネフローゼ症候群の可能性がある」と医師から言われたとき「イタリア料理みたいですね」と返事したのは覚えています。医師からは「それどころじゃないよ」と言われましたね。これからのことよりも、現状の息苦しい、歩けない、だるすぎる状態をどうにかしてほしいという気持ちの方が勝っていました。
編集部
入院や治療の内容を教えてください。
安部さん
病名がわかってすぐの入院が2018年3月23日~5月2日でした。このときの治療は、プレドニン経口60mgのみです。退院後に15mgまで減量したものの再発してしまい、外来で40mgに増量したのですが尿蛋白は消えず、6月23日に再入院になりました。ステロイドパルス療法で寛解しましたが、プレドニンは50mgに増量となりました。
編集部
その後も再発などはあったんでしょうか?
安部さん
再発や寛解を繰り返しながら、都度、入院治療をおこなってきました。リツキサン点滴による治療を決意し、2019年6月に1回、2020年1月に1回、2020年7月に1回の計3回点滴治療をおこないました。現在は寛解状態を維持しています。
編集部
発症後、生活にはどのような変化がありましたか?
安部さん
病気を発症してからは、健康と食べるものに気を付けるようになりましたね。食べるものを記録して、どの栄養が足りないかを確認し、運動や筋トレをして記録も付けるようになりました。また、発症してから2年ほどはネフローゼ症候群の症状も落ち着かない(ステロイド減量と再発を繰り返す)状況だったので、減塩生活をしていました。具体的には、塩分を1日に6g以内に抑えました。購入品の場合は、ナトリウム量から食塩相当量を計算し、アプリを使って自己管理をしていました。
編集部
ほかにも気をつけていたことはありますか?
安部さん
感染症予防という点で、外出を意識的に避け、人が多いところには極力行かないようにしています。新型コロナウイルスの影響で2020年から本格的に外出ができなくなりましたが、それ以前の2018年から自主的に外出を控えていました。大学以外の外出は、多い時でも週に2回ほどでした。もちろん、手洗い、うがい、部屋の掃除やマスクの着用も2018年の4月から習慣になりました。2018年、2019年の2年間は、外出時に夏でも冬でもマスクを着用していたため、友達や知人からは少し不思議がられていました。
編集部
治療中の心の支えはなんでしたか?
安部さん
治療中の心の支えは、時期によって大きく変わります。発症から5月2日までの入院期間中は、一緒に入院していて仲良くしてくれた若い患者さんと大学の友達ですね。2回目の入院のときは、高校の友達や大学の友達、部活の先輩や同期でした。3回目からは、ブログやSNSで繋がった難病の方々の存在が大きかったです。毎回違うというより、支えになってくれた人たちの種類が広がっていき、再発や入院を経験するに連れて支えが増え、心の負担も少なくなっています。
編集部
もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?
安部さん
大きく3つあります。1つ目は、もっと周りを頼ること。自分でできないことをやろうとして、入院中も退院した後の一人暮らしでも何度か失敗したことがあるので、周りに頼れるときがあったら甘えていいんだよということを伝えたいですね。
編集部
2つ目はなんでしょうか?
安部さん
2つ目は、SNSやブログの繋がりで支えられた経験を伝えたいです。特に、4月に沖縄に来てから一人暮らしになって、自分自身でどうにかするという考え方にとらわれて、辛い気持ちも押し殺していた時があったので、その時の自分に伝えたいですね。
編集部
最後の1つはなんでしょうか?
安部さん
3つ目は「難病になったことを何年後かの僕は、むしろ個性として受け止めている。難病になって良かったといえる日が、いつか来ると信じている」と伝えたいですね。本当だったら「あのときの入院や、再発した経験は、後々のこういう場面で活きて、僕の成功の糧になった」と伝えたいのですが、今の自分自身が成功しているかと言われるとまだまだなので、まだ言えません。でも、いつの日かそういう日が来ると信じて、今を全力疾走しています。
編集部
現在の体調や生活の様子について教えてください。
安部さん
現在は、とくに食事制限も運動制限もなく、ほぼ病気になる前と同じ生活をしていると思います。ただ、新型コロナウイルスの影響で大学がオンラインになったことや、自分自身の生活状況が発症時と比べて変わったので、別のストレスを感じています。マスクをつけて外出することや、手洗いうがいなどの感染症対策は、コロナ禍以前からおこなっているため、そこまで気にならないですね。今は、大学に通いながらリモートで仕事をしたり、自分の活動をしたり、たまに外出したりという生活を送っています。
→(後編)【闘病】ネフローゼ症候群になったからこそ「伝えたい想い」
※この記事はMedical DOCにて《【闘病】「ネフローゼ症候群」 異様な疲れから下半身・陰茎が浮腫んでいき…》と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。