木村先生
プロ野球選手の現役時代、プレッシャーを感じることはありましたか?
高橋さん
感じていました。自分自身に期待するものもありますし、僕たちプロ野球選手はファンに見ていただき評価していただくことが重要な面もあるので、当然プレッシャーを感じていました。
木村先生
ほかの人から「評価される」というプレッシャーの影響は大きいですか?
高橋さん
プロである以上は評価が全てだと思いますし、評価を得るために結果を残すというのがプロですよね。何のプロでもそうだと思いますが、結果を求めるためのプレッシャーや恐怖心は、選手のときは常にあったと思いますね。
木村先生
プロ野球選手になった直後、もしくは高橋由伸という存在がより大きく知られた後など、どういう時が一番プレッシャーを感じていましたか?
高橋さん
プレッシャーに関して、僕は選手である間ほとんど変わらなかったと思います。選手によってそれぞれですが、まずは一軍に行かないと評価をしてもらえない、なんとか一軍に上がらなくてはいけない、というプレッシャーもあると思います。幸い僕は一軍にいることが多かったので、自分自身でやってきたことが成果として出せるかどうかというプレッシャーと、それがどう評価してもらえるか、期待に応えられるか、というプレッシャーをずっと現役である間は感じ続けていたと思います。
木村先生
現役の間は一定のプレッシャーを感じていたのですね。それでは、アテネオリンピックについてお話を伺いたいのですが、そのときも同じようなプレッシャーでしたか? それとも違うプレッシャーはありましたか?
高橋さん
アテネオリンピックではチームとして勝たなくてはいけなかったため、普段のプロ野球選手としてのあり方とはちょっと違った状態で戦わなければならなかったですね。プロ野球選手というのは当然、勝たなくてはいけないという目標もありますが、勝つことと同じぐらい自分自身も成績を残さなくてはその世界には居続けられないというプレッシャーもあります。その両方を追い求めて戦っていかなくてはいけない、ということがプロ選手だと思うんですけど、アテネオリンピックに関しては、個人のプロ野球選手としての評価というよりも、チームで勝って金メダルを取って帰ってこなくてはいけないという、アマチュア時代にしていた野球に戻ってプレーをしなくてはいけないようなプレッシャーがありました。
木村先生
なるほど。少し特別な場所というか、普段とは違うプレッシャーだったのですね。
高橋さん
勝つことというゴールしかなかったので、そこに何が何でもたどり着かなくてはいけないというプレッシャーはすごくあったと思います。オリンピックということもあり、ふだん野球に興味がない人たちからも注目されますし、当時は長嶋監督が率いる初めてオールプロで臨むオリンピックでしたので、なんとなく優勝以外の選択肢がないといった、より大きなプレッシャーがありました。
木村先生
また高橋さんはケガをされていた期間もあったようですが、その間のプレッシャーはいかがでしたでしょうか?
高橋さん
その時に僕が感じたプレッシャーは2つあります。体が治るのかなというものと、元の居場所に戻れるのかなというものです。チームとしての戦いは進んでいるので、新たに出てくる選手、チームメイトであるもののライバルであるという存在が気になり、そこに対する不安はありました。
木村先生
チームメイトだけどライバルという存在とともにいる時、ご自身の不安や焦燥感をどのように発散していたのですか?
高橋さん
これは僕が考えていた事ですが、気になるけれど自分ではどうにもならないことは、なるべく横に置いて、自分にできることに気持ちを持っていくようにしていました。ケガをしている時もチームの体裁上は試合を見ていることにしていましたが、そこを気にしても自分で何かコントロールできるわけではないので、実際はあまり見ないようにしていました笑。
木村先生
難しいですよね。ファンとしては、ケガをしている時でも、そのチームの一員として振る舞って欲しいという気持ちがありますよね。ただ個人としてはライバルがどんどん先にいくことは不安、焦燥感に繋がりやすいのではないかと思います。
高橋さん
そうですね。そこがプロの難しいところだと思います。当然チームとして戦わなくてはいけませんが、個人としては仕事であり、生きていくための1つの手段ですから、チームと個人の両方を考えなくてはいけないのがプロなのかなと、ずっと思っていました。
木村先生
ありがとうございます。また、高橋さんは監督もされていましたが、選手としてのプレッシャーと、監督としてのプレッシャー、それぞれ違うものはありましたか?
高橋さん
選手としてのプレッシャーというのは、自分が自分に期待して、「こうすれば、こういう解決法がある」、「こうすれば良い方向に行くのではないか」と自分の中で勝負ができ、何とかなることが多かったと思います。しかし監督というのは、自分がチームを運営したり、自分が全てを決めたりできるわけではないので、球団の方針や「優勝してくれ」、「選手をたくさん育ててくれ」など球団の設定した目標に対して、人に期待をせずに頑張ってもらわなければいけない、それらを何とかクリアしていくことが仕事だと思います。そうなると自分ではなかなか思い通りにいかないことが多いです。ベンチを含めて何十人という人を動かさなくてはいけないという難しさにプレッシャーを感じていました。
木村先生
意外でした。私達ファンにとっては、監督が1番上にいるように見えることがありますよね。しかし球団全体で見ると私たちファンの視点から見えているものとは少し違い、中間管理職のような役割もあるように思いました。
高橋さん
そうかもしれないですね。当然、全員が同じ状況ではないと思いますし、中間管理職ってわけではないですが、皆さんが思われているものとは違った部分もあるかもしれないです。監督の役割というのも、僕が選手として見ていただけでは分からなかったことがたくさんありました。
木村先生
実際に監督になって、それまで思っていたものと全く違いましたか?
高橋さん
違いましたね。選手としてやっていた頃は「自分たちがやればいいんだ」という気持ちがありました。監督となったときに、僕らがやれてきたことを「選手がやってくれる」と考えていましたが、なかなかそうはいきませんでした。やらせなくてはいけないけど、他人なのでなかなか思い通りにいかないこともいっぱいあるなと思いましたね。
木村先生
ありがとうございます。これまで最もプレッシャーに押し潰されそうになったご経験はありますか?
高橋さん
それほどないです。プレッシャーを感じてはいますけど、それが当たり前なのかなと思っていました。プロになった瞬間から、ユニフォームを着ている間はプレッシャーとずっと戦い続けて、向き合わなくてはいけないのだろうと思っていました。ですので、いつもプレッシャーをものすごく感じていますし、辛いと思うこともたくさんあります。しかし押しつぶされるといった感覚はなく、またプレッシャーは回避できるものではないと思いますので、なんとなく受け入れていたような気がします。
木村先生
プレッシャーを感じるということも、プロとして必要という事ですね?
高橋さん
そうですね。必要ですし、自分がしてきたことに対する、自分自身への期待がプレッシャーになっていると思っていたので、やることをやってきたからこそのプレッシャーなのかな、というふうに選手のときは思うようにしていました。