ALSで声を失ったニャンちゅう声優・津久井教生。「生きればいいじゃん」妻と歩む“不治ではない”未来(1/2ページ)

「ニャンちゅう」の声で親しまれた声優・津久井教生さんは、2019年にALS(筋萎縮性側索硬化症)であることを公表しました。病の進行により2022年に気管切開を決断して声を失いましたが、その背中を押したのは、妻・雅子さんの「生きればいいじゃん」という言葉だったといいます。本記事では、現在、視線入力とAI音声合成を駆使して発信活動を続けている津久井さんご夫妻と、ALS研究の第一人者である東北大学・青木正志教授との対談を通じて、日々の葛藤と希望、そして「難病であっても不治ではない」という治療研究の最前線に迫ります。
※2026年1月取材。
>【写真あり】ニャンちゅう声優・津久井教生「ALS」発覚当時の様子

津久井教生さん
1961年3月27日生まれ、東京都新宿区出身。81プロデュース所属。1992年よりNHK Eテレ「ニャンちゅう」シリーズでニャンちゅう役を30年間担当。そのほか「ちびまる子ちゃん」関口くん役など多数の作品に出演。2019年10月にALSを公表し、闘病しながら出演を継続。2022年11月にニャンちゅう役を降板、同年12月に気管切開手術を受ける。2023年、第74回NHK放送文化賞受賞。現在は視線入力とAI音声合成を活用して発信活動を続けている。

津久井雅子さん
津久井教生さんの妻。教生さんがALSを公表後、献身的な介護・生活サポートを続け、夫を心身で支えてきた。日々の生活の中で夫婦のユーモアや穏やかなやり取りが伝えられ、互いを尊重し合う姿勢が注目されている。

青木正志先生
東北大学大学院医学系研究科 神経内科学分野 教授、東北大学病院 臨床研究推進センター センター長。東北大学医学部卒業後、同大学医学部附属病院神経内科にて研鑽を積み、米国ハーバード大学医学部関連病院での研究経験を経て現職。専門は神経内科、ALSなどの神経・筋疾患、難治性神経疾患の臨床研究。日本神経学会神経内科専門医・指導医、日本人類遺伝学会臨床遺伝専門医・指導医。同学会理事などを歴任。
「生きればいいじゃん」気管切開の絶望から救った妻の言葉で選んだ第二の人生

青木先生
ALSの診断を受けた当初、この病気をどのように受け止められたのでしょうか。
津久井さん
神経内科で1カ月の検査入院をして、ようやくALSと診断されました。ただ、診断を告げてALSの説明をしてくれた主治医の先生が次に私たち夫婦に相談してきたのは、退院の日程についてだったのです。治療が確立していないALSでは、治療法の説明ができません。主治医の先生の悔しそうな表情は、今でも覚えています。この時点で、病名は分かってもそれを「治療できない」ことを理解しました。できることは対症療法のみです。ALSの進行を見極めて、できることを模索して工夫していく。それを踏まえて前に進みたいと思うようになりました。
青木先生
雅子さんは、ご主人の変化をどのように見ておられましたか。
雅子さん
運動神経の良い夫が、何もない道で転んだり、歩き方が日に日におかしくなったりしていきました。ある日、5分ほどの道のりで何度も足を止め、ガードレールや電柱にもたれかかり、真夏でもないのに顔から大粒の汗をアスファルトに滴らせ、荒い息遣いになる夫の姿を見た時に、「ああ、私の夫は何か大きな病気にかかっているんだ」と強く感じました。
青木先生
原因が分からない期間は、ご家族にとってもつらいですよね。
雅子さん
「何の病気なんだろう?」という期間がもどかしくて仕方ありませんでしたので、診断を聞いたとき、「病名がはっきりして良かった」と、そのまま受け入れたような気がします。治療薬がないことも先生は説明してくれましたが、私は「これで前に進める」という気持ちでいっぱいでした。夫のつらさを肩代わりすることも、本当の意味で理解することもできませんが、夫の体と並走しているようなALSと、私も一緒に生きていこうと思っています。
青木先生
津久井さんは30年間、「ニャンちゅう」の声を担当されてきました。ご自身の体調の変化を受け入れながら、キャラクターを未来へ生かし続けるための「継承」を決断されたとき、どのような願いを込めてバトンを渡されたのでしょうか。
津久井さん
2019年10月にALSを公表したとき、所属事務所と真っ先に相談したのは「番組をどうするか」ということでした。私のALSの症状は足から始まっていたので、この時点では発声に大きな問題はありませんでした。しかし、この先いつ声に影響するのか、全く予想がつきませんでした。このことを事務所を通して全ての出演先に連絡して、先方の判断に委ねました。すると全ての仕事先から「声が無事なのであれば、やれるところまでやりましょう!」といううれしい返事をいただいたのです。これには心から感謝しました。体が震えたことを覚えています。おかげで思いっきり演じることができるようになりました。
青木先生
周囲の方々の理解と協力があったのですね。
津久井さん
それと同時に、「自分が理由で番組に影響があってはいけない」とも思いました。ニャンちゅうは30年近く放送されてきた番組のキャラクターで、私一人が作ったものではありません。番組に携わってきた演出や音楽や脚本のスタッフの皆さん、お姉さんを始めとする共演者の皆さん、操演(人形操作)の皆さんたちと作ってきたものなのです。幸いなことに私は発症から3年近く発声することができました。そして後任の羽多野渉さんにバトンを渡し、私の声と歌と羽多野さんの演技が番組内で数カ月シンクロすることができたので、スムーズなバトンタッチになったのではないかと思っています。
青木先生
気管切開を行うことで肉声を失うという決断までには、表現者として激しい葛藤があったことと思います。一方、現在は視線入力やAI音声合成などのテクノロジーを駆使して発信を続けられており、津久井さんにとって声を失ったことは「終わり」ではなく、「新章の始まり」だったように思えます。
津久井さん
気管切開をして声を失ったことは、自分自身の声優生活にとって一つの区切りであったと思います。当初は「声を失うのであれば、気管切開はしない」と明言していました。それは死を選ぶというよりも、そうやって生きたいという感覚でした。2022年12月、呼吸困難で意識を失いましたが、「51対49で気管切開はしない」と明言していたので、呼吸困難になっても気管切開をすることができなかったのです。
青木先生
声を失うということは、津久井さんのように声を仕事にされてきた方にとっては、想像を絶する決断ですよね。
津久井さん
でも、呼吸が止まりかけて意識を失った状態から、戻ることができました。戻ってこられたことには何か意味があるのか、と考えました。何より、妻が言ってくれた「生きればいいじゃん」という言葉。この言葉は心に響きました。気管切開をしないという多数決はくつがえって、気管切開をする決断をしました。それを主治医に伝えてすぐにまた呼吸困難になりました。あの短い時間で決めていなければ、本当に旅立っていたかもしれません。
雅子さん
夫は声を失いたくないから気管切開はしないと言っていました。でも、意識が戻ったとき、私は自然とそう言っていました。意識が戻ったのなら、生きるべきだと思ったんです。
津久井さん
気管切開をして本当に呼吸は楽になりました。気管切開を妻と決めたときに、可能であればALSについて自分から発信していこうと思いました。
青木先生
テクノロジーもどんどん進んでおり、さまざまな試みがされています。津久井さんが音声合成で自分の声を残されているのも、本当に素晴らしいことです。
津久井さん
現在、私が使用している音声作成ソフトは、東芝デジタルソリューションズさんの「ToSpeak」です。ALS罹患(りかん)後に自分の声を収録して作っていただきました。また、この原稿はパソコンでWordに視線入力で打ち込んでいます。
青木先生
今困っていることでテクノロジーの進歩を期待するものはありますか。
津久井さん
私はALSが進行してしまいナースコールを押すことができません。わずかに動く部分をテクノロジーで感知してもらって意思表示をしています。ナースコールを押せないことは命の危険に繋がります。今後、さらにテクノロジーが開発されて、医療現場に積極的に導入されることを期待しています。
青木先生
困難さもある日常の中で、お互いの尊厳を守り、笑顔を絶やさないために、ご夫婦が「チーム」として大切にしていることはありますか。
津久井さん
日々の生活でほとんどを妻と看護と介護の力を借りている身としては、感謝の気持ちを持つことを大切にしています。同時に自分の気持ちを伝えることを大切にしています。そして、妻と楽しく生活することが一番の目標です。そのためにコミュニケーションを重ねていくと、笑顔も生まれてくると思います。
雅子さん
季節ごとのイベントには、できるだけ乗っかっていこうと思っています。クリスマスにはトナカイの角をつけるなどですね(笑)。周りでサポートしてくださっている方たちも、私たちと会話をしてくださって、いろんな喜怒哀楽を一緒に感じています。私の心構えとしては、その時々にできなくなったことを、あまり「悲しい」と受け止めないようにしています。「もう、できない」と思うよりも、「どうやったらできるかな」と考えていきたいですし、「楽しいな」と思える出来事を、毎日の中に取り入れていきたいなと思っています。
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