【闘病】「人工肛門になった自分も好きになれる私がいる」 潰瘍性大腸炎で大腸全摘した女性(1/2ページ)

食べ物を便にして肛門へと送り出す大腸。もし、大腸を取り去ってしまったら、便はどこから出るのでしょう。今回の体験記は、潰瘍性大腸炎という病気によって大腸を全摘した方の実話です。それでいて「体の中を手術した」こともあり、衣服を着ていれば外見上の変化は見受けられません。他人に気づかれにくい病気はむしろ、「健常者と間違われる」誤解を含みます。あまりよく知られていない「人工肛門」について、その実態を伺ってみました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年9月取材。

体験者プロフィール:
木村 朱里
愛知県在住、1989年生まれ。家族構成は母親と兄との3人暮らし。難病指定を受けている「潰瘍性大腸炎」と診断が付いたのは小学校2年生のころ。自宅療養は難しいため、入院と院内学級への通学を余儀なくされた。その後、治療と合併症発症に悩まされながら、26歳のときに腸閉鎖し永久人工肛門を装着。現在、飲食業に勤める傍ら、ヨガインストラクターとしても活躍している。なお、父親を同病で亡くしている。Instagram → instagram.com/akari.yogagirl/

記事監修医師:
楯 直晃(宮本内科小児科医院 副院長)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
珍しい子どもの症例が診断を遅らせた

編集部
潰瘍性大腸炎は難病に指定されていますが、どのような病気なのでしょう?
木村さん
大腸がただれることで、強い腹痛や下血などを伴う病気です。私の場合は重篤化し、大腸全体に広がっていました。子どものころにかかった病気なのですが、当時はまだ、治療法や診断基準が確立されていなかったようです。それに、子どもが発症すること自体“まれ”らしく、ほかの病気を疑われていましたね。
編集部
診断がすぐには付かなかったと?
木村さん
最初に受診した総合病院では、各種伝染病や赤痢(せきり)に加え、痔すら疑われました。まさに「あの病気かもしれない、この病気かもしれない」という手探り状態が続く中、危篤状態に陥ったこともあります。そこで、消化器専門の医療機関で検査することになり、やっと診断が付いたという経緯です。それでも確たる治療方法がないらしく、入院しながら、抗生剤や高カロリー点滴などでしのいでいました。
編集部
大腸が機能しなくなることによる弊害は?
木村さん
大腸は水分を吸収する臓器ですから、下痢と脱水症状が起きます。もちろん、発熱や食欲のなさなども伴いました。また、こうした諸症状を抱えながら過ごすのか、いっそのこと大腸を摘出して人工肛門にするのかも、大きな分かれ道になってきます。
編集部
その後、どのような治療を受けたのでしょう?
木村さん
あくまで私の場合ですが、最初に用いたお薬が効かなかったため、「新薬の免疫抑制剤を治験という形で投与する」ことになりました。それでも症状がなかなか治まらなかったので、最終的には大腸の全摘に同意しました。このような場合、摘出していない小腸を、いずれ肛門につなげるそうです。ただし、腸が安定するまでの約1年間は人工肛門で過ごすことになりました。
編集部
それでも、大腸による水分吸収ができなくなりますよね?
木村さん
はい。そこで、特殊な「栄養液」を静脈内に入れるための手術が決まりました。子どもながら、栄養液をリュックに入れ、そこから延びたチューブが体内に刺さっている状態です。一方で、腹部近くには人工肛門が付いています。これらを子どもながらに管理できることが、退院条件でした。それでも、自宅療養が可能になったことと一般の学校に通えるようになったことが私には大きかったですね。
腹部に永久人工肛門をつくった理由

編集部
ところで、余り知られていない人工肛門についての説明もお願いします。
木村さん
腸の出口を肛門ではなく、前面の腹部につくるのですが、その出口にあたる人工の装具が人工肛門です。便は「意図したタイミングで力んで出す」のではなく、常に出てきます。ですから、ビニール袋を装着して、一時的にためておく仕組みになっています。もちろん随時、交換してお手入れする必要がありますし、うまく取り付けられないと漏れたりもします。
編集部
安定したら、小腸を肛門へつなげる予定でしたよね?
木村さん
はい、実際につなげました。ところが、痔ろうのような「腸内とお尻を結ぶトンネル」が多数、できてしまったのです。それも、後を追うように生じてきたので、手術では取り除ききれませんでした。さらに卵巣が肥大化する合併症も起きたため、入退院を繰り返すことになりました。
編集部
難病に指定されている意味がわかってきました。
木村さん
私に与えられた選択肢は2つです。つまり、痔ろうや合併症を含むさまざまな病気を抱えながら過ごすのか、つなげた小腸を閉じてしまって永久人工肛門にするかですね。なお、「栄養液」の点滴は、いずれ小腸の一部が大腸の働きをしてくるにつれて不要になるそうです。その点もふまえた結果、26歳のときに、後者の治療法を選択しました。合併症に悩まされなくなることが、一番の要因です。
編集部
重大な決断になりましたよね?
木村さん
そうですね。女性ですので、ビキニを着てみたかったですし、当時はやっていた「ヘソ出しルック」にも興味がありました。しかし、おなかに人工肛門と袋を取り付けていると実質、そのような服は着られません。ヒト本来の生体機能を失うことにも抵抗があったので、長い間、葛藤していました。その間に医療技術が進んで、「なんとかなるのでは」という期待も抱いていましたね。


