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「免疫力を高めてがん予防」は間違っている? “がん”と“免疫”の関係を医師が解説

 公開日:2025/08/04
「免疫力を高めてがん予防」は間違っている? “がん”と“免疫”の関係を医師が解説

免疫力を高めてがんを予防」という言葉を耳にすることはありますが、じつはこれは大きな誤解をまねく表現です。がん患者の免疫は普通に働いているのに、なぜがんは倒せないのか? その理由は、がん細胞が免疫に「賄賂」を渡して逃げているからであるとのことです。ノーベル賞受賞で注目された免疫チェックポイント阻害薬から、最新のがん免疫療法について、米国アラバマ大学バーミンガム校脳神経外科助教授の大須賀覚先生にわかりやすく解説していただきました。

大須賀 覚

監修医師
大須賀 覚(米国アラバマ大学バーミンガム校 脳神経外科助教授)

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筑波大学医学専門学群(現・筑波大学医学群医学類)卒業。卒業後は脳神経外科医として、主に悪性脳腫瘍の治療に従事。患者と向き合う日々の中で、現行治療の限界に直面し、患者を救える新薬開発をしたいとがん研究者に転向。現在は米国で研究を続ける。近年、日本で不正確ながん情報が広がっている現状を危惧して、がんを正しく理解してもらおうと情報発信活動も積極的におこなっている。

風邪予防の「免疫」と「がん免疫」との違い

風邪予防の「免疫」と「がん免疫」との違い

編集部編集部

免疫という言葉がヨーグルトや風邪予防など、幅広く使われています。医療現場での免疫療法とはどう違うのでしょうか?

大須賀 覚先生大須賀先生

一般の方が考える免疫とがんの免疫療法は、じつはかなり違います。多くの人は「免疫細胞を強くすれば、がん細胞を倒せる」と考えがちですが、実際はそんな単純な話ではありません。がんは体の中で発生するもので、もともと自分の細胞がおかしくなってできたものです。私はよく「グレていくギャング」に例えるのですが、青年(普通の細胞)がだんだんグレて、最終的にギャングのようになっていくのががんの発生過程です。免疫はそのギャングを捕まえる“警察”にあたるものです。

編集部編集部

では、警察である免疫の力が下がるとがんになりやすいということでしょうか?

大須賀 覚先生大須賀先生

マウスの実験で免疫をなくすとがんの発生率が上がることは確認されています。つまり、免疫は日常的に異常な細胞を排除してくれていて、がんができるのを防いでいます。ただ、がんができてからの治療ということだと、話は変わってきます。最終的にがんになるのは、がん細胞が免疫から逃れる術を獲得したからです。警察の取り締まりを防ぐ「賄賂」を渡す能力を獲得できた者だけが、最終的にギャングになれる。賄賂を渡せなかった者は途中で捕まってしまうわけです。

編集部編集部

がん患者さんの免疫は弱っているわけではないのですか?

大須賀 覚先生大須賀先生

そこが重要なポイントです。がん患者さんも風邪をひけば治りますし、インフルエンザになっても回復します。がんがあることで弱くなることはありますが、基本的には細菌やウイルスへの免疫自体はちゃんと機能しているのです。免疫がなくなったわけではなく、がん細胞が逃れる術を獲得しているから倒せない。そこが一般の人の考える免疫とがん免疫療法の大きな違いです。

ノーベル賞が証明した「免疫チェックポイント阻害薬」の実力

ノーベル賞が証明した「免疫チェックポイント阻害薬」の実力

編集部編集部

本庶佑(ほんじょ たすく)先生がノーベル賞を受賞したチェックポイント阻害薬とは、どのような薬なのでしょうか?

大須賀 覚先生大須賀先生

まさに、がん細胞が出している「賄賂」を遮断する治療です。がん細胞は、免疫細胞を攻撃しないようにさせるシグナル、つまり賄賂を出しているのです。本庶先生たちは、このシグナルを抑える薬を開発しました。「賄賂を遮断したら、びっくりするほどがんを殺せるようになった」。これが免疫チェックポイント阻害薬です。

編集部編集部

でも、すべての患者さんに効くわけではないのですよね?

大須賀 覚先生大須賀先生

その通りです。効かないがんもじつはたくさんあります。がんの中には、免疫細胞を抑える力がとてつもなく強いものがあるのです。賄賂を多少阻害する薬を入れても、十分に抑えきれないことがあります。また、がんの集団はとても複雑です。8割のがんで賄賂を防ぐ薬であっても、残り2割は違う方法を使っていたり、一つのがん細胞が複数の逃げ道を持っていたりする場合もあります。

編集部編集部

先生が研究されている脳腫瘍では、とくに効きにくいそうですね。

大須賀 覚先生大須賀先生

脳腫瘍は、チェックポイント阻害薬が効きにくいがんの代表例です。理由は主に二つあります。一つは、薬が脳の中にうまく届かないこと。脳は重要な臓器なので、外から異物が入らないようにする特別なバリアがあります。これが薬の侵入も防いでしまうのです。もう一つは、脳腫瘍独特の免疫抑制です。脳腫瘍は免疫から逃れる技がとてつもなく多彩で、先ほどの賄賂にとどまらず、見つからないように隠れるなど多種な方法で免疫から逃れます。膵がんなども同様ですが、現時点で予後が悪いがんの多くは、免疫療法がうまくいっていないことが背景にあります。

次世代のがん免疫療法 ── CAR-T、ウイルス療法、バイスペシフィック抗体

次世代のがん免疫療法 ── CAR-T、ウイルス療法、バイスペシフィック抗体

編集部編集部

CAR-T(カーティー)療法について教えてください。

大須賀 覚先生大須賀先生

CAR-T療法は、患者さんの免疫細胞を体外に取り出し、がん細胞を認識して攻撃するよう改造してから体内に戻す治療法です。いわば、がん専門の「SWAT部隊」を作るようなものです。体の中にいる免疫細胞は賄賂を渡されて機能しなくなっているので、それを体から取り出して強化訓練をするイメージですね。例えば、「龍の入れ墨」があるやつがギャングだとすると、その龍の入れ墨を見つけてかたっぱしから倒すSWAT部隊を作るわけです。

編集部編集部

この治療にも課題はあるのでしょうか?

大須賀 覚先生大須賀先生

最大の問題は、がん細胞だけを攻撃するための「目印」を見つけなければならないことです。正常な細胞も似た「入れ墨」を持っていたら、そちらも攻撃してしまいます。血液がんではよいマーカーが見つかって劇的な効果を示していますが、脳腫瘍や肺がん、乳がんなどの固形がんでは、まだ完璧なCAR-Tは生まれていません。また、費用も大きな問題です。一人あたり1億円近くかかることもあります。体外で細胞を培養し、清潔な環境で薬を作る必要があるため、どうしてもコストが高くなってしまうのです。

編集部編集部

ウイルス療法薬が日本で保険適用されたとのことですが、どのような治療法ですか?

大須賀 覚先生大須賀先生

腫瘍溶解性ウイルス療法は、感染を利用してがんを治療しようという発想です。風邪をひくと免疫が活性化して体温が高くなりますよね。その免疫応答をがん治療に使えないかというコンセプトです。ただし、体全体に感染を起こすと危険なので、がん細胞だけに感染するよう工夫されています。がんに特異的に感染するようなウイルスを作り、腫瘍細胞にだけ感染して、そこで炎症を起こしてくれる。現時点では、感染しきれなかったり、直接腫瘍に打たなければならなかったりするなど、まだ限界はありますが、期待されている治療の一つです。

編集部編集部

ほかにも期待される治療法はありますか?

大須賀 覚先生大須賀先生

バイスペシフィック抗体という、両手で腫瘍細胞と免疫細胞を同時につかんで引き合わせる薬も登場しています。強引な仲人のようなもので、今まで出会えなかった免疫細胞とがん細胞を無理やり対面させて攻撃を始めさせるのです。片方のアームは腫瘍にくっついて、もう片方のアームは免疫細胞にくっつく。強制的に席に着かせて「あんたたち話してください」みたいな感じですね。嘘みたいな話ですが、実際にやってみたら劇的に効いているケースも出てきています。

編集部編集部

先生が研究されている脳腫瘍への新しいアプローチについて教えてください。

大須賀 覚先生大須賀先生

私たちは、がん細胞が作る「巣」に着目しています。がん細胞は自分たちが住みやすいように周りに特殊な環境、つまり殻のようなものを作ります。この「巣」は正常な脳にはない特徴を持っているので、そこだけにくっつく抗体やサイトカインを使って、腫瘍部分だけで免疫を活性化させる方法を開発しています。チェックポイント阻害薬においても、脳の中には高濃度に運び込めなかったのを、この殻に直接くっつく技術を応用してもっと大量に運び込もうとしています。現在、アメリカで臨床研究を始める準備を進めているところです。

編集部編集部

がん免疫療法の研究は、まさに日進月歩なのですね。

大須賀 覚先生大須賀先生

はい。今はがん治療がアイデア勝負になっていて、研究者にとっては大変やりがいのある時代です。昔は技術的な制約が多かったのですが、今は私たちが考える新しいアイデアがどんどん実現できるようになってきています。ただし、安全性の問題や費用の問題など、まだまだ課題は多いのも現実です。それでも、本庶先生のチェックポイント阻害薬の成功以降、がん免疫のメカニズムの理解が深まり、技術も発展してきています。これからも新しい治療法が次々と生まれてくることが期待されています。

編集部まとめ

取材の中で衝撃的だったのは「がん患者さんの免疫は普通」という事実でした。免疫力を高めればがんは防げるというような感覚をお持ちの方にとって、がん細胞が「賄賂」で免疫を買収しているという説明は目から鱗だったのではないでしょうか。SWAT部隊、龍の入れ墨など、大須賀先生の巧みな例えのおかげで、難解な医学の情報が身近に感じられました。がん免疫療法への希望と現実の課題、その両面を知ることができた貴重な取材でした。

この記事の監修医師