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「働き続けたい」を支える医薬品イノベーション ―米国発の政策転換が日本に与える影響

 公開日:2026/02/18

がんと診断された患者の98%が「仕事を継続したい」と願っている――この数字が示すのは、病を抱えながらも自分らしく生きたいという切実な思いです。こうした願いを支えてきたのが、医薬品のイノベーションにほかなりません。しかし今、米国発のグローバル薬価政策の変革が、日本の医薬品アクセスに大きな影響を及ぼそうとしています。2025年10月に開催された「EFPIA DAY 2025プレスイベント」では、EU・日本双方の視点から、この転換期をどう乗り越えるかが議論されました。

Stefan Oelrich(シュテファン・エルリヒ)

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European Federation of Pharmaceutical Industries and Associations (EFPIA) 会長、ドイツ・バイエル社経営委員会委員、医療用医薬品部門代表。1989年にドイツ・バイエル社に入社。ベルギー、米国、フランスなどで要職を歴任したのち、バイエルのヘルスケア及びダイアグノスティクス事業の責任者を経て、米国・バイエルの婦人科領域事業シニアバイスプレジデント及びジェネラルマネジャーに就任。2011年から2017年までサノフィ社にてマネジングディレクター、事業責任者、エグゼクティブ・バイスプレジデントに就任。2018年11月にドイツ・バイエル社経営委員会委員、医療用医薬品部門代表に帰任。2025年6月よりEFPIA会長に就任。

岩屋 孝彦(いわや たかひこ)

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一般社団法人 欧州製薬団体連合会 (EFPIA Japan) 会長 / サノフィ株式会社 代表取締役社長。1990年旧厚生省入省。14年間の国家公務員としての期間、旧大蔵省主税局や日本貿易振興会、医政局経済課、健康局総務課等に携わり、 2004年から製薬会社に勤務。ジョンソン・エンド・ジョンソン、ヤンセンファーマにてさまざまな要職を務める。2019年9月にサノフィ株式会社スペシャルティケア部門の日本の事業部長として入社、2020年1月に代表取締役社長に就任。同年8月には欧州製薬団体連合会(EFPIA)Japan副会長に就任し 、2021年9月から会長として従事。

患者が望む「病と共に働く」という選択

がん患者が初期診断時に思うこととして、仕事を継続したいと答える人が98%に上るといいます。実際に、仕事を持ちながらがん治療を受けている人は2022年時点で7万人おり、過去に比べて増加傾向にあります。

岩屋会長は「病を抱えながらも自分らしく生き、働き、誰かに支えられ、社会に貢献する時間を大切にしたい人々を応援したい」と語ります。こうした患者の願いを実現してきたのが、医薬品イノベーションの進歩です。

患者団体との対話の中では、患者の生活の質(QOL)の変化もイノベーション評価に取り入れるべきだという声が上がっているといいます。医療費をコストとして抑制する対象と捉えるのではなく、就労継続や介護予防を通じた生産性向上に資する「将来への投資」と考えるべきだという意見も寄せられています。

健康と経済成長のつながり

医薬品イノベーションがもたらす価値は、個人の生活改善にとどまりません。平均寿命を1年延伸すると国内総生産(GDP)が4%増加するというデータがあり、健康度の向上が生産性向上につながることも示されています。

エルリヒ会長は、医薬品イノベーションこそが社会の健康と成長を支える基盤だと強調します。がんから希少疾病まで、治療の進歩が人命を救い、生活の質を高め、より長く生きることを可能にしてきたと述べました。

こうした観点から、社会保障は一律に削減すればよいわけではなく、経済活動に対するポジティブな効果も考慮した上で議論されることが重要だと岩屋会長は指摘します。

縮小する日本市場と研究開発投資の停滞

一方で、日本の医薬品市場を取り巻く環境は厳しさを増しています。
医薬品市場における日本のシェアは、2010年には10%強であったものが、2023年には4.5%にまで低下しました。世界第2位と言われた時代もありましたが、現在は4位のポジションに転じています。

研究開発費の伸びも他地域に大きく後れを取っています。1990年代には日本も世界の医薬品研究開発において相当の割合を占めていましたが、2010年と2023年を比較すると、米国や欧州、中国との差は圧倒的に開いているのが現状です。

エルリヒ会長は、かつて世界の新薬の多くは欧州と日本から生まれていたと振り返ります。しかし現在、その優位性は米国に移り、多くの企業が米国への投資を強化していると指摘しました。

米国MFN政策がもたらす衝撃

こうした中、新たな懸念材料として浮上しているのが、米国の最恵国待遇(MFN)価格政策です。

この政策は、米国民が他国より高い価格で医薬品を購入することがないようにするというもので、米国以外の国の「フリーライド(ただ乗り)」に対抗する狙いがあるとされています。

日本の薬価制度には特有の構造があります。上市後は特許期間中であっても、改定時に薬価が下がる可能性があり、製品が成長すれば再算定で引き下げられ、さらに費用対効果評価によっても下がりうるという状況です。岩屋会長は「いずれの引き下げについても、メーカーとしては自分たちでコントロールできない部分がほとんど」と指摘します。

こうした日本の薬価が米国で参照されることになれば、世界全体の研究開発投資に影響を及ぼしかねません。EFPIA Japanが会員企業に実施したアンケートでは、米国のMFNがグローバルの価格戦略に影響を与えるかという問いに対し、回答した10社全てが「YES」と答え、日本国内で研究開発の中止や延期、上市計画の見直しといった影響がすでに出ている企業も複数あるといいます。

「脅威」を「機会」に変えられるか

この状況をどう捉えるべきでしょうか。

エルリヒ会長は、MFN政策を単なる外圧と捉えるのではなく、イノベーションの価値を見直す契機にすべきだと提言します。欧州や日本が魅力的な市場環境を整えれば、米国と同様に投資を呼び込めるはずだと語りました。日本や欧州の学術研究の質は今も高く、その強みを産業競争力に転換する余地は十分にあるとの見方を示しています。

一方、岩屋会長は「チャンスだとするにはあまりに突きつけられた課題が重い」としつつも、「イノベーションを国として、国民として、どう評価するのかという議論をする機会ではある」と述べました。

「3つのA」が示す処方箋

エルリヒ会長は、イノベーション推進と社会保障の持続可能なバランスを実現するビジョンとして「3つのA」を提唱しました。

第1は「Attract(惹きつける)」
資金だけでなく、人材や研究開発・製造拠点を呼び込む環境づくりが必要です。

第2は「Accelerate(加速する)」
優れた研究成果を迅速に医療へ届ける仕組みが求められます。

第3は「Access(アクセス)」
患者が遅延や格差なく新しい治療を受けられる体制の構築です。

これら3つのAが、EU・日本共通の課題を解決する指針になりうるとエルリヒ会長は述べました。

求められる政府・業界の対話

今後の対応について、岩屋会長は「厚生労働省や財務省など国と産業界の間で、この点についてしっかりとした議論が行われることが絶対必要」と強調します。

現時点で明確なソリューションがあるわけではないものの、関係者に問題を認識してもらい、日本にイノベーションを導入し続けるために何が必要かを議論していくことが重要だといいます。

エルリヒ会長も、政策立案者・患者・業界が協力し、患者がイノベーションの恩恵を受けられる環境を共に築くべきだと呼びかけました。

編集後記

本イベントでは、米国のMFN政策という外部要因をきっかけに、日本の医薬品アクセスの将来像が議論されました。「働き続けたい」という患者の願いを支えてきた医薬品イノベーションが、グローバルな政策転換の中で岐路に立たされています。社会保障を「コスト」ではなく「投資」として捉え直すこと、そして政府・業界・患者が対話を重ねながら解決策を模索していくことの重要性が、両会長の発言から浮かび上がりました。

この記事の監修医師