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余命3年の宣告から12年―多発性骨髄腫と共に生きる患者が語る希望への道のり

 公開日:2026/01/06

「余命3年、治癒はない」。青森県在住の平山美穂さんが、医師の言葉に絶望した日から12年が経過しました。多発性骨髄腫という血液がんと向き合いながら、仕事を続け、ゴルフを楽しみ、定年退職を目指しています。片道2時間かけて岩手医科大学へ通院する日々を送る平山さん。再発の不安を抱えながらも「病気のことを考えるのは通院日が近くなってから」と前向きな姿勢を保っています。診断時の絶望から、どのように希望を取り戻し、新薬への期待を持ち続けているのか、その軌跡を伺いました。

na_iさん

体験者プロフィール
平山 美穂さん

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青森県在住。2012年の健診で多発性骨髄腫と診断され、当初は「余命3年」と告知を受ける。セカンドオピニオンを経て岩手医科大学の伊藤薫樹教授のもとで治療を開始。2015年に自家造血幹細胞移植を受け、その後も維持療法を継続。2019年に再発傾向が見られたが治療変更により深い寛解を達成。現在は経口薬による治療を続けながら仕事に復帰し、診断から12年が経過。片道2時間かけて通院しながら、再来年の定年退職を目標に前向きに生活している。

鎌田 百合

記事監修医師
鎌田 百合(医師)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

「人生終わった」余命宣告の衝撃

診断を受けたときのことについて、平山さんは当時を振り返ります。
「地元の総合病院で告知を受けたときのことは、今でも鮮明に覚えています。医師から『多発性骨髄腫は治療しても余命3年、治癒はない』と告げられました。化学療法や自家移植などの治療をしても再発は免れない、治療と寛解を繰り返し、やがて治療が効かなくなり死に至ると言われ絶望しましたね」

医師の口から出てくる言葉は恐ろしいものばかりだったといいます。

「頭の中は真っ白、目の前は真っ暗。正直、人生終わったなと思いました。元気な3年だったらまだいいかなとも考えましたが、おそらく入退院を繰り返しながらの余命3年間となるのではないかと想像していました」

平山さんは当時の心境をこう続けます。
「死に向かっての3年間は非常に長いと感じました。治療することに意味があるのか、自分は生きていていいのか、家族に迷惑をかけてしまうのではないか。そんな気持ちの方が強くて、なかなか治療に前向きになれませんでした」

「骨髄腫と共存する時代」医師の言葉が転機に

治療に前向きになれたきっかけは、セカンドオピニオンで受診した医師の言葉だったといいます。その先生から、「骨髄腫治療のイメージは、治る・治らないではなくて、治療をしながら骨髄腫を飼い慣らし、感染症などの対策をしっかりおこなって、良い状態をキープして治療をしながら人生を楽しむこと」だと助言を受けたといいます。

さらに、「これから先どんどん新しいお薬が出てくるので、治療をしながら時間稼ぎをすればするほど、新しいお薬の恩恵にあやかることができる。骨髄腫と共存する時代は目の前まで来ているのだから、今不安だと思うけれども、頑張って治療に入りなさい」と背中を押してくれたといいます。

この言葉が転機となったと平山さんは語ります。
「セカンドオピニオンの医師の言葉がきっかけとなり、治療に入ることができました。『治す』のではなく『共存する』という考え方が、私の心を軽くしてくれたのです」

片道2時間、年間48回の通院という現実

青森から岩手医科大学まで通院している平山さん。その道のりは決して楽ではありません。新幹線と在来線を使い、自宅から病院まで往復約4時間。以前、点滴治療を受けていたときは、点滴だけで約3時間かかっていたので、病院には5時間から6時間滞在していたそうです。

それでも、岩手医科大学の伊藤薫樹教授との出会いは幸運だったといいます。
「隣県の岩手に骨髄腫を熱心に研究している先生がいると紹介され、セカンドオピニオンで訪ねました。先生の説明は大変わかりやすく、患者目線でとても噛み砕いて説明してくださいました。伊藤先生のお人柄・骨髄腫治療に関する引き出しの多さに感銘を受け、伊藤先生のもとで治療をしたいと強く思いました。また、セカンドオピニオンに同席した家族も『ぜひ伊藤先生のもとで治療してほしい』と言ってくれて、それ以来ずっとお世話になっています」

再発時に先生がくれた「ぼやと大火事」の例え

2019年頃に再発傾向が見られたときの心境について、平山さんは振り返ります。
「再発することは覚悟していたつもりでしたが、実際に再発傾向とわかったときはやはりショックでした。すぐに治療を変更するべきなのか、もう少し待ってから治療をした方がいいのか、すごく悩みました」

伊藤教授は平山さんの悩みを察し、わかりやすい例えで説明したといいます。
「伊藤先生は私が悩んでいることを察してくださって、家の火事を例に挙げて説明してくださいました。『ぼやのときに消火すると大火にならずに済む。けれども、火事になってからでは大火になってしまうかもしれない。治療も同じことで、ぼやのうちに消火してしまうことが得策だと思う』と言ってくれたのが印象的です」

この言葉が平山さんの心に響いたといいます。もう一度治療を頑張ろうという前向きな気持ちを持つことができ、効くか効かないかは治療をしてみないとわからないけれど、先生がすでに次の一手を考えてくださっていることが心強かったと語ります。

病気を職場に伝えて得られた理解と協力

仕事と治療の両立について、平山さんは職場の理解の重要性を強調します。
職場には病気のことを正直に説明し、平山さんの病気のことを全員が知っている状況だといいます。通院する日は休みを取得しますが、問題が生じないよう前倒しで仕事を片付けるようにしているそうです。

また、2週間に1回の通院が仕事の都合上厳しくなったときは、飲み薬への変更を申し出たといいます。自己責任でいいからと願い出た平山さんの申し出に対し、伊藤先生は理解を示してくださり、現在は28日ごとに通院して治療を続けているとのことです。

平山さんは職場の協力に感謝を示します。
「職場の理解があってこそ、治療と仕事の両立ができています。病気を隠さず、正直に伝えたことで、みんなが協力してくれるようになりました」

平均寿命まで生きたいという新たな目標

今の目標について、平山さんは明るく語ります。
「余命3年が、気がつけば今年で12年目を迎えることができています。これから先もできるだけ良い状態を保って、できれば平均寿命まで持っていきたいと欲が出てきました」

「今の目標は病状の安定維持はもちろん、再来年の定年退職を無事に迎えること、年金をもらうこと、ゴルフで90を切ることなど、山ほどあります。でも一番の目標は、一緒に頑張っている主人に恩返しすることです。これからも治療を精いっぱい頑張っていきます」

日常生活での心がけとして、毎日骨髄腫のことを考えながら暮らしても治ることはなく、考えれば考えるほど気持ちが滅入ってしまい、時間がもったいないと思うようになったそうです。病気のことを考えるのは通院日が近くなってからで、それまでは患者であることを忘れてしまうときもあるくらいだという平山さん。将来への希望も語ります。

「新薬の開発も進んでいます。画期的な薬が今後も出てくる可能性があります。伊藤先生も『5~10%の患者さんは20年、30年と長期生存されるようになってきた』とおっしゃっていました。私もその一人になれるよう、希望を持って治療を続けていきます」

「明るい人生があると信じて」仲間へのメッセージ

平山さんの日々の過ごし方について、状態がいいときには体調と相談しながら、できる範囲で人生を楽しみたいと心がけているといいます。病気と向き合うのではなく、病気と共に生きる。そんな気持ちで日々を過ごしている平山さんから、同じ病気と闘う方々へ、メッセージをいただきました。

「私が告知を受けたときは余命3年でした。あれから12年、骨髄腫治療にはたくさんのお薬や検査方法が保険適応となり、骨髄腫の治療環境がガラッと変わりました。上手に治療をしながら、楽しい人生を送ることができる時代となったと言っても過言ではないと思います」

「治療が苦しいとき、つらいときもありますが、そこを乗り越えれば明るい人生があると信じています。新薬の登場で、将来はもっと良い治療ができるようになるでしょう。次の治療薬があるということを知るだけでも、前向きな気持ちになれます。希望を持って、一緒に頑張りましょう」

編集部まとめ

平山さんの12年間の歩みは、多発性骨髄腫という難病と向き合う患者たちに大きな希望を与えるものです。「余命3年」という宣告から、治療を続けながら仕事も趣味も楽しむ現在の姿は、医療の進歩と患者自身の前向きな姿勢が生み出した成果といえるかもしれません。日本で2025年6月に承認、同8月に発売された新薬タービーのように、従来薬が効かなくなった患者にも高い効果を示す治療薬が次々と登場しています。治療選択肢が広がることで、より多くの患者が平山さんのように長期的な目標を持って生活できる時代が到来しています。

この記事の監修医師