目次 -INDEX-

  1. Medical DOCTOP
  2. 医科TOP
  3. コラム(医科)
  4. 平均生存“3年”から“17年”へ─「多発性骨髄腫治療」の最前線を医師に聞く

平均生存“3年”から“17年”へ─「多発性骨髄腫治療」の最前線を医師に聞く

 公開日:2025/11/04

かつて診断から3年ほどで亡くなることが多かった「多発性骨髄腫」。しかし今、この血液がんの治療は劇的な変化を迎えています。「医者になって50年、こんなに治療が進歩した病気はほかにない」と語るのは、日本赤十字社医療センター骨髄腫アミロイドーシスセンター顧問の鈴木憲史医師。

移植治療が適応となる患者に対して最新の4つの薬を組み合わせる治療法により、17年もの間病気が悪くならずに過ごせることが期待できる時代になったといいます。治療しながら社会で活躍し続ける患者さんの実例とともに、多発性骨髄腫治療の最前線をお伝えします。

鈴木 憲史

監修医師
鈴木 憲史(日本赤十字社医療センター 骨髄腫アミロイドーシスセンター顧問)

プロフィールをもっと見る
新潟大学医学部卒業、東京医科歯科大学(現・東京科学大学)大学院修了(医学博士)。東京大学医学部第3内科で血液学研究に従事後、日本赤十字社医療センターで約50年にわたり多発性骨髄腫の診療と研究に携わる。同センター第2内科部長、副院長、輸血部長を歴任し、2016年より骨髄腫アミロイドーシスセンターを立ち上げ、センター長として日本の骨髄腫診療をリード。2021年より現職。日本血液学会専門医・指導医・功労会員、米国血液学会会員、日本骨髄腫学会功労会員、日本免疫治療学会名誉会員。日本赤十字看護大学大学院非常勤講師。治らない病気を治したいという信念のもと、48年前に「悲惨な病気」だった多発性骨髄腫の治療成績向上に貢献。現在も日本で最も多くの移植手術を手がける施設の一つで診療を続ける。若い頃のモットーは「朝は希望に起き、昼は努力に生き、夕は感謝とともに眠る」。70歳を過ぎてからは「青春は老境にあり」と掲げている。

多発性骨髄腫とはどんな病気か

多発性骨髄腫は、血液を作る骨髄で、抗体を作る役割を持つ「形質細胞」という血液細胞が異常に増えてしまう「血液のがん」です。日本では年間約7000人が新たに診断され、65~70歳での発症が最も多くなっています。

この病気の特徴的な症状は「CRAB(クラブ)」と呼ばれています。高カルシウム血症(Calcium)、腎機能障害(Renal)、貧血(Anemia)、骨病変(Bone lesion)の頭文字を組み合わせたものです。

「骨がボロボロと崩れ、痛みで苦しむ患者さんを見て、なんとか治したいと思い続けてきました」と鈴木医師は語ります。

48年前、医師として衝撃を受けた「悲惨な病気」

1976年に医師となった鈴木医師が初めて多発性骨髄腫の患者さんを診たとき、その悲惨さに衝撃を受けたといいます。

みんな3年ぐらいで『痛い、痛い』と言いながら骨がボロボロ落ちて、『苦しいよ、苦しいよ』と亡くなっていった。こんな悲惨な病気が世の中にあるのかと思いました

当時、同僚からは「なんでそんな辛気臭い、治らない病気をやるんだ」と言われたそうです。しかし鈴木医師は諦めませんでした。

「白血病やリンパ腫はかなり治療成績が良くなってきていた。でも骨髄腫だけは壁のように立ちはだかっていた。治らない病気をなんとか治したい、それが私の夢でした」

「4つの薬の組み合わせ」で17年の病気コントロールが見えてきた

それから約50年。多発性骨髄腫の治療は革命的な進歩を遂げました。

まず2000年代に「ボルテゾミブ」が登場。続いて「レナリドミド」が加わり、期待が高まりました。

そして画期的だったのが、2017年の「ダラツムマブ」という抗体薬の登場でした。骨髄腫細胞の表面にあるCD38という目印となる分子を狙い撃ちする薬で、移植適応となる治療において、従来の3つの薬を使うVRd療法(ボルテゾミブ、レナリドミド、デキサメタゾン)に新たにダラツムマブを加えた4つの薬を使う「D-VRd療法」により、治療成績は飛躍的に向上しました。

最新の臨床試験の結果は驚異的でした。移植治療が適応となる患者さんに対し、病気が悪化せずに過ごせる期間の推定値は205カ月、約17年という数字が出たのです。 骨髄中のがん細胞が10万個に1個以下という、通常の検査では見つからないほど少ない状態(MRD陰性)になった患者さんは75%で、従来治療の47%から大幅に向上。血液検査でがん細胞の痕跡が見つからない状態(完全奏効)以上になった患者さんは87%で、従来治療の70%を上回りました。さらに深い改善状態に達した患者さんは69%に上りました。

「17年という数字は画期的です。60歳で発症しても77歳まで、70歳なら87歳まで病気の進行を抑えられる。これはもう『治った』と同じではないでしょうか」

国際線CAとして世界を飛び回る患者さんの実例

この治療法の最大の特徴は、「日常生活を維持しながら治療を続けられること」です。

航空会社の国際線CAさんが、治療しながらずっと働いています。最初の1カ月ぐらい休みましたが、あとは2週間に1回、今は月に1回の通院で、月3回ぐらい海外に行っています

大手保険会社で重要な役職に就いている患者さんも、ほとんど休まずに働いているといいます。

「昔は病気になったら『少しラインから外れて病気療養に専念してはどうですか』と言われた。でも今は違います。一番怖い副作用は経済的な負担だと私は思っています」

鈴木医師は続けます。「3年、5年なら家族も耐えられるけど、10年、15年となると家庭が大変になる。だから最初にきちっと病気を治して、働き続けることが何より大事なのです」

がん細胞がほぼ見つからない状態になれば「治療をやめられる日」が現実に

MRD陰性とは、骨髄中のがん細胞が10万個に1個以下という、顕微鏡でもほぼ見つからないレベルまで減少した状態を指します。

「MRD陰性を達成しても、それが続くことが大事。12カ月以上MRD陰性が続いた患者さんの、その後の経過は非常にいい」と鈴木医師は強調します。

実際のデータでは、MRD陰性の患者さんの5年生存率は約70%で、その後もさらに安定してきます。MRD陰性が12カ月以上続くと、その後の再発リスクが大幅に低下することが分かっています。

「私たちの施設では、50例ぐらいの患者さんが新しく同意書を取って治療をやめています。みんな元気に働いています。月に1回来てきちんとチェックはしますが、『再発したら治療再開だよ』という形ですね」

「移植適応となる治療において、従来の3剤治療でも今50人ぐらいが治療なしで4、5年安定しています。普通に仕事しています。ダラツムマブを最初から入れることで、さらに多くの患者さんが再発までの期間が延びるし、場合によっては再発することなく、長い人生を送れるケースも出てくるでしょう」

治療が難しい患者さんにも希望をもたらす新治療

従来、染色体異常がある治療が難しい患者さんは「すぐに良くなるけど、すぐにまた悪くなってしまう」という経過をたどることが多くありました。しかし、4つの薬を使う治療法は、こうした治療が難しい患者さんでも明確な効果を示しています。

「詳しい分析を見ると、治療が難しい患者さんでも、D-VRdを使った方が明らかにいい結果が出ています。これは今までなかった」

つまり2,3割いる治療が難しい患者さんにも効果があることが証明されたのです。

移植治療の実際と新たな選択肢

移植が可能な患者さん(原則65歳以下、心臓や肺の機能が正常、重い持病がない方)には、自分の血液を作る細胞(造血幹細胞)を使った移植治療が検討されます。

治療は段階的に進められます。最初の治療として4サイクル、約16週間のD-VRd療法を週1回の通院でおこないます。次に自分の造血幹細胞を採取して冷凍保存。その後、メルファランという薬を大量に投与してから幹細胞を戻す移植をおこないます。この期間は約1カ月の入院が必要です。移植後は仕上げの治療として2サイクルのD-VRd療法をおこない、最後に月1回の通院で維持療法を続けます。

移植による死亡率は現在1%ぐらいで、かなり安全にできます。ただ、髪の毛が抜けて1カ月入院というのはやっぱり負担」と鈴木医師。

「最近は必ずしも移植をやらなくてもいいのではないかという話も出ています。仕事を移植で1カ月休まなきゃいけないので、仕事に影響するからやらない方法はないですかという人も結構いて。薬も進歩したから、患者さんと相談して決めています」

実際、アメリカではかなりのケースで移植をやらなくなってきており、日本でも鈴木医師は「少し減らしている」とのことです。

「働いて税金を納める」生産的な治療へ

鈴木医師は医療経済の観点からも、この治療法の意義を強調します。
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言であるという二宮尊徳の言葉があります。医療費が非常に高い今、この4つの薬を使う治療法は消費的ではなく生産的であるべきだと思っています」

実際の患者さんの社会参加の例として、国際線CAとして月3回海外へ飛ぶ患者さん、大手企業の管理職として勤務を継続する患者さん、高齢者でも公園清掃や草むしりなどの社会貢献活動に参加する患者さんがいます。

お年寄りにも『やることがないって言ったら、公園のゴミ拾いでも草むしりでもいいよ。社会に貢献しなさい』と言うのです。収入はなくてもいいから、それも大事なんだというと、結構やってくれるんですね」
さらに鈴木医師は患者さんに伝えます。「いつもニコニコしていなさい。作り笑いでもいいから笑っていた方が免疫細胞は増えるし、免疫力が高まる。『再発させないぞ』という気持ちが大事です

編集部まとめ

「治らない病気」から「治せる病気」へ。多発性骨髄腫の治療は、この50年で想像を超える進化を遂げました。最新の4つの薬を組み合わせる治療法により、17年もの間、病気をコントロールできる時代が到来したのです。

何より印象的だったのは、患者さんが治療を受けながら普通に働き、社会生活を送っている実例の数々。そして鈴木医師の「最初にきちっと治療して、ゴールを決めて、いつか薬をやめられる」という言葉。

医療の進歩が、単に生存期間を延ばすだけでなく、人生の質そのものを守る時代になったことを実感させられます。病気と共に生きるのではなく、病気を克服して生きる。そんな未来が、もうそこまで来ているのかもしれません。

この記事の監修医師