2024年6月28日、全日本病院協会の新会長に就任した神野正博氏(恵寿総合病院理事長)。就任演説で発した「病院をぶっ壊せ」という衝撃的な発言が医療界に波紋を広げています。人口減少という避けられない未来を前に、従来の病院経営では生き残れない。30年の経営経験と数々の日本初の取り組みから導き出した、医療機関の革新的な未来像とはどういうことなのか。メディカルドックが取材しました。
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社会医療法人財団董仙会恵寿総合病院理事長。1995年から病院経営に携わり、日本初となる医療機関でのSPD導入、PHS導入、クレジットカード決済、院内コンビニ併設など、他業界の手法を医療に積極的に取り入れてきた革新的経営者。2024年1月の能登半島地震では被災地の医療支援に尽力し、全国キー局のテレビ出演も多数。2024年6月28日、全日本病院協会会長に就任。日本ホスピタルアライアンス(NHA)という共同購入組織を立ち上げるなど、中小病院の経営改善にも尽力。「明るく楽しく前向きに(ATM)」がモットー。
“病”院をぶっ壊せ—— 衝撃発言に込められた真意
編集部
2024年6月28日の会長就任演説で“病”院をぶっ壊せ、と仰っていましたが、どういった意味なのか教えてください。
神野会長
人口減少は確実に進み、マーケットは縮小の一途をたどります。大都市も例外ではなく、地方ではそのスピードがさらに加速しています。この現実を前に、私たちは従来の「病院」という枠組みに安住していていいのでしょうか。
病院の“病”は病気や怪我を意味します。しかし、病気や怪我の患者さんを治療して「はい、さようなら」と送り出すだけでは、私たちの仕事はなくなってしまいます。
つまり、従来の「病院」という概念そのものを破壊し、再構築する必要があるのです。病院の“病”にカッコをつけて、その固定観念を打ち破る。高齢社会では同じ患者さんが何度も医療機関を利用します。そのエコシステム、循環システムを構築し、包括的なケアを提供しなければ生き残れません。
編集部
“病”院ではなく、どのような方向を目指すべきなのでしょうか?
神野会長
キーワードは「病院から健院へ」です。病気の治療だけでなく、健康維持や生活支援まで積極的に展開すべきです。
特に全日本病院協会の会員の多くを占める中小民間病院にとって、この転換は生き残りの鍵となります。生活支援や健康増進といった「病」以外の領域に早急に進出しなければ、マーケットの縮小とともに仕事そのものが消滅してしまう。そう強く警鐘を鳴らしたいのです。
30年前の経営危機—— 「泥船に乗っていられない」と言われた試練
編集部
神野会長は30代から病院経営に携わってこられたそうですね。
神野会長
1995年、まだ30代で恵寿総合病院の経営を引き継ぎました。親が意図的に試練を与えたのか、あるいは崖からライオンの子を落とすような状況だったのか。いずれにせよ、経営状態は危機的でした。
それまで銀行といえば、定期預金口座を作ればティッシュペーパーをくれる優しい場所だと思っていました(笑)。しかし現実は違った。支店長から「ボーナスはどう工面するのですか? うちは融資しませんよ」と冷たく突き放されました。銀行の怖さを身をもって知った瞬間でした。
神野会長
賞与カットの決断は、今も心に深い傷として残っています。職員を集めて発表したときの光景は、今でも鮮明に覚えています。当時の職員で今も勤務している者もいますが、「泥船に乗っていられない」と厳しい言葉を浴びせられました。
楽しかった記憶は薄れても、苦しいときの記憶は一生消えません。しかし驚いたことに、文句を言いながらも、多くの職員が残ってくれました。彼らがついてきてくれたからこそ、再建を果たせたのです。
編集部
その経験が今の経営哲学につながっているのですね。
神野会長
まさにその通りです。そして何より大切にしているのは「好奇心」です。1990年代には実に様々な挑戦をしました。スーパーマーケットやコンビニエンスストアを訪れ、物流システムを徹底的に研究しました。その答えはバーコードの活用にあり、日本の医療機関として初めてバーコードを使った物流システム(SPD)を導入したのです。
コンビニエンスストアから学んだ物流革命—— 日本初の挑戦の数々
編集部
神野会長は他業界から学んだイノベーションが多いと伺いました。
神野会長
そうですね。90年代、経営を始めた頃の愛読書は「日経ビジネス」と「日経ベンチャー」でした。特にベンチャー企業の動向は、むさぼるように読み込みました。当時「日経ベンチャー」の有料会員になると、ベンチャー企業社長の講演録CDが送られてきました。正直、つまらないものもありましたが(笑)、そこから多くのヒントを得ました。医療界の常識にとらわれない、新鮮な発想との出会いでした。
編集部
具体的にはどんなことを導入されたのですか?
神野会長
当時、日本の医療機関として初めてPHSを導入したのは当院です。ほかにも院内コンビニの第1号も当院ですし、医療費のクレジットカード決済も日本初でした。
90年代当時でさえ、私たちの日常生活ではクレジットカード決済は当たり前でした。「なぜ病院だけが例外なのか」この素朴な疑問から始まりました。健診ではクレジットカード決済を導入している施設もありましたが、通常の医療費での導入は前例がありませんでした。カード会社に相談したところ、すぐに協力を得られ、実現に至りました。
編集部
電子カルテも早期から導入されていたそうですね。
神野会長
ソフトウェアサービス社のローンチカスタマー、つまり第1号ユーザーとして様々なシステムを導入しました。その際、社長と最初に約束したのは「絶対にカスタマイズしない」ということでした。
既製服のように標準化されたシステムを使う代わりに、価格を抑える。これが基本方針です。最近導入した施設から「全然要望を聞いてくれない」と苦情を受けることがありますが、「だからこそ、この価格で導入できるのです」と説明しています(笑)。
生成AIで年間4000万円削減—— デジタル革命の最前線
編集部
最近は医療DXにも力を入れているそうですね。
神野会長
生成AIの可能性には心底ワクワクしています。他業界での活用事例を研究し、医療への応用を模索する日々は、まさに楽しくて仕方がありません。
当院では生成AI導入により、時間外手当が大幅に削減されました。年間の効果を計算すると、4000万円から5000万円の削減を実現しています。
もちろん、職員の時間外手当としての手取りが減少する面はありますが、その分はベースアップで対応しています。。現代の若い世代にとって、長時間労働よりもワークライフバランスの充実の方が重要でしょう。
編集部
スマートウォッチを使った新事業も始めていると伺いました。
神野会長
現在、入院患者にスマートウォッチを装着してもらい、血圧、脈拍、酸素飽和度、体温などのバイタルデータをスマートフォンで収集する実証実験を進めています。
将来的には、退院後も希望者にスマートウォッチを購入していただき、継続的な健康管理サービスを提供することも視野に入れています。
高齢者のベッドにはセンサーが設置されていますが、リハビリ中やトイレ、歩行時の状況は把握できません。転倒してもリアルタイムで検知できない。スマートウォッチなら、転倒検知はもちろん、リハビリ時の心拍数変化まで、全てのデータを収集できる可能性があります。
編集部
人員配置基準についてはどうお考えでしょうか?
神野会長
DX時代の到来を直視すべきです。自動車製造はロボットが主役になりました。なぜ医療だけが大量の人手を必要とするのでしょうか。
重症患者さんが多く在院日数が短い急性期病院は確かに忙しく、人手が必要です。しかし、DXやロボティクスの導入により少人数でも運営可能になってきています。問題は、現行制度では人員配置が診療報酬に直結するため、効率化が逆にペナルティになってしまうことです。
護送船団方式からの決別—— 「ATM」で切り拓く未来
編集部
全日本病院協会会長として、どのような方針で臨まれますか?
神野会長
「護送船団方式からの決別」が最重要課題です。現状に満足し、危機感を持たない人々とは共に歩めません。
危機感を共有し、変革への意志を持つ人々と手を携えて前進したい。そこで会長就任演説では「ATM(明るく楽しく前向きに)」というモットーを掲げました。危機的状況だからこそ、前向きな姿勢で乗り越えようというメッセージです。
神野会長
6月の骨太の方針で、物価・賃金上昇への考慮が明記されたことは評価できます。しかし、医療費は「価格×量」で決まります。価格引き上げの議論が進む一方で、量を絞る施策が導入される可能性もあります。
急激な量の削減は、現場の病院にとって致命的です。新たな地域医療構想や診療報酬による集約化の動きも注視が必要です。
神野会長
厚生労働省が提示する方針への「対応型」から、我々が主導する「提案型」への転換が必要です。2040年、2060年の医療ビジョンを、我々自身が描き、提示したいと思っています。
現在、「病院のあり方報告書」の作成を若手経営者に委ねる準備を進めています。私が提唱する「健院」やエコシステムの概念を超える、革新的なアイデアが生まれることを期待しています。
編集部
今後の情報発信についてはどうお考えですか?
神野会長
国民向けのYouTube番組制作を検討しています。単なるテロップ付き動画ではなく、わかりやすく、親しみやすい内容にしたい。3分程度の短編を複数制作する予定です。
医療界という「小さな池」の中だけで議論していても意味がない。この認識を強く持っています。国民に直接メッセージを届ける必要があるのです。
編集部まとめ
「病院をぶっ壊せ」。この衝撃的な言葉の背後には、30年の経営経験に裏打ちされた深い洞察と、医療の未来への強い危機感がありました。
1990年代の経営危機で「泥船」と罵られながらも、他業界の知恵を貪欲に吸収し、日本初の試みを次々と実現してきた神野会長。その革新的な取り組みは、PHSやクレジットカード決済の導入から、生成AIによる年間4000万円のコスト削減、スマートウォッチを活用した新サービスまで、常に時代の最先端を走り続けています。
医療界という「小さな池」から飛び出し、国民との直接対話を目指す姿勢も印象的でした。医療の未来は、医療者だけでなく、私たち国民一人ひとりが当事者として考え、行動すべき課題であることが、神野会長のインタビューから見えてきました。