【闘病】 ステージ4の下咽頭がんでも声帯を残したい…手術後に待ち受けていた過酷なリハビリ生活
役者・アーティストとしても活躍されている中村拓さんは、2020年、ステージ4の下咽頭がんであることが判明しました。喉頭を全摘出するしか助かる方法はないと言われる中、サードオピニオンを受けて声帯を残したまま腫瘍部分のみ切除する手術に踏み切りました。手術の結果、声を残すことに成功しましたが、2度の再発。現時点での再発や転移はないそうです。「どうしても声を残したかった」という中村さんに、これまでの経験や声への想いなど詳しく話してもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年4月取材。
体験者プロフィール:
中村 拓
東京都武蔵野市在住。1968年生まれ。「天才ナカムラスペシャル」の名前で役者・アーティストとしての活動をする。2020年10月、喉に違和感を覚え耳鼻咽喉科を受診。大学病院にてステージ4の下咽頭がんと診断される。がん専門病院にて声帯を残したまま喉の腫瘍部分だけを切除する部分摘出を行う。現在は毎月1回通院し、定期健診、CT、MRI、胃カメラなどを行いながら経過観察中。朗読ユニット「犬儒派リーディングアクト(https://kenjuha2022.stage.corich.jp/)」を主宰。
記事監修:
森崎 剛史(耳鼻咽喉科専門医/内分泌外科専門医)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
目次 -INDEX-
少しの違和感から発覚した、まさかのがん宣告
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
中村さん
2020年10月、喉にちょっとした違和感がありました。喉の奥に痰が絡みついて膜が張っているような感じです。最初は家の近くの耳鼻咽喉科を受診したのですが、そこですぐに大学病院へ行くよう言われ、大学病院でさまざまな検査をして、この時点でステージ3の下咽頭がんだということがわかりました。
編集部
自覚症状などはあったのでしょうか?
中村さん
痰が絡みつくような感じだけで、特に痛みもなく声も普通に出ていました。でも、食べたあとに吐きそうになることが時々あって、そのときは食べ過ぎか飲み過ぎだと思って胃腸薬を飲んでいたのです。今思えば、喉に腫瘍があって食べづらかったことが原因だったのでしょう。
編集部
どのように告知されたのでしょうか?
中村さん
最初に大学病院でいろいろな検査をしました。検査の結果、もし良性の腫瘍だったらがんではないが、悪性だったらがんだと言われ、良性であることを祈りました。検査結果が出る日、病院の待合室で予約時間を過ぎても全然名前を呼ばれず、だんだん嫌な予感がしてきました。結局、ほかの患者さんが全員帰ったあとに、最後に一人だけ呼ばれ、そこでがんだと告げられました。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
中村さん
がんがかなり進行しているため、放射線治療や化学療法では治らないだろう、手術で喉頭を全摘出するのが最善の方法だと言われました。
編集部
セカンドオピニオンは受けられたのでしょうか?
中村さん
受けました。喉頭を全摘出するというのは、声を失うことになります。それがどうしても嫌で、セカンドオピニオンを受けました。しかし、そこで私のがんはもっと進行していて、ステージ4だということがわかったのです。左右のリンパ節にもがんが転移していることが分かり、やはり喉頭を全摘出するしか助かる方法はないと言われました。
手術のあとに待ち受ける過酷なリハビリ。どうしても声を出したいという気持ち
編集部
その後、サードオピニオンを受けられたそうですね。
中村さん
はい。喉の全摘出手術を受ける覚悟をしましたが、日が経つにつれ、「どうしても声を失うのは嫌だ」と思いました。もうこれ以上猶予がないという時期に、サードオピニオンとしてがん専門病院の頭頸外科で、一番偉い先生に診ていただくことができました。
編集部
その先生からはどのようなこと言われたのでしょうか?
中村さん
「ほかの2つの病院で言われたとおり、喉頭を全摘出することが最善の方法です。しかし、あなたがそこまでして声を残したいという、その強い想いに応えたい」と言われました。
編集部
ではそこで声帯を残す手術をされたのですね。
中村さん
はい。2020年12月21日、がん専門病院に入院し、声帯を残したまま、喉の腫瘍部分だけを切除する、部分摘出という手術を行いました。ステージ4の下咽頭がんの場合、普通はこの方法はとらないそうです。再発のリスクは非常に高く、声を残せたとしても、これまでと同じような発声が出来るとは限りません。飲食に支障が出るなど、さまざまなリスクの説明を受けましたが、最終的に部分摘出手術を受けることに決めました。その後、12時間に及ぶ大手術を行い、声帯を残して喉の大部分と左右のリンパ節を切除し、切除した咽頭部は自分の腸を移植して再建していただきました。それから、集中治療室にて地獄の日々が始まります。
編集部
具体的にどのようなことがあったのでしょうか?
中村さん
一週間ほどICUにいた期間は一切声を出すことが出来ず、すべて筆談でした。全身に機械や管をたくさんつけられ、身動きが取れない上にこちらの意思を上手く伝えられず、相当なストレスでした。近くにある物を投げ付けたり、大の大人が若い看護師さんの前でワンワン泣いたりしていました。特にきつかったのは、数十分おきに行われる痰の吸引です。腸も切っているので、吸引の度にお腹へ響き、ベッドの上でのたうち回っていました。喉の痛みよりも、お腹の痛みのほうが何十倍も辛かったです。夜になっても痛みで寝付けず、とにかく時間の経過を遅く感じていました。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
中村さん
声を失うということがショックで、信じられませんでした。私は役者としても活動していますが、声を失ったら役者を続けるのは無理です。声が出ない状態で、これから先どうやって一人で生きていけばいいのかという大きな不安もありました。一方で、なぜかどこか他人ごとのような感じもあって、まったく実感がありませんでした。まるで、がん患者の役を演じているような、そんな不思議な感覚もありました。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
中村さん
がん発覚から入院まで2ヶ月くらいあったのですが、その間にだんだん喉の痛みが増し、耳にも痛みが広がってきました。それから、痰に血が混ざることが多くなりました。それでも声は普通に出ていたので、声を失うということが余計に信じられませんでした。その後は三度の手術を受け、奇跡的に声は残せましたし、今は痛みもありません。ただし手術の影響で首に強い圧迫感があり、また飲食が多少不便ですが、生活面での変化はそんなにありません。一番の変化は、入院前には毎日飲んでいたお酒を一切やめたことです。
創作活動が心の支えになってくれた。信じて道を切り開く気持ち
編集部
闘病に向き合う上で心の支えになっているものを教えてください。
中村さん
私の場合、心の支えになっているのはやはり創作活動です。2021年10月、3度目の手術を終えたあと、旧知の先輩から「今度二人で、がんをテーマにしたトークイベントをやらないか?」と、お誘いをうけました。そして二人で、がんに関するトークショーと、落語やアートなどを交えたイベントを開催したのですが、とても好評だったのです。それをきっかけに、再び私の創作意欲に火が点きました。そして、奇跡的に声を残すことが出来た私は、「声による表現」というものを改めて模索し始め、朗読ユニットを旗揚げしました(詳細はプロフィールに記載)。公演の準備や稽古など、創作活動に携わっている時間は気持ちが前向きになります。
編集部
現在の体調や生活などの様子について教えてください。
中村さん
病院から処方されている薬はとくにありません。未だに首筋には大きな傷痕があり、一年前くらいまでは首にスカーフを巻いて傷を隠していましたが、もうやめました。単に面倒くさくなっただけですが、人目を一切気にしなくなったということもあります。闘いに勝った証として、この傷痕は気に入っています。ただしそれとは別で、首には常に強い圧迫感があり、とても苦しいです。もうだいぶ慣れましたが、常に霊からぎゅっと首を絞められているような感じです。
編集部
飲食する際はいかがですか?
中村さん
飲食は以前より困難で、注意しないとすぐに喉が詰まってむせます。柔らかいものばかり食べると慣れてしまうので、多少無理をしてでもいろんなものを食べるように心がけています。
編集部
同じ病気を抱えている人に伝えたいことはありますか?
中村さん
がんの闘病生活はとても長いです。私の場合、家族が突然家を出ていき、一人になってしまい、途方に暮れていたところ、まさかのがん宣告でした。闘病に際し周囲からも思うような支援を得られず、不安や恐怖、孤独感がありました。今でも時々気持ちが落ち込むことはありますが、手術やリハビリを乗り越えて今があります。信じて頑張れば、道が開けていくと思います。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
中村さん
これ以上望むことはなく、感謝しています。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
中村さん
どんなに辛い状況でも、必ずどこかに一筋の光が見えるときがあります。新しい出会いがあり、新たな人生が広がります。それを信じて前に進むことが一番大事だと思います。
編集部まとめ
俳優として活動されている中村さんにとって、命を取るか声を取るかという選択は非常に心苦しい選択だったと思います。「どうしても声を失いたくない」という強い気持ちからサードオピニオンを受け、無事声を残すことができ、本当によかったです。辛い闘病生活を経て、再び俳優として活躍されている中村さんのように、あきらめずに信じ続けることが大切だと、お話を聞いて感じました。