【闘病】卵巣嚢腫を宣告された10年後の健診でまさかの卵巣がんになり、子宮・卵巣の摘出を経験
卵巣腫瘍が見つかり、その後の定期検診にて卵巣がんステージIC期と診断された千田岡さん。治療と並行して仕事やプライベートも通常通りこなした日々の裏側にはどんな思いがあったのでしょうか。今回は、病気が見つかるまでの経緯と闘病中の過ごし方、闘病を経験した千田岡さんだからこそ感じた言葉の重要さについて思いを聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年4月取材。
体験者プロフィール:
千田岡 穂(仮称)
愛媛県松山市在住のセラピスト。1975年生まれ、父、母と3人暮らし。2010年、子宮周辺に影が見つかり、精密検査をした結果、9cmの卵巣嚢腫を発見。腫瘍を切除後、定期検診にて、2020年3月に卵巣嚢腫の再発が判明。同年8月、卵巣がんステージIC期期と診断される。化学療法を行うも、肝機能低下により6クール目はストップ。現在は3カ月に1回のペースで検診を受けている。
記事監修医師:
鈴木 幸雄(産婦人科専門医・婦人科腫瘍専門医)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
目次 -INDEX-
突然の卵巣がん発症。「命を優先する」という選択
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
千田岡さん
2010年、子宮周辺に影が見つかり、精密検査で9cmの卵巣嚢腫が見つかりました。腹腔鏡手術で腫瘍を切除してもらい、術後は定期検診へ3~6カ月おきに通っていました。その後、2020年3月の検診で卵巣嚢腫の再発がわかり、同じ年の8月に卵巣摘出術を受け、病理検査の結果「ステージIC期の卵巣がん」と診断されました。
編集部
医師からはどのように告知されましたか?
千田岡さん
病理検査の結果を知るタイミングで言われました。その時は1人で結果を聞きに行っていたので、逆に主治医に心配されましたね(笑)。
編集部
再発がわかる前は、自覚症状などありましたか?
千田岡さん
それが、全くありませんでした。
編集部
ということは、突然の診断だったのですね。その後、どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
千田岡さん
当時の私は妊娠をあきらめていなかったこともあり、先生は丁寧に説明をしてくださいました。子宮全摘出のメリット・デメリット、子宮を温存する場合はほかの部位へ転移する可能性も含め説明してもらいました。でも、私にとって生命を守ってもらうことが最優先なので、迷わず根治手術(子宮、卵巣全摘出)を選択しました。
編集部
セカンドオピニオンは受けられたのでしょうか?
千田岡さん
もちろんセカンドオピニオンも選択肢としてあったと思いますが、私は主治医以外の先生では考えられなかったので、すべて先生にお任せしました。
周りに心配をかけたくない。病気になる前となるべく変えない生活作り
編集部
では、改めて病気が判明したときの心境について教えてください。
千田岡さん
まず、仕事の心配です。私は、セラピストとして勤務しているので、病気のことなんて知られたら……と思いました。だから絶対周りには知られないようにしなければと細心の注意を払いながら過ごしていました。それに化学療法中、仕事を続けていけるのかもわからず、がんに対して無知すぎて治療費すら想像できませんでした。
編集部
ご家族に対してはどう思われましたか?
千田岡さん
きっと母は私を産んだ自分のことを責めると思い、伝えるのをやめることも考えましたが、一緒に暮らしているのでそういうわけにはいかず……伝えました。そして、同時に「まだ死ぬわけにはいかない」とも思いました。
編集部
発症後、生活にどのような変化がありましたか?
千田岡さん
当時は新型コロナウィルス真っ只中で、世の中の変化についていくことでも必死でした。ただ通院中や手術の時はすべてプライバシーも守られて、精神的に救われました。治療については、限られた人にしか伝えておらず、治療中も体調が許す限り生活をほとんど変えないということが私の目標でした。化学療法のスケジュールと体調を確認しつつ、仕事もプライベートも、コロナが落ち着いていた束の間の食事会も、全部いつも通りに楽しんでいました。
編集部
闘病中の姿を感じさせないように行動されていたのですね。
千田岡さん
今思えば、必死だったんだと思います。そして、治療中は自分の病気に関するネットの情報から距離をとっていました。ココロもカラダも弱っている時に、見えない何かの情報に左右されたくなかったんです。もちろん、時にはこれらも大切ですが、情報の用量・用法を守っていました。やはり一番は主治医を信じ、答えは自分の心にあると思っていました。
編集部
脱毛などはありましたか?
千田岡さん
編集部
食生活には変化がありましたか?
千田岡さん
化学療法中は味覚が変わることがあるのですが、私の場合は白いご飯が食べられなくなりました。でも、「妊婦さんになっていたらこんな感じなのかなぁ」と妄想もしながら、気分を落とさないようになるべくハッピーに過ごしました。
編集部
化学療法中の6回目はストップされたとのことですが、何があったのでしょうか?
千田岡さん
2020年8月に卵巣がんと診断されて、翌月9月から1泊2日の化学療法を6クール行うことになり、5クール目までは順調に進んでいました。いざ6クール目というとき、肝機能低下がわかったのでストップしました。翌月に退院し、しばらくは1カ月に1回のペースで検診、6月以降は3カ月に1回のペースで検診を受けています。
編集部
そうだったのですね……実際に、化学療法のときはどのようなことに注意されていましたか?
千田岡さん
投薬後48時間は、抗がん剤の成分が私の排泄物や唾液、汗、血液に含まれると説明を受けていました。そのため、投薬の際は看護師さんが手袋を二重にする、私もお手洗いの際は細心の注意を払っていました。当時はコロナ禍なこともあって、随分徹底していたように思います。あと、未だに足の裏の痺れは残っていますが、逆にこのくらいでよかったと思っています。
生きているだけで幸せと感じられる。病気を通じて得られた人生の真の喜び
編集部
闘病生活を送る上で、心の支えになっているものを教えてください。
千田岡さん
家族、友人、仕事、食、そして日常です。
編集部
現在の体調や生活などの様子について教えてください。
千田岡さん
治療から1年後の2021年は、「早く元の自分に戻りたい」の一心であっという間に過ぎましたが、2022年の春あたりから丸一日動けないことが少し続いて、仕事をするのも精一杯、身体はしんどく、体重はどんどん増えていくし、気が抜けてしまって……。いわゆる更年期障害がひどくなりました。卵巣も子宮も全部ないから、女性として終わっている……みたいな衝動に駆られる時もありましたし、ひとりシクシクと泣くことが増えました。担当の看護師さんに励ましてもらうこともあって、先生からすすめられて、現在は漢方を服用しています。飲み始めてから半年くらい経ち私にはこのお薬が合っているんだと思います。おかげでこの半年は、元気に日々を過ごすことができています。
編集部
同じ病気を抱えている人に伝えたいことはありますか?
千田岡さん
「◯◯さん、子宮取ったんだって〜」「◯◯さん、乳がんらしいよ……」といった会話を時々耳にすることがありますし、私自身も病気になる以前はやってしましたが、すごく反省しました。こんな会話が起こらないよう、ひたすら自分の治療を隠して生活していました。時に言葉は凶器になる時があるなと改めて実感しました。一方で、私は卵巣・子宮がなくても生きてますし、美味しいものを大切な人と食べることが出来る日常が戻ってきました。生きてることこそがラッキーなんです。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
千田岡さん
病院の先生や看護師さんのおかげで生きていることに日々感謝しています。日本の医療は素晴らしいですし、敬意と感謝しかありません。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
千田岡さん
出来ることなら病気にならないのがいちばんですよね。ただ、闘病生活を経験したことで周囲の人の思いや優しさに触れ、自分自身とも向き合うことができました。病気の時って卑屈な気持ちになってしまいがちで、がんばれっていわれるのが唯一つらかったですね。周りの人は、ただ寄り添ってくれればそれだけでうれしいです。
編集部まとめ
当事者だからこそ伝えられることはたくさんありますが、病気が再発してから治療、その後に至るまでお話いただきました。みなさんも、かかりつけの婦人科を見つけておき、定期的に検診を受けましょう。早期発見・早期治療につながります。漠然と、「結婚すれば妊娠できる」と考えている女性も少なくありません。本当に自分の身体か大丈夫かどうかを確認するために、検診を受けることが大切なのだと感じさせられるお話でした。