【闘病】「今日も目が見えててよかった」 ベーチェット病で失明ほのめかされ毎日そう感じていた(1/2ページ)

26年前(取材時)、25歳のときにベーチェット病を発症した放送作家のしりこさん。気づいたきっかけは、足首の痛み。初診では異常がないと診断されましたが、特有の症状である口内炎や目が赤くなる症状からベーチェット病と判明し、治療開始。発症時は病気の認知度も低く情報が少ない中、どのように過ごしてきたのかについて、しりこさんに話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年9月取材。

体験者プロフィール:
しりこ(活動名義)
1971年11月23日生まれ。テレビ・ラジオ番組の放送作家、番組プロデューサー。また小説家として多数の著書を出版。難病のベーチェット病(完全型)と診断を受けて闘病生活27年目を迎える。初期は眼症状と関節炎で苦しかったと自身の闘病を振り返る。また、インピンジメント症候群という骨の病気で手術を2回受けている。闘病生活の経験を活かして、患者家族会のイベントや闘病講演など積極的に活動している。

記事監修医師:
副島 裕太郎(横浜市立大学医学部血液・免疫・感染症内科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
完全型のベーチェット病とは

編集部
ベーチェット病とはどのような病気ですか?
しりこさん
ベーチェット病の完全型なので、症状は口腔粘膜のアフタ性潰瘍、皮膚症状、性器周りの潰瘍、眼症状、関節炎などがあります。ベーチェット病は慢性再発性の全身性炎症性疾患と言われていて、原因不明の難病です。完全型や不全型など幾つかの種類があって、それぞれ症状も異なります。
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
しりこさん
1997年(当時25歳)、足首の痛み、歩行の違和感があり、近くの整形外科を受診したのですが、そのときは異常が見つかりませんでした。
編集部
その後はどうなりましたか?
しりこさん
ある日突然、片目が兎の目のように真っ赤に染まり、慌てて近所の眼科にいきました。口内炎も多く出現しており、ベーチェット病の可能性があるとのことで、大学病院の膠原病内科を紹介されました。
編集部
そこで確定診断を受けたのですか?
しりこさん
いいえ、実は先に精巣上体炎(精巣の横にある精巣上体[副睾丸]に炎症がおこって腫れが生じる。ベーチェット病の男性患者に発症することがある)を発症したことからすでに入院生活が始まっていました。入院中に度重なる検査を受けた結果、ベーチェット病の完全型と診断を受けました。
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
しりこさん
お薬を使って炎症を抑える治療をメインに、このベーチェット病と向き合っていくと説明を受けました。症状が多岐にわたるため、膠原病内科、眼科、皮膚科、整形外科など複数の標榜科を受診しました。当時は今と比べてベーチェット病に適した薬も少なかったのではないかと思います。
編集部
どのような薬を使用して治療をされたんですか?
しりこさん
関節炎には貼り薬や痛み止めの服用。そして僕は完全型なので、目の炎症が出る度にステロイドの点眼。目の炎症が強い時には、眼科医によるステロイド注射を受けました。どれも僕にとっては重要な治療でした。医師と患者が信頼し合ってこそ、治療が進んでいくのだと感じました。
当時はあまり認知されていなかったベーチェット病

編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
しりこさん
26年も前(取材時)なので、当時はベーチェット病という病名も一般的に知られていなかったと思います。当時は「完全型は失明の可能性がある」と言われていたので、不安な毎日が続きました。毎朝、目が覚めて天井が見えただけで、とても安心しました。「今日も目が見えていてよかった」と。あれから26年以上経ち、医学も進歩して、インターネットの普及によりベーチェット病に関する情報も増えました。時代を感じますね。
編集部
発症後、生活にはどのような変化がありましたか?
しりこさん
当時はサラリーマンだったのですが、闘病生活初期には診察や検査も多く、頻繁に入院しなければならず、悔しいことに会社を自主退職することになりました。うつ状態になり、不眠症、不安神経症にもなりました。20代後半は、ずっとそんな毎日でした。
編集部
入院中の治療内容について教えてください。
しりこさん
入院中はステロイドによる治療がメインでした。点滴を受けている間、ずっと天井を見ていたので、もう天井は見飽きましたね。右目と左目を交互にパチパチしながら、天井の火災報知器を見ていました。それでも当時、完全型だった僕は目が見えているだけで幸せを感じていました。
編集部
ツラい入院生活でしたね。
しりこさん
不安な毎日だったので、精神状態を保つ為にも、かえって入院生活は有難かったのかもしれません。僕の場合は膠原病内科の先生が主治医で、いつも僕の病状や心情に寄り添ってくれたので、とても心強かったです。