【闘病】告知受け「早く死にたい」と願った「原発性側索硬化症」 身体が動かなくなっていく病
「治療法はなく、徐々に身体が自由に動かなくなっていく」ことを告げられたとしたら、多くの人は恐怖や不安で塞ぎ込んでしまうのではないでしょうか。原発性側索硬化症(げんぱつせいそくさくこうかしょう)を抱えている落水洋介さんも初めは暗い未来を想像して、自分を傷つける毎日だったと言います。そんな落水さんが今では会社を立ち上げ、「毎日幸せです」と語っています。病気とともに生き、前向きに過ごせるようになったのはどうしてなのか、詳しく聞かせてもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年8月取材。
体験者プロフィール:
落水 洋介
福岡県北九州市在住。1982年生まれ。4人兄弟の末っ子として生まれ、現在は実家で両親と3人暮らし。妻と2人の娘は妻の実家で暮らしている。発症当初の職業は営業職。2014年に原発性側索硬化症を発症。現在は少しずつ身体が動かなくなってきていて、電動車椅子で生活している。そんな中でも会社を設立し、医療や福祉に特化したシェアオフィスとレンタルスペース、フリースペースの運営や、カフェの店員、YouTubeの開設など前向きにさまざまなことに取り組んでいる。
記事監修医師:
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
自分の身体の変化に気づかないふりをしていた日々
編集部
原発性側索硬化症と診断されたときの経緯について教えてください。
落水さん
この病気は徐々に身体が自由に動かなくなっていくもので、自分でも気づかないレベルで、ゆっくりと進行してきたため、人から指摘されるまでは症状に気がつきませんでした。もしかしたら本当は何かおかしいなと感じていたのかもしれないけれど、自分自身に嘘をついて気づかない振りをしていたのかもしれません。「気のせいだろう」「今おかしいだけですぐに元通りになるだろう」と。
編集部
具体的にどのようなときに違和感があったのでしょうか?
落水さん
今考えると、お酒を飲んだ時に足が頻繁にもつれることがありました。でもその時は疲れや、お酒のせいだと思ってまったく気にしていませんでした。2014年5月に検査入院をしましたが、この時も何となく歩きづらいという認識が出てきたころで、4月ぐらいまではそれほど気にしていませんでした。動機も「自分の体に何もないことを証明するために、しっかりと診てもらおう」という程度でした。
編集部
ご自身の症状をALSだと思ったこともあるそうですね。どうしてそう思われたのでしょうか?
落水さん
少し前に見たドラマの中で、俳優さんが演じるALS患者と自分に重なるところがあったからです。数年でまったく身体が動かなくなり、やがて死ぬことになる病気というような描かれかただったと思います。「自分はもうすぐ死ぬんだ」ということを、初めてリアルに考えました。
編集部
検査入院の結果はどうでしたか?
落水さん
結果は、自分が予想していたALSではなく、痙性対麻痺という症状名でした。現段階では、病名はつけられないとのことでした。「本当に自分はALSではないのか?」と繰り返し先生に尋ねましたが、先生ははっきり違うと私に言ってくれました。少し安心したのも束の間で、先生からの説明を聞いてその思いは一瞬で消えてしまいました。
編集部
痙性対麻痺とはどのような症状なのでしょうか?
落水さん
期待していたような軽いものではありませんでした。原因不明で治療法もなく、今後少しずつ進行し、最終的には歩けなくなる。場合によっては手や口にも症状が出る可能性があるということでした。病名がつくまでは指定難病の認定もされないため、私は宙ぶらりんな状態に置かれてしまいました。
編集部
その後、「原発性側索硬化症」と診断がつくまでどのくらいの期間を要したのでしょうか? どんな検査を受けましたか?
落水さん
2年ほどかかりました。CTやMRI、遺伝子検査や筋電図などの検査を受けました。その結果、原発性側索硬化症と告げられ、やはり治療法はなく、基本的に進行していくものであるという説明を受けました。
習慣でいくらでも前向きになれる
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
落水さん
病気が進行して寝たきりになることを考えると、一番怖かったのは、家庭のお金の問題と介護の問題でした。「なんとか働いて収入を得ていかないと」という想いと、「寝たきりになってできる仕事なんてあるわけがない」という想いが重なり、そんな未来を想像するたびに、「早く死にたい。死んだ方がマシだ。消えてなくなりたい」と思っていました。でも死ぬ勇気すらなく、最悪な未来をずっとイメージして自分で自分を傷つける毎日でした。
編集部
発症してから生活面ではどのような変化がありましたか?
落水さん
2022年5月現在、足はほぼ動かず、電動車椅子で生活しています。手も思うように動かないので、洋服の着脱も難しく、箸を持つこともできないのでフォークやスプーンを使用しています。喋ることも大変になってきており、熱いものや大きなものは食べられないので、小さく刻んでもらったり、冷ましてもらったりしてから食べています。お風呂も自分では入れないので、週に一度、ヘルパーさん2人にお手伝いをしていただいています。
編集部
病気と向き合っていく上で心の支えになっているものを教えてください。
落水さん
家族がいることと、たくさんの仲間がいることです。私はよく「前向きやね」「前向きですごいね」と言われます。でも、もともと私は後ろ向きで、超がつくほどネガティブな性格でした。
編集部
どうやってポジティブになれたのでしょうか?
落水さん
「前向き」は技術です。練習・訓練をして、習慣にすることで誰でも身につけることができます。目の前でどんなことが起きようとも、少しでも明るく楽しく前向きでハッピーで自分が成長できる意味をつける練習をしたのです。そうやって習慣になりました。
病気になったことで「すべては自分ごとで自分の大切な人ごとだ」と考えるように
編集部
現在の様子について教えてください。
落水さん
現在(取材時)は株式会社を設立して、講演会を中心に医療や福祉の情報発信サービスを作っています。また、医療や福祉に特化をしたシェアオフィスとレンタルスペース、フリースペースの運営も始めました。ほかの法人でもパートをさせてもらっていて、週に2回ほどカフェの店員をやらせてもらったり、SNSを使用しての広報などもやらせてもらったりしています。YouTubeも始めて、今後はいろんな働き方や人生の楽しみ方があることも発信していきたいと考えています。
編集部
お身体の方はいかがですか?
落水さん
身体は少しずつですが動きづらくなっており、車椅子で座っている時間も姿勢を保持するのが難しく、集中力が続かなくなることも増えました。しかし、専門職の仲間のサポートもあり工夫しながらほぼ毎日外に出て働かせてもらっています。
編集部
落水さんの病気を意識していない人にメッセージをお願いします。
落水さん
いつ誰がどこで病気になったり、障がい者になったりするかはわかりません。実際私も身体が丈夫なことだけが取り柄でした。「あなたの家族が、あなたの友人や大切な人がいつそうなるかなんて絶対にわからない」ということが、今の私には分かります。すべてが自分ごとで自分の大切な人ごとなんだなと。だからこそ、今を当たり前と思わず、今を大切に生きることが大事なのだなと思います。私は今を大切に、今を楽しむように生きられるようになり、今が本当に幸せだなと感じることができています。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
落水さん
目の前の人が、自分の家族や友人や大切な人だったらと考えてみてほしいです。そして笑顔で接してほしいです。笑顔は本当に伝染します。笑顔でいられるだけで幸せな気持ちになれます。もちろん私も笑顔でいられないこともありましたが、今は笑顔でいられて毎日幸せです。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
落水さん
私は病気になった時に暗い未来ばかり考えて苦しみました。まだ起こってもいない未来に対して、勝手に暗いイメージして自分を苦しめる毎日でした。病気になったことをいくら悩んでも悔やんでも、私の病気は治りません。病気でも寝たきりでも幸せに生きている人がいること、寝たきりでもバリバリ働いている人がいることを知りました。僕も明るい未来をつくると決めました。だから、僕は今が人生の中で一番幸せです。
編集部まとめ
少しずつ変わっていくご自分の身体の変化に戸惑い、苦しむ日々を過ごした落水さん。それでも前向きな心持ちでいられるよう意識して過ごし、現在もさまざまなお仕事をされています。「練習することで前向きになれる」という落水さんの言葉は、闘病中の患者さんだけでなく、どんな人にも当てはまることではないでしょうか。そして自分の身体に違和感を感じたらなるべく早めに受診することが重要だと思いました。