【体験談】私が頻繁につまずくのは「シャルコー・マリー・トゥース病」のせいだった
山田さんは、19歳のときにシャルコー・マリー・トゥース病(CMT)の確定診断を受けました。その後は、当事者活動をはじめ、患者会「CMT友の会」代表や、CMT研究班の研究協力者として活動されています。現状、下肢の筋力低下と変形、手指の筋力や巧緻性の低下、呼吸機能の低下などが見られますが、日常生活ではカーボン製短下肢装具とロフストランド杖を使用して過ごしているそうです。いまでは自身の体験を活かしながら作業療法士になった山田さんに、原因が特定できなかった当時の想いや、今後の目標などについて話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年3月取材。
体験者プロフィール:
山田 隆司
愛知県名古屋市在住、1979年生まれ。仕事は作業療法士。妻と14歳・11歳の2人の娘と同居している。発症は、4歳の幼稚園児のとき、確定診断は19歳。作業療法士の学生のとき「Charcot-Marie-Tooth病(シャルコー・マリー・トゥース病)」と診断を受ける。「自身の疾病・障がいの体験がリハビリに活かせないだろうか」と作業療法士になる。趣味はアウトドアで、将来はユニバーサルなキャンプ場を作って、のんびり過ごしたいと考えている。
記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
幼少期から18歳まで周囲とのズレを感じていた
編集部
シャルコー・マリー・トゥース病(CMT)とはどのような病気ですか?
山田さん
CMTは末梢神経の異常によって、手や足の感覚と運動が徐々に障害されていく遺伝性の進行性神経疾患です。遺伝性運動感覚ニューロパチーとも呼ばれています。日本では6250人ほどの患者さんがいるようです。
編集部
CMTにはどんな症状がありますか?
山田さん
手足の先端の方から症状が表れ、筋力低下や筋肉の萎縮、触覚や位置覚の低下が起こっていき、歩きにくくなったり、手先の細かい作業が苦手になったり、疲れやすくなったりしていきます。残念なことにCMTを完治させる治療法や、進行を遅らせる治療法として確立されたものはないそうです。
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
山田さん
4歳頃から足の変形(内反足変形)が始まり、なにもないところでつまずくようになりました。つま先立ちができない、スリッパが脱げる、縄跳びができないなど、周囲との違いがたくさんありました。近所の整形外科を受診しても原因はわからず、何件か整形外科を回ったのちに大学病院で診断を受け「先天性の内反足ではないか?」と診断されました。
編集部
その時は、どのように治療を進めていきましたか?
山田さん
足の変形を改善するために腱移行や関節固定などの外科手術をおこない、矯正のための装具療法と機能維持のためのリハビリを受けました。成長に合わせて再手術することも考えられると説明がありました。
編集部
入院や治療の内容を教えてください。
山田さん
小学校2~3年生の時に、後脛骨筋腱移行術を実施して、数か月の入院とギプス固定をしました。その後は、インソールを作成し、理学療法士とともに歩行訓練を続けました。変形予防のために、夜間装具を作成しましたが、矯正のあまりの痛さに泣きながら装具を放り投げたのを覚えています。しばらくは変形が収まっていましたが、成長に伴って再び変形が進行し、中学1年生のときと18歳のときに再手術、再々手術で足関節の三関節固定術を実施しました。
ようやく確定診断を受けたが喪失体験に襲われた19歳
編集部
結局、CMTの確定診断はどのように受けたのですか?
山田さん
19歳のとき、作業療法士養成校の講師(神経内科医)から検査を受けてみるよう勧められ、腰椎穿刺、神経生検、遺伝カウンセリング、遺伝子検査などの検査を通じて、CMTの確定診断を受けました。発症から15年以上経過していましたね。
編集部
病気が判明したときの心境について教えてください。
山田さん
幼少期には「生まれつきだから仕方ない」と思い、成長するとともにこの身体と折り合いをつけてきたつもりでしたが、この確定診断を機に「今までの人生は嘘でした」と言われたような気分になりました。人生を否定され積み上げてきた価値観が崩れ去り、大きな喪失感が襲ってきたんです。将来への希望や目標も失いかけることになりました。
編集部
確定診断後の治療はどうなりましたか?
山田さん
根本的な治療法や予防的な薬もない疾患なので、症状に合わせた対症療法的な治療をすることになると説明を受けました。主に、足や手の状態に合わせたリハビリ(理学療法と作業療法)で、機能の維持、改善を目指しました。CMTのリハビリには、当時エビデンスがほとんどなく、担当の療法士さんは手探りで介入を続けてくれました。足の症状が特徴的ですが、手指の麻痺が進行していたこともあり、日常生活や就労場面で、身体の楽な使い方や工夫を一緒に考えてもらえたことは、とてもありがたかったです。
編集部
確定診断後、生活にどのような変化がありましたか?
山田さん
身体の不自由さは徐々に進んでいき、身体の変化よりも心が乱れたことで、しばらく生活が荒れていましたので、生活を整えようと工夫しました。「生まれつき障害のある自分」から「進行性で遺伝性の神経難病の自分」という大きな価値観の転換を図る必要がありました。
気持ちを整理するために誰かとつながっていく
編集部
気持ちを切り替えるきっかけなどはありましたか?
山田さん
確定診断の少し後(2000年頃)に「ほかのCMT患者とつながりたい」と思い立ち、CMTの患者や家族が集えるようにインターネット上に掲示板を開設しました。そこで、小さな交流と情報交換を始めたのです。徐々に人が集まり、オフ会やミーティングを繰り返すうちに、CMTの研究班とも協働するようになったのです。作業療法士であり、いち患者でもある自分が、CMTの研究や患者会運営に役立てるのではないかと感じていくようになりました。作業療法士の仕事と、患者会の任務、日常生活を通して「新しい価値観の再獲得」をしていったのです。
編集部
治療中の心の支えはなんでしたか?
山田さん
人とのつながりがとても大切だと感じています。幼少期は、献身的な母をはじめ、家族のサポートが本当にありがたかったです。ほかにも、そばに居てくれる幼馴染たちも、心の支えでした。そして、患者会でつながった仲間たちによるピアサポートが、闘病生活だけでなく、生活、仕事、結婚、出産、育児に至るまで、ずっと勇気と希望を与えてくれているのです。何よりも、妻と娘たちがありのままの自分を受け入れ、当たり前に存在を肯定してくれているのが一番の心の支えになっています。
編集部
現在の体調について教えてください。
山田さん
現在42歳ですが、30代半ばから手足の麻痺は急速に進行しており、呼吸筋の力も弱くなってきています。CMTの中でも呼吸筋の麻痺がでるタイプもあるのです。歩行はインソールとカーボン製の短下肢装具を着用し、ロフストランド杖を使用しています。長時間や長距離の移動の際は、車椅子を利用して、体力を温存することもあります。握力はわずかしかなく、巧緻性もなくなってきました。日常生活や仕事では、自助具や共用品を活用したり、上手な身体の使い方をしたり、こまめな休息を心掛けたりして生活しています。まだ、CMTに対する根本的な治療は確立されていませんので、定期的なリハビリとロボットスーツHALでのリハビリを通して身体機能や生活能力の維持を図っています。
編集部
あなたの病気を意識していない人に一言お願いします。
山田さん
CMTは、軽症であればなかなか見た目で判断してもらうことが難しく、自身の症状をうまく説明できないでいることも多いです。そして「身体の動かしにくさ」や「わかってもらいにくさ」を抱えて生活している一方で、CMTと付き合いながらも生活は続いていくので、CMT患者が感じているモヤモヤが解消されることはなかなかないと思います。「モヤモヤしていること」だけでも受け止めていてもらえると、少しだけ生きやすいのかもしれません。
編集部
医療従事者に望むことはありますか?
山田さん
CMTは治療やリハビリにおいて、そのエビデンスが明確ではありません。しかしながら、世界的に研究が進んでいるのは確かで、リハビリの内容も以前とは違う方針になっています。私たち患者や家族は「もしかしたら効果が期待できるかもしれない薬が研究されている」「以前と違って、最近の研究では積極的に運動をした方がいい」このような、希望を持てる医師の言葉や最新の情報を求めています。医師の一言や態度で、気持ちが整うこともあります。医療はとても急速に進化しているため、CMT患者と医師のつながりは、ぜひとも途切れることなく、つながっておいてほしいです。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
山田さん
「生きづらさを感じる」のは、「難病だから」「障害があるから」とか「自分自身のせい」ではないと思います。身体や心の問題も、もちろん抱えていると思いますが「自分らしい生き方ができない」という不自由さは「社会」の方にもたくさんの原因があるのだと思います。コロナ禍で多くの人が不自由を抱えた現在は、まさに「個人」ではなく「社会」の方に不自由の原因があるのではないでしょうか。どんな難病や障害があろうとも、自分がやりたいことをやれて、行きたいところに行き、食べたいものを食べ、会いたい人に会う。こんな当たり前なことがかなうような社会構造になっていけばいいなと願っています。
編集部まとめ
作業療法士として長年の病院勤務を経て、現在は重症心身障害児の通所施設に勤務されている山田さん。臨床を行いながら『当事者×支援者』という自身の存在を活用した研究や教育・セミナー・イベント企画・執筆など幅広く活動しているそうです。当事者の主観的で言語化されにくい体験を客観的かつ専門性を持って伝えることが自身の特徴で「当事者と支援者の架け橋になること」を命題として「やりたい想いを叶えられる社会づくり」を目指していると話されていました。今後も幅広く活躍されるのが楽しみですね。