【闘病】風邪で行った病院で「即死の可能性」を告げられた脳動静脈奇形(AVM)
「風邪を引いて病院に行く」ことは、誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。闘病者の堤さんも何気なく病院を受診し、受けた検査で、脳の病気を指摘され、2週間後には手術となりました。全く自覚症状がなかった脳の病気「脳動静脈奇形(AVM)」とは、果たしてどんな病気なのでしょうか。詳しく話を聞かせてもらいました。
本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年4月取材。
体験者プロフィール:
堤 汐莉
北海道在住、1989年生まれ。娘2人との3人家族。24歳の時に先天性の脳動静脈奇形(AVM)の診断を受け、開頭手術を経験。術後から8年経った今でも右半身の後遺症と闘いながら、自身の会社経営と2人の子育てに邁進。
記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
蓄膿症で病院に行ったら…
編集部
受診から、診断に至るまでの経緯を教えてください。
堤さん
あれは24歳の時でした。一般的な風邪を引いて、その後蓄膿症になりました。それで急遽、病院にかかることになりました。蓄膿症だから鼻の奥の状態を確認するということでMRIを撮ったところ、突如「脳動静脈奇形(AVM)」と言われました。脳幹と小脳の間にある、もし何かあったら命に関わる部位とのことでした。全く自覚症状はありませんでしたね。
編集部
どんな病気なのでしょうか?
堤さん
脳の血管の奇形で、脳内の動脈と静脈が糸のように絡まって塊になっている状態とのことでした。その塊が周囲の神経に触れると顔面神経痛、三叉神経痛が起こることもあると言われました。さらに、その部位の血管は、正常な血管に比べて壁が薄いため、破れやすいそうです。
編集部
それは怖いですね。
堤さん
AVM自体は死にいたる病気では無いのですが、私の場合はその塊が直径3cm以上あり、しかも生命をつかさどる脳幹に大きくかかっていたため、破裂した場合は即死だと言われ、それが「今日か明日か10年後か、ずっと起こらないままか、それは全くわからない」とのことでした。
編集部
どのように治療を進めていくと説明がありましたか?
堤さん
その病院では開頭手術、血管内治療、放射線治療の3種類を説明されましたが、開頭手術に関しては「ハイリスクな部位で、重篤な後遺症が残りうるためここでは対応できません」と言われました。「それなら血管内療法と放射線治療の組み合わせを」と思いましたが、それは根治治療ではなく、2〜3年かけて50〜70%を治すような治療法ということで、絶望的な気持ちになりました。
編集部
結局、治療はどうされたのですか?
堤さん
藁にもすがる思いで「匠の手」と言われている有名な先生の下を訪ね、セカンドオピニオンを求めたところ、開頭手術を受けることにしました。
編集部
そのときの心境について教えてください。
堤さん
最初の病院の時は、後遺症が残ったり、根治しなかったりするのであれば治療は受けたくなかったというのが本音でした。人の手を借りないと生きていけないような人生で長生きするくらいなら、残りの人生が短くなっても今の体のまま自分らしく生きたいと思いました。しかし、セカンドオピニオンを聞きに行った時、先生に「根治治療をする。絶対に助ける」と言っていただき、この言葉にかけてみようと思いました。むしろ「この先生ならば、どんな後遺症が残ったとしても納得できる、乗り超えられる」とさえ思えました。
18時間の大手術
編集部
実際の治療はどのように進められたのか教えて下さい。
堤さん
すぐに入院となり、手術予約をし、検査(造影剤を用いたCT、MRI、血液検査など)を受け、手術となりました。頭の手術なので、髪の毛の3分の1を刈り上げるということもしました。蓄膿症で受診してから手術まで、2週間あまりというスピードでした。
編集部
治療や闘病生活の中で、何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。
堤さん
手術は「頭蓋骨にドリルで穴を開けて、脳の内部の絡まった血管を解いていき、使われない血管にはクリッピングをする」というものでした。後から聞いたのですが、トータルで18時間かかったそうです。
編集部
それは大がかりな手術でしたね。
堤さん
術後2日間ICUに入って、そこからリハビリが始まりました。手術直後は一時的に脳へのダメージが大きく、右半身の機能が全て衰えていました。右手が使えない、右足が動かないので歩けない、右耳は聞こえない、右目の眼振がありピントが合わないなど、全ての症状が右半身に出ました。
編集部
その状態からどのように回復できたのですか?
堤さん
最初は寝返りも打てずに寝たきり状態でしたが、ベッドから起きて座るというところから、時間をかけてリハビリが進められました。吐き気やめまいで倒れ込むことも何度もありましたが、くじけそうになるたびに、看護師さんや家族が励まし、支えてくれました。
編集部
リハビリは順調に進んだのですか?
堤さん
順調ではなかったですね。一度、脳の周りにある髄膜に炎症が起こって髄膜炎になり、しばらく寝たきり状態に戻ってしまったので、また座るところからのリハビリを始めました。身体面よりもキツかったのは、「できない自分」との葛藤でした。
編集部
どのような葛藤があったのですか?
堤さん
早く歩けるようになりたいという希望は強く持っていたのですが、もちろんすぐには歩けません。できない自分を見るのが嫌で、一時期はリハビリを拒否していました。ですが少しずつ心境も変化し、少しワガママを言いつつ術後1ヶ月半で退院できるようになりました。
周りの愛に感謝し、前だけをみること
編集部
さきほどの心境の変化とは何があったのですか?
堤さん
今までの自分は、「どんなに辛くても自分で完璧にやり遂げる」という性格でした。それがこの病気を経験することにより、「できないことを無理して自分でやろうとしなくて良い」「そんな時は誰かに頼れば良い、助けて欲しいと言えば良い」ということを学びました。これは「自分と他人」だけでなく、「自分の右側と左側」に置き換えても同じことです。右側が使えないなら、左側を使えばいい。できないことを悔やむより、できる方ができない方を補えばいい、そう考えるようになりました。できないできないと嘆くより、「こっちが使えるじゃん。何とかなるじゃん」と前向きになれたこと、それが変化でした。
編集部
今までを振り返ってみて、後悔していることなどはありますか?
堤さん
先天性の病気なので防ぎようはなかったと思います。日常生活も普通に送れており、脳の検査をしようなんて夢にも思っていませんでした。でも今思えばですが、症状らしきものというか、思い当たる節はありました。
編集部
参考までに教えてもらえますか?
堤さん
小さな頃から耳を塞ぐと血液が流れる音がする、顔面神経痛が頻繁に起こることなどです。生まれた時からあったのでこれが普通だと思っていましたが、おそらく神経が圧迫されていたんだと思います。もっと早くそれに気づいていたら、ここまで大きくなることはなかったのではないかとは思います。
編集部
現在の体調や生活はどうですか?
堤さん
現在は脳の中にチタン製のクリップが3つ入っています。これは一生入ったままです。それ以外は体調などに何の問題もなく、術後の定期フォローも終了し、「再発の恐れなし」と言っていただきました。結婚、出産も経験し、今は仕事もバリバリやっています。
編集部
最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。
堤さん
いつ何時、何が自分の身に起こるかはわかりません。私は毎日、後悔のないように生きていたはずなのに、実際に予期せぬ出来事に直面すると、後悔の連続でした。もっとこうしていれば、あの時こうしていたら防げたかもしれない。そう思えばキリがありません。ただ、目の前に起きた状況を受け入れ、周りの人たちの愛に感謝し、後ろは向かずに前だけを見ること、できない時は発想を転換すること、そうすれば必ずどこからか光がさしてくること。そう思っていくことが、あなたも周りの人も幸せに生きていく術になると思います。
編集部まとめ
できないことを嘆くのではなく、発想を転換すること、という前向きな姿勢がとても印象的でした。そんな堤さんでも「もっと早く受診できていれば……」と後悔してしまうこともあるようです。些細な症状でも「あれ?」と思ったら受診すること、さらには、症状がなくても「脳ドック」などで定期的に検査をしてみるのも良いかもしれません。