目次 -INDEX-

  1. Medical DOCTOP
  2. 医科TOP
  3. コラム(医科)
  4. 【体験談】乳がん発覚時にはリンパ節にも転移 AYA世代ママの闘病

【体験談】乳がん発覚時にはリンパ節にも転移 AYA世代ママの闘病

 公開日:2023/03/13
【体験談】医師から「1~2人しか見たことない乳がん」と言われて…

近年、AYA世代(Adolescent&Young Adultの頭文字で、思春期・若年成人を指す)のがん治療について注目が集まるようになりました。治療終了から時間が経って副作用が現れる晩期合併症に長く悩まされること、そして生殖機能や性生活への影響も大きな問題となっています。そんなAYA世代で乳がんと闘い、今も副作用と闘っているりかすかさん(仮称)に、これまで体験してきたことの話を聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年4月取材。

りかすかさん

体験者プロフィール
りかすかさん(仮称)

プロフィールをもっと見る

福岡市在住。1978年生まれ。結婚して1児の母。診断時は育児休暇中だった。2012年7月に右乳房のしこりに気付き、乳がん発覚。リンパ節転移が認められた。右乳房部分切除と腋窩リンパ節郭清術、化学療法、放射線療法を受ける。現在は経過観察中だが、治療による様々な副作用と闘っている。

寺田 満雄

記事監修医師
寺田 満雄(名古屋市立大学病院乳腺外科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

授乳中、乳房にうずらの卵大のしこりが

授乳中、乳房にうずらの卵大のしこりが

編集部編集部

この病気に気づいたきっかけは?

りかすかさんりかすかさん

右の乳房の違和感に気付いたのは、私が33歳で子どもが生後10か月の時でした。授乳中にふと右の乳房に触れた時、うずらの卵大のしこりがあることに気付きました。元々、母乳が多く、頻繁に乳腺炎を繰り返していたため、また乳腺炎を起こしてしこりが出来たのだろうと思っていました。しかし、いつもできるしこりは授乳をすれば消えていましたが、そのときは一向に大きさが変わりませんでした。さすがにおかしいと思い、しこりに気付いてから2週間後に、近くの乳腺外科を受診しました。

編集部編集部

最初に受診した病院ではどのような説明がありましたか?

りかすかさんりかすかさん

最初に受診した病院では、エコー検査を受けました。その結果、乳瘤ではなく腫瘤ということで、悪性か良性かを判断するための針生検が必要だと説明がありました。乳房に局所麻酔をして、組織を採取しました。この時点では、乳がんの中ではメジャーな充実腺管がんの診断でしたが、確定診断は、手術で腫瘍を摘出し、術後の病理検査を診てからつくとのことでした。その結果、乳がんの中でも軟骨化生がんという、珍しいものでした。しかも、リンパ節転移もあるとわかりました。

編集部編集部

病気が判明した時、どのような心境でしたか?

りかすかさんりかすかさん

担当医はベテランの先生でしたが、それでも「軟骨化生がんは今までに1~2人しか見たことがない」とのことでした。トリプルネガティブ乳がん、Ki-67は93%と悪性度が非常に高い種類のがんとも言われました。そんなこともあって、一時期は死も考えました。エンディングノートを探しに行ったり、葬儀場の見学に行ったりもしました。両親と二人の妹はずっと泣いていました。特に母はショックが大きく、泣き崩れていました。主人も「死を覚悟した」と言っていました。

まれながん。高い悪性度

まれながん。高い悪性度

編集部編集部

どのように治療を進めると説明されましたか?

りかすかさんりかすかさん

半年かけて手術、化学療法、放射線療法を行うと言われました。また、断乳をしなければいけないと言われました。2012年8月に右乳房部分切除と腋窩(えきか)リンパ節郭清術を受け、同月下旬に抗がん剤治療(FEC-T療法:各4クール計8クール)を開始しました。抗がん剤はドセタキセルでした。 2013年4〜5月に放射線療法(50Gy、25回照射)を受け、現在は半年に1度の経過観察中です。入院中はこれからどうなっていくのか、とても不安でしたね。

編集部編集部

断乳するのはりかすかさん、お子さんともにきついですよね。

りかすかさんりかすかさん

はい。これがとても大変でした。生後10か月の子どもは完全母乳だったため、ミルクは受け付けませんでした。母乳を止める薬を内服しながら、離乳食を進めていきました。

編集部編集部

治療による副作用はありましたか?

りかすかさんりかすかさん

化学療法の時に脱毛と末梢神経障害がありました。脱毛のため、帽子やウィッグは欠かせませんでしたね。末梢神経障害では、指先に力が入らず、細かな作業は出来ませんでした。ほかには全身倦怠感があり、寝ていてもしんどくて、身の置きどころがない状態でした。放射線療法では、放射線性肺障害を起こし、咳が止まりませんでした。

編集部編集部

病気の情報収集はどのようにされましたか?

りかすかさんりかすかさん

まずは主治医と看護師に質問しました。ほかには書籍を購入したり、ネットで検索したりしました。ネットの体験談も見ましたが、どれも個人的な見解が多く、あまり参考にならなかったですね。できれば、同じ病気を持つAYA世代のママと関わりが持てたらよかったですね。

編集部編集部

医師や看護師など、医療関係者からの説明は十分でしたか?

りかすかさんりかすかさん

大まかな話はありましたが、妊孕性についての説明はありませんでした。これは私たちの世代には、とても重要なことです。先生に話を聞いてもらえる時間も少なかったと思います。でも、がん看護専門看護師さんに、定期的に話を聞いてもらい、とても助けられました。

編集部編集部

医療関係者に望むこと、伝えたいことはありますか?

りかすかさんりかすかさん

「AYA世代のママがん患者」ということで、腫れ物に触るように接されることが多いように感じたため、対応方法を学んで欲しいなと思いました。

治療による副作用に悩まされる日々

治療による副作用に悩まされる日々

編集部編集部

治療開始後、仕事にどのような変化がありましたか?

りかすかさんりかすかさん

治療は、育児休暇中に行いました。治療が終わったら仕事復帰する予定でしたが、副作用が強く、職場復帰はすぐには出来ませんでした。復帰した際は、リンパ節郭清術をしており、患側では重いものが持てないため、そのような負担の無い部署へ異動となりました。

編集部編集部

治療開始後、生活にどのような変化がありましたか?

りかすかさんりかすかさん

家事・育児は主に自分が行っていましたが、主人が仕事をしながら家事や育児をこなすことになりました。また、両親や2人の妹にも助けてもらいました。結果的に、主人は離乳食作りが上手になり、子育てにもすっかり慣れることが出来たので、この点は良かったです。

編集部編集部

治療中の心の支えとなったものは、何でしたか?

りかすかさんりかすかさん

副作用を緩和してくれる薬です。緩和されると、子どもとちゃんと向き合えました。「治療中は子どもが心の支えになる」と思われがちですが、体調不良中の育児は、身体的にも精神的に辛かったです。しかも、入退院を繰り返したため、子どもが愛着障害となってしまい、「ちゃんとした育児が出来ていないのでは」と悩みました。

編集部編集部

もし昔の自分に声をかけるとしたら、どんな助言をしますか?

りかすかさんりかすかさん

「頑張り過ぎなくていいよ」と声をかけてあげたいですね。

編集部編集部

現在の体調、生活の様子を教えてください。

りかすかさんりかすかさん

まだ脱毛は改善していないので、治療終了から10年経った今でもウィッグを着用しています。また、指先に末梢神経障害が残っているので、細かな作業がしづらいです。味覚障害も残っているので、料理の味見は夫や子どもにしてもらっています。あとホルモンバランスが乱れたままで、ホットフラッシュや関節痛といった更年期症状、生理不順が続いています。

編集部編集部

あなたの病気を知らない方へ、一言お願いします。

りかすかさんりかすかさん

血縁者に乳がん経験者はいないので、乳がん検診を受けようと思ったことがありませんでしたが、私の場合、気付いたときには腫瘍の大きさが2.5cmもあり、リンパ節転移もしていました。早期発見のため、AYA世代の皆さんもぜひ乳がん検診を受けてほしいですね。

編集部まとめ

今回はAYA世代で乳がんと闘っているりかすかさんにお話を伺いました。AYA世代には、妊孕性という大きなテーマがあり、同じAYA世代のがんファイターが少ないこと、医療関係者も対応方法にまだ不慣れな点があることなど、課題がいくつか見えてきたと思います。私たちもAYA世代のがんファイターからの体験談も取り上げていきたいと思います。

この記事の監修医師