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【闘病】お腹が少し出てきたと思ってたら、まさかの「卵巣がん」だった(1/2ページ)

 更新日:2025/02/21
【闘病】お腹が少し出てきたと思ってたら、まさかの「卵巣がん」だった

「私の夢見ていた幸せのほとんどが失われてしまった、と絶望しました」。そう語るのは30代で卵巣がんとの闘病を経験したがんこちゃんさん(仮称)。彼女は結婚と子育てという幸せを望んでいたものの、突然の病魔によってその未来を奪われてしまいました。突然の宣告、辛い闘病生活、愛する祖母の死など多くの困難にぶつかりながらも、人生を前向きに生きようと決意したがんこちゃんの話から、病はある日突然やってくること、1人で抱え込まない大切さを学びます。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年12月取材。

がんこちゃん

体験者プロフィール
がんこちゃん(仮称)

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1988年生まれ。2020年11月頃から普段と異なるオレンジ色の血が混じったおりものが出るようになり、近所のクリニックを受診。検査の結果、両側の卵巣に腫瘍があると判明する。精密検査の結果、悪性の腫瘍であることがわかり、手術と半年近い抗がん剤治療を実施。現在は体調も回復傾向で、母と共に日々を楽しみながら過ごしている。

鈴木 幸雄

記事監修医師
鈴木 幸雄(産婦人科専門医・婦人科腫瘍専門医)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

「子どもが産めなくなる」。深い悲しみに暮れる日々

「子どもが産めなくなる」。深い悲しみに暮れる日々

編集部編集部

卵巣がんとはどのような病気なのでしょうか?

がんこちゃんがんこちゃん

卵巣がんは「沈黙のがん」と呼ばれていて、ほとんど症状がありません。私の場合も下腹部が妊婦のように腫れてきて、「お酒の飲みすぎかな」と思う程度でした。卵巣にできる腫瘍の約10%が悪性で、私はその10%に入っていました。

編集部編集部

おかしいなと感じてから、病気が判明するまでのことを教えてください。

がんこちゃんがんこちゃん

2020年の11月ごろからおりものが出始めて、色もオレンジ色っぽい、血が混じったようなものだったので、「ばい菌でも入ったのかな」と気になってクリニックを受診しました。その後、精密検査が必要と言われて、総合病院で腫瘍マーカー検査MRIを受けたところ、腹水が出ていること、両側の卵巣に腫瘍があることを告げられました。

編集部編集部

病気が判明したときはどのような心境でしたか?

がんこちゃんがんこちゃん

呆然としました。将来は結婚して旦那さんと可愛い子どもがいる幸せな生活を想い描いていたので、その未来を閉ざされてしまったと感じたのです。間違った考えですが、当時は子どもが産めない体になることで「女性ではなくなる。デメリットしかない人間になる」と思えてしまって、何を支えにして生きていけば良いのかわからなくなりました。

編集部編集部

そうなってしまうまでに、何か症状はなかったのですか?

がんこちゃんがんこちゃん

友達から、下腹部の膨らみを「妊婦さんみたい」と言われることはありましたが、自覚症状はありませんでした。がんなんて自分とは遠い存在だと思っていました。ですから、最初に卵巣がんのことを言われたときは呆然として、「卵巣がなくなったら子どもができませんよね?」ということしか聞けませんでした。

編集部編集部

治療はどのようなことを行ったのですか?

がんこちゃんがんこちゃん

手術と抗がん剤による治療です。手術は左右両側の卵巣、子宮、そして転移の可能性を考えて大網(胃から下方にたれ下がる腹膜のひだ)も切除する大がかりな手術でした。私の場合は卵巣腫瘍が大きく、大腸との癒着を剥がすのに時間がかかったようで、手術は約7時間掛かりました。その後は自分自身も迷いながらですが、抗がん剤治療もスタートしました。少しして脱毛が始まったのは、覚悟していたとはいえすごくショックでした。ただ、ウィッグを着用すると、思っていたより違和感がなくて、SNSにその写真を載せると、「似合っている!」というコメントも寄せられたのは嬉しかったです。

家族の支えと愛する祖母の死

家族の支えと愛する祖母の死

編集部編集部

卵巣がんが判明したとき、ご家族にはどのような報告をされたのですか?

がんこちゃんがんこちゃん

まずは兄と連絡を取りました。涙が自然と出てきました。その後、母にも連絡すると、すごく取り乱していて、また泣いてしまいました。母はがんを患った祖母と一緒に住んでいたのですが、私を心配してすぐに田舎から駆け付けてくれたのです。祖母も私のことをすごく心配してくれていました。

編集部編集部

ご家族の支えは大きかったのですね。

がんこちゃんがんこちゃん

私が手術をする時も、抗がん剤治療をする時も支えになってくれました。ですが、私自身は病気の辛さで余裕もなくて、イライラして強く当たってしまうことも多かったので、そのときは申し訳なかったです。でも辛い気持ちも、抗がん剤治療も、母からの応援のおかげで乗り越えられたので、今ではとても感謝しています。

編集部編集部

治療中にお婆様が亡くなったそうですね。

がんこちゃんがんこちゃん

治療中であったことと、コロナ禍も影響して、祖母の体調が悪いと聞いても田舎に戻ることがなかなか難しい状況でした。それでも兄の車で7時間ほどかけて田舎に帰って、久しぶりに会えて、夜遅くまで一緒に過ごせました。祖母の体調も悪くなっていて気になりましたが、自分自身の治療もあって、現在の生活拠点に戻らざるを得ませんでした。田舎から帰って数日後に、祖母が亡くなったと連絡がありました。

出会いと別れの多かった1年、前向きに生きる力をもらった

この記事の監修医師

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