【闘病】お腹が少し出てきたと思ってたら、まさかの「卵巣がん」だった
「私の夢見ていた幸せのほとんどが失われてしまった、と絶望しました」。そう語るのは30代で卵巣がんとの闘病を経験したがんこちゃんさん(仮称)。彼女は結婚と子育てという幸せを望んでいたものの、突然の病魔によってその未来を奪われてしまいました。突然の宣告、辛い闘病生活、愛する祖母の死など多くの困難にぶつかりながらも、人生を前向きに生きようと決意したがんこちゃんの話から、病はある日突然やってくること、1人で抱え込まない大切さを学びます。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年12月取材。
体験者プロフィール:
がんこちゃん(仮称)
1988年生まれ。2020年11月頃から普段と異なるオレンジ色の血が混じったおりものが出るようになり、近所のクリニックを受診。検査の結果、両側の卵巣に腫瘍があると判明する。精密検査の結果、悪性の腫瘍であることがわかり、手術と半年近い抗がん剤治療を実施。現在は体調も回復傾向で、母と共に日々を楽しみながら過ごしている。
記事監修医師:
鈴木 幸雄(産婦人科専門医・婦人科腫瘍専門医)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
「子どもが産めなくなる」。深い悲しみに暮れる日々
編集部
卵巣がんとはどのような病気なのでしょうか?
がんこちゃん
卵巣がんは「沈黙のがん」と呼ばれていて、ほとんど症状がありません。私の場合も下腹部が妊婦のように腫れてきて、「お酒の飲みすぎかな」と思う程度でした。卵巣にできる腫瘍の約10%が悪性で、私はその10%に入っていました。
編集部
おかしいなと感じてから、病気が判明するまでのことを教えてください。
がんこちゃん
2020年の11月ごろからおりものが出始めて、色もオレンジ色っぽい、血が混じったようなものだったので、「ばい菌でも入ったのかな」と気になってクリニックを受診しました。その後、精密検査が必要と言われて、総合病院で腫瘍マーカー検査とMRIを受けたところ、腹水が出ていること、両側の卵巣に腫瘍があることを告げられました。
編集部
病気が判明したときはどのような心境でしたか?
がんこちゃん
呆然としました。将来は結婚して旦那さんと可愛い子どもがいる幸せな生活を想い描いていたので、その未来を閉ざされてしまったと感じたのです。間違った考えですが、当時は子どもが産めない体になることで「女性ではなくなる。デメリットしかない人間になる」と思えてしまって、何を支えにして生きていけば良いのかわからなくなりました。
編集部
そうなってしまうまでに、何か症状はなかったのですか?
がんこちゃん
友達から、下腹部の膨らみを「妊婦さんみたい」と言われることはありましたが、自覚症状はありませんでした。がんなんて自分とは遠い存在だと思っていました。ですから、最初に卵巣がんのことを言われたときは呆然として、「卵巣がなくなったら子どもができませんよね?」ということしか聞けませんでした。
編集部
治療はどのようなことを行ったのですか?
がんこちゃん
手術と抗がん剤による治療です。手術は左右両側の卵巣、子宮、そして転移の可能性を考えて大網(胃から下方にたれ下がる腹膜のひだ)も切除する大がかりな手術でした。私の場合は卵巣腫瘍が大きく、大腸との癒着を剥がすのに時間がかかったようで、手術は約7時間掛かりました。その後は自分自身も迷いながらですが、抗がん剤治療もスタートしました。少しして脱毛が始まったのは、覚悟していたとはいえすごくショックでした。ただ、ウィッグを着用すると、思っていたより違和感がなくて、SNSにその写真を載せると、「似合っている!」というコメントも寄せられたのは嬉しかったです。
家族の支えと愛する祖母の死
編集部
卵巣がんが判明したとき、ご家族にはどのような報告をされたのですか?
がんこちゃん
まずは兄と連絡を取りました。涙が自然と出てきました。その後、母にも連絡すると、すごく取り乱していて、また泣いてしまいました。母はがんを患った祖母と一緒に住んでいたのですが、私を心配してすぐに田舎から駆け付けてくれたのです。祖母も私のことをすごく心配してくれていました。
編集部
ご家族の支えは大きかったのですね。
がんこちゃん
私が手術をする時も、抗がん剤治療をする時も支えになってくれました。ですが、私自身は病気の辛さで余裕もなくて、イライラして強く当たってしまうことも多かったので、そのときは申し訳なかったです。でも辛い気持ちも、抗がん剤治療も、母からの応援のおかげで乗り越えられたので、今ではとても感謝しています。
編集部
治療中にお婆様が亡くなったそうですね。
がんこちゃん
治療中であったことと、コロナ禍も影響して、祖母の体調が悪いと聞いても田舎に戻ることがなかなか難しい状況でした。それでも兄の車で7時間ほどかけて田舎に帰って、久しぶりに会えて、夜遅くまで一緒に過ごせました。祖母の体調も悪くなっていて気になりましたが、自分自身の治療もあって、現在の生活拠点に戻らざるを得ませんでした。田舎から帰って数日後に、祖母が亡くなったと連絡がありました。
出会いと別れの多かった1年、前向きに生きる力をもらった
編集部
現在の体調や生活はどのような様子ですか?
がんこちゃん
今は再発を予防する飲み薬の内服を続けておりますが、体調は良くて、月に1度の診察と処方を受けて経過観察中です。毎月腫瘍マーカー検査と、定期的なCTは受けていますが、異常は見つかっていません。仕事のほうは休職しているのですが、今は転職しようか悩んでいるところです。
編集部
SNSでの繋がりも増えたそうですね。
がんこちゃん
治療の様子を定期的にインスタグラムにアップしていて、応援のメッセージをたくさんもらいました。インスタグラムから、同じ病院で治療している人と仲良くなることができたり、同じ卵巣がん患者さんとも知り合ったりすることができました。治療中はいつもカーテンの中で時間が過ぎるのを待つだけだったので、一緒に病院を散歩もできて良かったと思います。
編集部
入院中にはさまざまな出会いがあったと聞きました。
がんこちゃん
私のように若くてもがんになる人が多くいることを知りました。胸をなくしてしまった人、自分で導尿(カテーテルと呼ばれる管を尿道から入れて出す方法)している人、人工肛門をつけている人など、悩みを抱える人がたくさんいました。辛くてもそれを抱えて強く生きようと、体も心も闘っている人たちがたくさんいました。
編集部
医療従事者に伝えたいことはありますか?
がんこちゃん
医療従事者の方にはとても感謝しています。患者さんには、彼らの優しい言葉がとても心強いのです。私にとって心の支えにもなりました。医療従事者の方々には、これからも優しい言葉で、患者さんに寄り添ってほしいと思います。
編集部
最後に読者の方に向けてメッセージをお願いします。
がんこちゃん
当たり前に過ごしていた日々、当たり前に描いていた未来を大きな変更なく過ごしていけるならば、それが一番良いことです。でも、それができるのは当たり前ではありません。卵巣がんは早期発見が難しい病気の一つですが、定期健診で早期発見できるがんもありますし、自分自身の体の変化に気づいた時は医療機関を受診するようにぜひ心がけてください。
編集部まとめ
がんこちゃんさんは卵巣がんの発見から、大きな手術、抗がん剤治療を経て、同じように闘病する患者さんとの出会いも経験しました。卵巣がんの経験は辛いものであっても、がんこちゃんは闘病経験と支える人々と出会う中で、人生を楽しく生きる前向きな力に変えていました。がんこちゃんの前向きな言葉が、闘病で苦しむ人にとって生きる希望を与える光になることを願います。