【闘病】自由奪われ「死にたいと思った」。中学で脳出血してからの日々(1/2ページ)

突然の違和感から倒れてしまうことがある脳出血は、大人になってから発症することが多く、高血圧や脳動脈瘤(のうどうみゃくりゅう)の破裂が原因で脳内の血管が破れて発症します。若年者の場合にも稀ではありますが、先天性(生まれつき)の脳動静脈奇形(のうどうじょうみゃくきけい)などが脳出血の原因になります。中学3年生という多感な時期に脳出血で突然倒れてしまったという松川力也さんに、当時の心境やこれまでの体験などについて話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年11月取材。
目次 -INDEX-

体験者プロフィール:
松川 力也
福島県出身。1999月生まれ。両親、兄2人の5人家族。現在は、一人暮らし。14歳(中学3年生)のときに、自宅にて脳出血で倒れる。(12月)意識がハッキリしないまま、開頭手術をおこなった。その後も、開頭手術を2回おこなった。リハビリに励み左半身に麻痺は残るが1人で生活できるまで回復する。現在も定期的に検査をおこないながら、再発しないように予防生活を送っている。発症当時は、絶望感から自殺を考えたこともあった。同じように絶望してしまう方を減らしたいと「言語聴覚士」を取得。現在は、障がい者を手助けするビジネスで起業(2社経営)。広い人脈を活かしイベントの開催なども行う。

記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
突然の発症からの心境

編集部
脳出血の経緯について教えてください。
松川さん
中学3年生のある朝、兄とご飯を食べている時、左手に力が入りにくいと感じました。ご飯を片付けようとした時に茶碗を落としてしまい、そのまま倒れたんです。気付いた時にはICUのベッドの上にいました。
編集部
気がついた時の心境を教えてください。
松川さん
信じられないという気持ちでした。倒れてからしばらく意識がなかったし、夢をたくさん見たので、現実に起こっていることも夢なのではないかと思いました。
治療と葛藤の日々

編集部
発症後の治療はどのように進みましたか?
松川さん
意識がハッキリしないままでしたが、開頭手術を3回おこなったようです。このとき、生まれつきの脳動静脈奇形が発見されました。1回目の開頭手術で血液をとり、2回目は奇形をとったのですが、頭の骨が溶けていたようで、3回目の手術を受けました。(1・2回目は12月、3回目は5月)
編集部
病気を受け入れるまでの葛藤はありましたか?
松川さん
当初は、当たり前と思っていたことができなくなり、死にたいと思っていました。発症から2ヶ月くらいは心も塞いでいて、誰とも会いたくないと思っていました。絶望感しかなかったですね。
編集部
受け入れるきっかけがあったんでしょうか?
松川さん
医者から「病気や後遺症を治すことも大事だけど、向き合って付き合っていくことも大切」と言われました。今は意味もわかるのですが、当時は悔しさと情けなさを感じました。しかし、この言葉で感じた悔しさが反発心となり、たくさんリハビリをするようになったんです。
編集部
闘病中の心の支えはなんでしたか?
松川さん
やはり家族の存在が大きかったです。また、友達もたくさん心配してくれました。周りの支えがあったので、高校受験もできました。入院後、はじめて外出したのは高校受験の日です。車椅子で尿瓶をもって受験しました。
編集部
その後のリハビリは順調に進みましたか?
松川さん
東京のリハビリ病院に通いました。ほかの人の何倍も努力しようと思い、毎日リハビリを続けました。1日1~2万歩、歩くことを2年間継続したのです。病気を発症した当初は、体が動かなくなることもあると言われましたが、今は1人で生活できるレベルに回復しました。
編集部
リハビリを通して得られたものはありますか?
松川さん
リハビリをしているとリハビリ仲間が増え、更に頑張れました。その中でも、海外で活躍する人との出会いがあり「日本人は障がいを隠しているからよくない」と海外に連れて行ってくれたのです。とても刺激を受けました。
編集部
リバビリしながら取り組んでいたことはありますか?
松川さん
障がい者スポーツに取り組みました。種目は砲丸投げで、パラリンピックを目指していた時期もあります。障がいが残って「なにもできない」と思っていた時期もありましたが、「なんでもできる」ということを教えられました。
編集部
当時の自分自身になにか言えるとしたら、どう声をかけますか?
松川さん
「なんでもできる」ということを伝えたいです。きっと当時の自分は受け入れられないと思いますけどね。障がいがあっても、できることはたくさんあると伝えたいです。