【闘病】自由奪われ「死にたいと思った」。中学で脳出血してからの日々
突然の違和感から倒れてしまうことがある脳出血は、大人になってから発症することが多く、高血圧や脳動脈瘤(のうどうみゃくりゅう)の破裂が原因で脳内の血管が破れて発症します。若年者の場合にも稀ではありますが、先天性(生まれつき)の脳動静脈奇形(のうどうじょうみゃくきけい)などが脳出血の原因になります。中学3年生という多感な時期に脳出血で突然倒れてしまったという松川力也さんに、当時の心境やこれまでの体験などについて話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年11月取材。
体験者プロフィール:
松川 力也
福島県出身。1999月生まれ。両親、兄2人の5人家族。現在は、一人暮らし。14歳(中学3年生)のときに、自宅にて脳出血で倒れる。(12月)意識がハッキリしないまま、開頭手術をおこなった。その後も、開頭手術を2回おこなった。リハビリに励み左半身に麻痺は残るが1人で生活できるまで回復する。現在も定期的に検査をおこないながら、再発しないように予防生活を送っている。発症当時は、絶望感から自殺を考えたこともあった。同じように絶望してしまう方を減らしたいと「言語聴覚士」を取得。現在は、障がい者を手助けするビジネスで起業(2社経営)。広い人脈を活かしイベントの開催なども行う。
記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
目次 -INDEX-
突然の発症からの心境
編集部
脳出血の経緯について教えてください。
松川さん
中学3年生のある朝、兄とご飯を食べている時、左手に力が入りにくいと感じました。ご飯を片付けようとした時に茶碗を落としてしまい、そのまま倒れたんです。気付いた時にはICUのベッドの上にいました。
編集部
気がついた時の心境を教えてください。
松川さん
信じられないという気持ちでした。倒れてからしばらく意識がなかったし、夢をたくさん見たので、現実に起こっていることも夢なのではないかと思いました。
治療と葛藤の日々
編集部
発症後の治療はどのように進みましたか?
松川さん
意識がハッキリしないままでしたが、開頭手術を3回おこなったようです。このとき、生まれつきの脳動静脈奇形が発見されました。1回目の開頭手術で血液をとり、2回目は奇形をとったのですが、頭の骨が溶けていたようで、3回目の手術を受けました。(1・2回目は12月、3回目は5月)
編集部
病気を受け入れるまでの葛藤はありましたか?
松川さん
当初は、当たり前と思っていたことができなくなり、死にたいと思っていました。発症から2ヶ月くらいは心も塞いでいて、誰とも会いたくないと思っていました。絶望感しかなかったですね。
編集部
受け入れるきっかけがあったんでしょうか?
松川さん
医者から「病気や後遺症を治すことも大事だけど、向き合って付き合っていくことも大切」と言われました。今は意味もわかるのですが、当時は悔しさと情けなさを感じました。しかし、この言葉で感じた悔しさが反発心となり、たくさんリハビリをするようになったんです。
編集部
闘病中の心の支えはなんでしたか?
松川さん
やはり家族の存在が大きかったです。また、友達もたくさん心配してくれました。周りの支えがあったので、高校受験もできました。入院後、はじめて外出したのは高校受験の日です。車椅子で尿瓶をもって受験しました。
編集部
その後のリハビリは順調に進みましたか?
松川さん
東京のリハビリ病院に通いました。ほかの人の何倍も努力しようと思い、毎日リハビリを続けました。1日1~2万歩、歩くことを2年間継続したのです。病気を発症した当初は、体が動かなくなることもあると言われましたが、今は1人で生活できるレベルに回復しました。
編集部
リハビリを通して得られたものはありますか?
松川さん
リハビリをしているとリハビリ仲間が増え、更に頑張れました。その中でも、海外で活躍する人との出会いがあり「日本人は障がいを隠しているからよくない」と海外に連れて行ってくれたのです。とても刺激を受けました。
編集部
リバビリしながら取り組んでいたことはありますか?
松川さん
障がい者スポーツに取り組みました。種目は砲丸投げで、パラリンピックを目指していた時期もあります。障がいが残って「なにもできない」と思っていた時期もありましたが、「なんでもできる」ということを教えられました。
編集部
当時の自分自身になにか言えるとしたら、どう声をかけますか?
松川さん
「なんでもできる」ということを伝えたいです。きっと当時の自分は受け入れられないと思いますけどね。障がいがあっても、できることはたくさんあると伝えたいです。
「なんでもできる」を実践する
編集部
言語聴覚士を目指しているそうですね?
松川さん
最初は作業療法士になりたいと思ったのですが、患者さんに寄り添える言語聴覚士を目指すことにしました(取材時)。
編集部
今、目標ややりたいことはありますか?
松川さん
今は障がい者の就労施設で働いていますが、障がい者は健常者と比べて給料が安く、不遇な対応を受けている人もいます。ですから、障がい者が活躍できるような会社を作りたいと思っています(取材時。現在はすでに設立済み)。
編集部
会社を作るにあたってなにか努力はされていますか?
松川さん
今はウェブデザインを勉強しています。ライティングにも興味があります。自己投資をしながら、いろんな勉強をしていきたいですね。
編集部
病気を意識していない人に一言お願いします。
松川さん
とくに意識しなくていいと思います。個人的には、壁を作り、特別に感じているのは障がい者側だと思います。人によると思いますが、あえて言えば、かわいそうとか、情けをかけるのはやめてほしいです。そうされることで余計に惨めに感じてしまいます。障がい者と健常者には、たしかに色の違いはありますが、明確に区別せずにグラデーションとして見てもらえばと思っています。
編集部
医療従事者に向けてなにか言いたいことはありますか?
松川さん
安全を考えすぎて、制限をかけるのはよくないと思います。例えば、外を歩くリハビリをしていても、雨の日はリハビリ内容を変更されることがあります。でも、退院して、普段の生活に戻ったら雨でも外出する機会はありますからね。病院側の気持ちもわかりますが、より実践向けのリハビリが必要だと思います。トライアンドエラーを繰り返しながら、チャレンジする機会を作って欲しいです。
編集部
最後に読者に向けてメッセージをお願いします。
松川さん
私の体験記事を読んで頂きありがとうございます。病気・障がいは、様々なことを教えてくれます。今まで、当たり前にできていたことのありがたみ、新たな気づきなどです。いま、闘病中の方は苦しかったり・悔しい事もたくさんあると思いますが、今出来ることに目を向けていただけたら嬉しいです。
編集部まとめ
中学生という多感な時期に発病し、死ぬことまで考えた松川力也さんですが、現在は、言語聴覚士として活躍されています。障がいがあっても「なんでもできる」という気持ちでさまざまなことにチャレンジし、障がい者の手助けをしたいと会社も作りました。ほかにも講演会に登壇するなど、活発に活動されています。今後のご活躍も非常に楽しみです。