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~実録・闘病体験記~ 脳出血から18年。「生涯車いす宣告」から自立歩行1万歩を達成できた理由

 更新日:2023/03/27

一流アスリートに一流のコーチが付いて結果が出る場合もあれば、そうでない場合もあります。その関係性はリハビリにおける理学療法士や作業療法士と、患者の間にも当てはまるのでしょう。18年前に脳出血を患い、半身麻痺となった天野菊惠さんのリハビリは、自分に合った人物や手法によって成果が大きく違ったと言います。また、「『生涯車いす』の宣告を絶対に覆す」という決意がリハビリを支えたそうです。そして2021年2月、自立歩行で1万歩を達成。そんな天野さんに、長期リハビリ生活の大変さや回復の秘訣など、脳出血の闘病体験談をお聞きしました。※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年6月取材。

天野さん

体験者プロフィール
天野 菊惠さん

プロフィールをもっと見る

大阪府在住。18年前、47歳のときに脳出血で倒れ、そこから長きに渡るリハビリ生活に突入。そして21年2月、リハビリの甲斐あって、自立歩行で1万歩を達成。リハビリ生活の中でtwitterと出会い、現在は『アマゴン健康メッセンジャー』(@amano_inaho)の名前で闘病・リハビリ関連のツイートの発信や、自身の闘病生活を電子書籍で執筆するなど、自分の経験を拡散する活動を行っている。

脳出血で左半身麻痺。生涯車いすの宣告を受ける

脳出血で左半身麻痺。生涯車いすの宣告を受ける

編集部編集部

脳出血を発症した当日について教えてください。

天野さん天野さん

18年前の5月のことです。47歳でした。日中に、少し無理をして自転車に乗ることがあったのですが、その夜に自宅でトイレに行こうと席を立ったタイミングで、左半身から崩れるように倒れました。頭にもの凄く激しい痛みが走ったのを覚えています。やっとの思いで救急車を呼び、急性期病院(急性疾患または重症患者の治療を24時間体制で行なう病院)に搬送されました。

編集部編集部

自転車に乗ったことが発症に関係があると?

天野さん天野さん

脳出血を起こす7年前から高血圧の兆候があって、薬で血圧を抑えていましたが、脳出血になってしまったころには薬を飲まなくても血圧が安定するようになっていました。その日は血圧の薬を飲んでおらず、水分補給も怠っていたので、それが原因で脳の血管が切れてしまったのだと思います。自己判断で血圧の薬の服用をやめてしまったことは今でも後悔していますね。

編集部編集部

そもそもなぜ高血圧になってしまったのですか?

天野さん天野さん

当時、コピーライターをしていまして、仕事の忙しさにかまけて食生活や睡眠なども乱れていたと思います。その前からコレステロール値が高いということはわかっていたのですが……。

編集部編集部

脳出血で入院してどのような治療を受けたのですか?

天野さん天野さん

出血があまりひどくなく、手術をせずに点滴のみで様子を見ることになりました。病気になる年齢としては若めだったからか、手術なしでの回復が期待されたのかもしれません。結局、手術はせずに点滴だけで出血も収まったようです。意識が戻ってから主治医の先生にこの先、生涯車いすでの生活になることを告げられました。しばらくして、勧められた回復期病院へ転院することになりましたね。

先生との相性で大きく変わったリハビリ生活と効果

先生との相性で大きく変わったリハビリ生活と効果

編集部編集部

後遺症は無かったのでしょうか?

天野さん天野さん

麻痺で左半身が全く動かなくなりました。転院した病院で本格的なリハビリがスタートし、作業療法士(OT)と理学療法士(PT)の先生に診てもらっていましたが、施術内容がマニュアルに則った一辺倒な印象を受けました。動かない左半身を強引に動かすような感じのリハビリで、ものすごく痛みを伴うものでしたね。「こんな痛みに耐えながら続けなければならないの?」という疑問が常々あったので、長年連れ添ってもらっているパートナーに、ほかの病院を探してもらうことにしました。

編集部編集部

病院を変える一番の要因は?

天野さん天野さん

リハビリができる病院はほかにもあるので、探せば私に合ったリハビリの先生がいるだろうと思いました。リハビリをする上で、先生との相性はもの凄く大事なことだと思っています。それがないとリハビリをすること自体が嫌になりますから。後にその病院から転院してだいぶ経って、偶然そのときのリハビリの先生にお会いしましたが、とても気さくで好印象な方でした。ですから、相性とは決して人間性などの問題ではなく、彼らのリハビリ手法や個性が私と合わなかったのだと思います。

編集部編集部

新しい病院でのリハビリは違いましたか?

天野さん天野さん

入院する前に、先生と面談をさせてもらいました。そのとき、リハビリで立って歩くようになれるかを質問したら、「やる気があるなら、ウチの病院はあなたに良いと思います。杖なしで歩くようになれるかは、あなたの本気次第です」と言われ、この病院は私に合っていそうだと思いましたね。

編集部編集部

転院した病院ではどのようなリハビリを行いましたか?

天野さん天野さん

脳に障害のある人に特化した「ボバース・コンセプト」に基づいたリハビリを受けるようになりました。そして、最初に私が感じている痛みを分析してくれて、その痛みを取るためのリハビリから始まりました。寝返りを打ったり、ベッドの上に座ったり、車いすに自分で移れるようにしたりするトレーニングを繰り返し行いました。

編集部編集部

リハビリを続ける上で大切にしていたことはなんですか?

天野さん天野さん

頭の中で、左半身が動くことをイメージして取り組むことですね。私の場合、イメージすると結果が出しやすかったです。あとは「あれをしたい、これをしたい」と、日常生活の中で小さな目標を立ててはそれを実現していく。これを何度も繰り返しました。

編集部編集部

例えばどのようなことをしていたのですか?

天野さん天野さん

最初は、病院で出される食事がおいしく感じなかったので、パートナーにご飯を炊いてきてもらい、おにぎりを握りました。動かない左手も使って握っていたのでとても不格好でしたが、すごくおいしく感じましたね。それが始まりです。その後もパートナーとハグできるようになりたいと思って、手を広げる練習もしました。おもちゃのピアノを弾けるようにもなりましたね。小さな動作ですが、何度も繰り返すことで、できることが増えていきました。

リハビリ18年、自立歩行で1万歩を達成

リハビリ18年、自立歩行で1万歩を達成

編集部編集部

やがて病院を退院しましたが、生活はどのようにしていましたか?

天野さん天野さん

ホームヘルパーさんにお世話になりながら、リハビリに通う生活になりました。最初はヘルパーさんと関係性を構築していくのが難しかったです。こちらもやはり相性は大事で、中には根本的に合わない人もいました。最初は他人を家の中に招き入れる抵抗感はありましたし、リハビリの大変さからうつを患っていたので、閉鎖的になっていたところにも原因があったと思います。うつの症状が治まりだしてからは、上手くいくようになりました。

編集部編集部

現在、左半身麻痺の状況はいかがですか?

天野さん天野さん

まだ、元通りではありませんし、以前より軽めのリハビリを続けています。ですが、おかげさまで順調に回復していまして、2021年2月、杖を使わずに1万歩の自立歩行をすることができました。最初に入院した病院の先生から生涯車いす生活になると告げられ、あのとき「絶対に歩けるようになってやる」と誓ったことが、本当に実現できました。あの宣告が、私の原動力になっていたので、今ではその先生にも感謝しています。

編集部編集部

1万歩は驚きです。健常者でも簡単ではありません。では、ほかに今後やってみたいことはありますか?

天野さん天野さん

自転車に乗れるようになりたいです。それが脳出血のきっかけでしたし、自転車に乗れるようになってこそ、本当の意味での回復ではないかと思います。また、これからは同じようにリハビリで大変な想いをしている人たちに、私の闘病体験やリハビリ生活など、私だから語れることを広く伝えていきたいです。

編集部編集部

最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。

天野さん天野さん

脳出血に限らず、病気で倒れる可能性は誰にでもあることなので、そうならないためにも食事には気を使って、こまめに検査も受けつつ、健康を維持してほしいです。私のようにリハビリ生活を余儀なくされた人は、どんな小さなことでもいいので目標を作って、前向きに取り組んでください。犬を抱っこしたいとか、日常の些細なことで良いと思います。その願望がモチベーションになるはずです。

編集部まとめ

理学療法士や作業療法士が持ち合わせている知識や技術は、一般人が知りえない専門性を有するものであるが故に、その受け手となる患者側は彼らの存在を絶対視しがちになりそうですが、天野さんのように視野を広くして、別の可能性を探るというのも一つの手段なのでしょう。また、天野さんの脳出血や半身麻痺の根源は、自己判断で高血圧の薬の服用を止めてしまったことにあった訳なので、あらためて自己判断の危険性を意識させられた体験談でした。

この記事の監修医師