【闘病】突然、大動脈解離の宣告。一生向き合うことの苦悩とは
何気ない日常を送っていたときに、突然、立っていられないほどの鈍痛に襲われたゆみさん(仮称)。大動脈解離(だいどうみゃくかいり)という病気が見つかり、2度の入院(2度目の入院で手術)をおこないました。緊急的な手術も必要と言われ、とても困惑されたようです。家族に支えられながら、大動脈解離と今も向き合っているゆみさんに、闘病時の話を聞きました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年10月取材。
体験者プロフィール:
ゆみさん(仮称)
1963年(昭和38年)生まれ。4児の母。長男・長女は独立し、夫・次女・三女と4人暮らし。2019年に大動脈瘤解離を発症し、2度の入院と2度の手術を受ける。後遺症は、幸いにも少し足が痺れる程度。現在は、見た目にもわからないほどに回復しているが、大動脈解離は完治していない。日常生活では食べることも大切にしながら、ウォーキングなども始めた。
Instagram
@petit_beads_momo
記事監修医師:
今村 英利(いずみホームケアクリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
何気ない日常が一転
編集部
病気がわかった時の状況を教えてください。
ゆみさん
2019年3月5日の朝、いつも通り朝の食事の準備をしていると、背中の上の方に「野球ボールくらいの鉛玉をグイグイ押し込まれる」ような、鈍い痛みを感じました。激痛ではなかったですが、鈍痛で座りこんでしまいました。少しすると治まった感じもありましたが、鈍く痛むような感じが続きました。
編集部
その後どのように病気が判明するのですか?
ゆみさん
主人が救急車を手配してくれて、病院へ行きました。病院では痛みも引いていて、意識もハッキリとしていましたが、検査をしている内に激痛に変わりました。CTを撮ったところ、大動脈が肩下から足の付け根まで裂けている事が判明し、「急性大動脈解離スタンフォードB型」と診断名を告げられました。
編集部
医師からはどのような治療方針を告げられましたか?
ゆみさん
大動脈解離スタンフォードB型は心臓から少し離れている大きな血管なので、緊急手術はせず、降圧治療(内服などで血圧を下げる治療)をすると言われました。絶対安静の中、点滴で痛み止めと降圧剤投与が続きました。
編集部
治療中に辛かったことはありますか?
ゆみさん
肩下から足の付け根にかけて激痛があり、何度もナースコールで痛みを訴えました。医師からは痛み止めを過剰投与はできないと言われたのが辛かったです。また、数日間は、絶食の指示を受けました。夜は睡眠薬で寝ることができましたが、起きている間は、痛みで苦しかったです。また、痛み止めによって幻覚のようなものが見えるようになりました。夢か現実なのか分からなくなり、とても怖く、主人に「助けて」とLINEを打ったのを覚えています。
編集部
どのくらいの入院期間でしたか?
ゆみさん
2週間くらいで、血圧も落ち着き、リハビリを開始して、3月末に退院しました。先生からは「一度裂けた大動脈は元には戻らない」と言われました。今後は、経過観察していくということで、とりあえず安心しました。減塩食を心掛け、5月には、長女の結婚式に参列することができたので良かったです。
想像もしなかった急激な病気の悪化
編集部
その後は、安定して過ごせているのですか?
ゆみさん
いいえ、6月半ばの検診で、先生から「急激に悪化しています。いつ、大動脈が破裂してもおかしくありません。直ぐに手術をしないと命に関わります」と言われました。その後、家族と一緒に詳しく話を聞きましたが、内容に驚きすぎて、先生に言われたことはあまり覚えていません。
編集部
具体的に覚えている範囲で結構なので教えていただけますか?
ゆみさん
断片的ですが、「大変な手術で、12時間かかります」「手術の途中で10人に1人位の割合で亡くなる場合があります」「命は助かっても、半身不随などの後遺症が残ることも覚悟してください」「深い麻酔をかけて、体温を下げ、人工心肺に切りかえて心臓を止めます」など、たくさんのことを告げられました。不安が大きくなって「そんな手術はしません」とハッキリ伝えました。先生からは「少し考える時間もいるでしょう。でも早くしなければいけない」と手術を勧められました。主人からも手術を勧められ、言い争いになりましたね。
編集部
結論はどうされたのですか?
ゆみさん
昔からお世話になっている先生(かかりつけ医)に相談しました。その先生は、セカンドオピニオンを強く勧めてくれました。熱心に「今死んではダメ。助かって欲しい」と言われ、この先生の言葉を信じて、心臓血管外科で有名な先生の元へ、セカンドオピニオンを受けに行くことにしました。
手術を決意してからの激動
編集部
手術の説明はどんな内容でしたか?
ゆみさん
心臓から送り出された血液を運ぶ大動脈の、弓状に曲がる部分である弓部大動脈の一部を、ステントと人口血管に置き換える手術を受ける事になりました。やはりハイリスクな手術で麻痺(まひ)等の後遺症の覚悟は必要との事で、手術時間は8時間位。7月16日に入院して、7月19日、朝9時に手術となりました。
編集部
手術の時の心境を教えてください。
ゆみさん
前の病院で急激に悪化していると言われて、約1か月経っていたこともあり、かなりの不安がありました。何度も逃げ出したいと考えましたし、前日には、万が一に備えて子ども達4人と主人に手紙を書きました。朝、手術室に入る直前まで子供達と主人が一緒にいてくれましたね。
編集部
手術のことは何か覚えておられますか?
ゆみさん
手術中は、それこそ深い麻酔をかけられていたので何も分かりません。意識が戻ったのは7月23日の朝でした。まだ手術を受ける前と錯覚して、人工呼吸器を装着したまま、必死に「手術してください」と訴えていたそうです。看護師さんが、直ぐに気付いてくれ「意識が戻ったんですね。よく頑張りました。2回も手術してるんですよ」と言われましたが、全く状況が分かりませんでした。弓部大動脈は首の方に三本の大動脈が通っているのですが、そこも全て人工血管にかえているので、たくさん縫合しています。
編集部
2回ですか? 詳しく教えてください。
ゆみさん
1回目の手術は夜に終わり、出血が止まらず、輸血も追いつかない状況で、明け方に様態が悪くなり、もう一度手術したそうです。麻酔科の先生も皆さん残っていて下さったようです。家族にも朝の5時に病院から、再手術の連絡を受け、慌てて駆けつけてくれました。縫合部分から血液がにじみ出ていて、全部縫い直したそうですが、手術は無事成功し、退院することができました。
心の支えは家族
編集部
大変でしたね。退院後は無事に生活出来ていますか?
ゆみさん
退院後、3か月くらいは胸帯を巻いて、養生していました。傷が痛み、ロキソニンを手放せませんでしたね。食欲も無く、家に閉じこもっていました。3か月たった頃から、少しずつ元の生活に戻りましたが、痛み止めは1年くらい飲んでいましたね。食生活は減塩を気にかけていました。
編集部
今回の体験で心の支えはなんだったと思いますか?
ゆみさん
家族でしたね。病室には10分しか居られない病院に片道45分かけて、毎日来てくれました。娘たちも休みの日に来てくれたり、「お母さんが必要!大好き!愛している!」とLINEをくれたりしたので「生きなければ、生きたい」と思いました。
編集部
病気に対して気づいたことや読者への助言はありますか?
ゆみさん
私の場合、「なぜ大動脈解離に?」と考えてばかりでした。痛みに苦しいときは、死んだ方がマシと思った事も何度もありましたが、今では、生きていて良かったと思います。大動脈解離は、高血圧等の予兆があるそうですが、私のように、これといった原因が無くても起こる事があります。手術をしても、完治はしません。また、後遺症に苦しむ方もいらっしゃることを知っておくとよいかもしれません。
編集部
同じ病気の方との交流はありましたか?
ゆみさん
Instagramでたくさんの大動脈解離の方と繋がる事ができて、寒くなると傷が痛むとか、情報交換をしています。これが、とても心強いです。手術後の苦しみは、経験者にしか分かりません。周りに大動脈解離の人がいないので「大動脈解離の会」みたいなのがあったらいいなと思います。
編集部
現在の体調などについて教えてください。
ゆみさん
血圧を下げる薬を飲んでいるので、安定しています。肩甲骨辺りから足の付け根まで、まだ大動脈が解離しています。もう、見た目は健康そうに見えますが、死ぬまで大動脈解離は継続します。それでもあの辛い経験をして、今、生きていることが奇跡なんだと前向きに考えるようになりました。食べる事も大切にしてウォーキングも始めました。できる限り健康でいたいと思います。
編集部
医療従事者に言いたことはありますか?
ゆみさん
医療従事者の方には、感謝しかないですね。ICUで意識が戻ってからは、痛みで泣いてばかりでした。息をしても痛みに襲われ、涙が溢れるんです。看護師さんは、いつも寄り添ってくれました。時には手を握って「大丈夫だから」と、声をかけてくれました。先生方も、私の痛みや不安に寄り添ってくれ、いつも暖かく見守ってくれています。感謝しかないです。
編集部
最後に病気を意識していない人に向けてメッセージをお願いいたします。
ゆみさん
減塩食を意識しているのですが、最近、主人から「病院食みたいだ」と軽く嫌味を言われます。元々、血圧が高めで肥満気味な主人です。口癖は「もうすぐ還暦。好きな物を食べて死んでも、もういいやろ」「好きな物を我慢してまで長生きしたくない」と言います。でも、それは命に関わるような病気をしたことが無いからだと思います。
編集部
あまり身体を気にされておられないんですね。
ゆみさん
今は医学が進歩していますので助かる命は多いと思います。ただ、その後色んな苦しみも待っています。私も解離性胸部大動脈瘤になり、1度は死にかけましたが、それでも今生きています。運良く、後遺症は少し足が痺れる程度です。ただ、治療中は死ぬより苦しい経験をしたと思っています。健康な身体は、自分が作るものだと思いますので、「食事」「睡眠」「ストレス」色んな事を見直して、今ある健康を大切にしてほしいですね。
編集部まとめ
大動脈解離と一生付き合うことになったゆみさんですが、家族に見守られながら、少しずつ以前のような生活を取り戻しつつあります。ゆみさんは「一度健康を手放すと、取り戻すには大変な努力が要りますし、取り戻せないかもしれません。健康な身体があってこその幸せな人生だと思います」と最後に話されていました。いつどんな病気になるかわかりませんが、ゆみさんのように信頼できる医療従事者が近くにいると気持ちは楽になるでしょう。
今後は、いつ病気になっても助けてもらえるように、病院や医師との付き合い方を考えていくことが大切ですね。